今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

夜は夜のつぶやき

2008年12月13日

 

●本日は診察。「とりあえず生きていられるから大丈夫」、「簡単に治らないから、我慢してあきらめなさい」といわれ、笑ってしまう。パキシル10mg減薬へ。五千円近い医療費用は、この程度の助言と製薬会社に支払われている。


●帰ってそうそう寝る。夢を見る。亡き先輩らしき人?(髪型や面影が違った)が亡霊になって出てきて、僕は仲間と一緒にその人を囲んで楽しく話している。お父さんはたまらなくなって泣いている。なぜかお父さんには見えないのだ。僕は亡霊の様子を伝える。明日寮の仲間と飯綱に行くからきっとこんな夢をみたんだろう。


●深夜、目覚めて卒業論文、子ども死生観について書いているところ。死んだ人が生まれかわると思っていることが、命の軽視に繋がるなんて単純なことはいえない。問題は、このような意味の薄い調査をして、道徳教育で心を扱うことが、問題の解決に繋がると考える思考だ。こころは直接的な働きかけで変わる部分もなくはないが、大部分は日頃の生活の経験の収束であるからだ……と、こんなふうに文章がひとり歩きして、思考の過程を記したもので終わりそうな気がする。それは果たして論文といえるか。まだ数ページしかかいていない。間に合うかやや不安で気が重い。


●愛しい、と書いて「かなしい」と読む。なんとなくわかる気がする。かなしむことは必ずしも悪いことではない。かなしみは隠すべきではなく、共有してこそ、そこに癒やしが生まれるものかもしれない。

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