今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

電話・遺伝子の宿命・パンデミックフルー

2008年11月2日

 

めったに着信のない携帯電話に、2日にいっぺんくらいの頻度で、さる女性から電話がかかってくる。もうここ最近、ずっと。

みみずくはわざと五回に一回しかでない。


今日はでた。


悩みごとを聞く。その人は「お金が盗まれた」、という。


雑音から察する……電話の向こうには、きっと、他に一緒住んでいる人たちがいるだろう、と。そしてとっさに思う。わざと電話のみみずくに、盗難のことを話すことで、背後で聞いている人に疑いの目をかけ、様子をうかがっているのだと。


みみずくはいう。「周りの人を疑いすぎても、気まずくなっちゃいますね……今度から、鍵をしめるなり、気をつけないといけませんね……」


それぐらいしか、いってあげられない。


それが、みみずくの、その人の為にしてあげらる、せいいっぱいのこと。

生き物ははどうしてコミュニケーションをとるのだろう?

人はどうして言葉を手繰るようになったのか。

それは、仲間を危険から身を守るため? 感情を表現するため? 人を愛するため? いずれにせよ、進化の過程で、言葉を手繰るようになったからこそ、人間という生き物は、繁栄した。

じゃあ、どうして生命は繁栄を目指すのか。どうして生命の遺伝子は、他の種を、時には仲間を滅ぼしてまで、自分の種を、後世に残そうとするのか。

そう考えると、なにもかも虚しくて、やりきれない。

そういうときは、部屋にこもって、布団をかぶって、じっとしているに限る。まったく、そうするに限る。

・・・ただ、自分の命を賭しても、自分以外の命を救うことがある。種に関わらず。それは生命の進化の常識からいって、例外的な行為だ。しかし、人間は、時にそういうことをする動物だった。

鳥インフルエンザの感染を扱った、NHKスペシャルの「パンデミックフルー」ドラマを見た。爆発的な感染の広がりをみせるなか、病院は新型インフルエンザ患者の受け入れの選択を迫られる。ワクチンもできておらず、自身の感染のリスクを抱える中で、医師は患者の治療をうけいれる。もちろん、病院を逃げ出す医師もいる。

やがてその病院は、飽和状態に陥る。そんななか、一人の老患者は、延命を拒否したことで、別の一人の患者が救われる。

種を残す、云々の議論ではない。もし、目の前に、生きるか死ぬか、あるいは救うか見殺すかの選択肢があれば、ひとは往々にして前者を選ぶこともある。

極限状態にある人間が垣間見せる人間性と非人間性。

はたして自分はどちらだろうか。それはだれしも、そのときになってみないとわからない。

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