今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

病的な気分を変えるには

2010年1月3日

 

今日は年があけて初めての休日だったが、職場でお寿司をごちそうなった。お客様がきていたので、こっそりお盆をもってベランダから抜け、事務所で一人で食べた。味がしない。


ちょっと情緒不安定でもあった。


午後は、あまり気が進まなかったが、両親、祖母、いとこへのお年玉をもって、2ヶ月ぶりに実家帰りを果たした。


社会人一年目の封筒は軽かったけれども、祖母は大喜びして泣いた。母は元日から愚息の夢をみたという。そこまで心配かけていたかと、申し訳なくと思う。あえて2ヶ月連絡をよこさなかった両親の思いに帰り道、涙する。確執みたいなものがあって、こちらからも音沙汰なしであった。


馬鹿な子どもですみません、と思え、涙がとまらない。

誰にも話していないが、最近の精神状態についてちょっと書き残しておこうと思う。


じつは、年末から忙しくて病院にいけず、またいくのも面倒で、またもや抗うつ剤を切らしていた。12/12くらいから薬を飲んでいない。いけないと思いつつ、病院は年末年始の休みに入ってしまった。


前もそうだったが、薬を切らすと、なんだか、もう長く生きられないようなひどく重苦しい感覚に陥る。人に会うたび、どういうわけか、これを最後に会えないような妄想を抱いてしまう。


たわいのない会話をしていても、それをすごく重く感じてしまう。まるで<その人が死んでしまって、その人のいない世界でテープに残されたメッセージを聞いているうな感じ………>と書いてわかる人がいるだろうか。


しかも、それが"薬の離脱症状としてそう思える"だけではないような気がしてしまうからなお怖い。そして辛い。


"実際、だれだって今日遭ったうちの誰かと、もう二度と会えない可能性を秘めている。だれだって、今日温かくても、明日の朝には冷たくなっていないとは限らない"


こうみみずくの素寒貧な頭は警告してくる。病的で、滑稽ですらある超マイナス思考だと思う。非現実ではないが、限りなく非現実に近い。


思ってしまうのは仕方ないこと。病気だか離脱作用だか知らないが、みみずくの無意識かなにかが発する正直な感覚。内なる声、と書くと怪しい宗教みたいだが。


であるならば。


後悔しないよう明日も精一杯、最善を尽くして人と関わろう。


そう思えば、済むこと。

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