今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

3週目 終了

2007年9月1日

 

 教育実習Ⅲ期が終わった。

27日(月)
 社会 友のために伝えるために知る 近代日本を作った人々の姿
29日(水)
 国語 情景をイメージできるように伝える 『森へ』
30日(木)
 体育 仲間と支えあい調和する 美と力

 社会は渋染め一揆を通じて、江戸時代末期の幕府の衰退を伝えようとしたが、子どもたちの意識は渋染め一揆にあつまったようだった。学習材が差別の問題を含んでいたためだろうか。

 国語は流木を通して、さまざまな感覚表現を文に昇華しようとした。数人の子は文章が変わった気がする。発表を断ったある子は「俺が発表する義理はない 先生の胸のうちにしまっておいてくれればいい」と語った。

 組体操は、3クラス合同。扇のポイントを出し合い、練習した。なかなか挙手して発言しないのが6年生。勇気を出して、どんな小さななこといい、全体の場で発言することが、本番での演技に大きく響くことを、個人的には一番伝えたかった。

 三週目にして、クラスの子とまだまだ大きな壁を感じる。キャンプインストラクター要請講座でゼミの大先輩がいっていた「すべての子から好かれるのは無理かもしれない でも自分がすべての子を好きになることはできる」という言葉を思い出した。

 合間に大村はまさんの最期の講演集「忘れえぬことば」を読む。珠玉のことばが、心に響く。表紙の夕暮れの横浜港の絵が、自分の育った故里を思い出させる。毎年、祖母と一緒に花火を見にいったっけ。祖母も小学校の先生だった。最初の記憶は迷子になったこと。最期の記憶は夏休みの宿題のことでいらいらしていたこと。昔、僕も君たちとおなじ子どもだった。そうこうするうちに、いつの間にか大人になった。なにがかわってしまったんだろうか。そこに子どもと壁をつくってしまうひとつの原因があるような気がする。
 
 9月に入り、実習も残り半分をきった。仲間の研究授業があり、それと自分の作業をうまく平行していくことが求められる。

4日(火) 道徳 相手とつながることの喜び
5日(水) 図工 私の願いに色をつける 私のなりたい『木』
7日(金) 
 社会 友のために伝えるために知る 近代日本を作った人々の姿(2)

 子どもたちとの関係は膠着状態。……後輩との関係が悪化し、ただそこにいるだけで針のむしろに座しているような思いをした経験があった気がする。そのとき僕はどうやって乗り越えたんだっけ。


 そのとき僕は、ひとりひとりの後輩と、1対1で、片端から、話しかけていったんだった。
40人の子たちたちいとりひとりに、もういちど接しなおしてみようと思う。もちろん、うまくいくとは思っていない。そのときはそのときだ。

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