今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

神々と哲学者の対話

2009年4月25日

 

神様:「はい、じゃあ、あなたはそうやって言い訳ばかりしてこれからも生きるのね」


哲学者「言い訳をしない人間はいません。健全な精神を保つために人間は自己弁護をするとフロイトもいっています。言い訳はあなたがた神々が人間にあたえられた能力ではないですか。もちろん神が人間を作ったという前提においてね」


神様「ではいつも困難にたちむかわないの?それは逃げの人生ではないの?」


哲学者「困難は立ち向かうものと誰が決めたのですか?


それは社会的にかたちづくられた美徳、近代資本主義が生み出した幻想、まやかしです。信じる信じないはその人の勝手ですがね。


人生はまさに逃避です。サバンナのシマウマをご覧なさい。ライオンに最初から立ち向かうシマウマはいますか?負けがわかっていて敵陣に突っ込むのは賢明とはいえません。」


神様「では人間はなんのために生きるの?


哲学者「できるだけ楽をして、できれば満腹の状態でぐっすり寝るためです。」


神々「なんていう怠け者!」


哲学者「だってそうでしょう?」


神様「あなたは守るべきひとはいないの?子どものために自らおとりになって犠牲になる親シマウマの気持ちはあなたにはわからない、臆病者!」


哲学者「おっしゃるとおりです。確かに僕にはシマウマの気持ちはわからない。しかしシマウマもできれば、満腹で陽向ぼっこしてせいぜい昼寝をするために生きてるんじゃないですか?」


神様「そんな!」


哲学者「まさか子孫を残すために生きてるなんていいませんよね?」

なんで子孫をのこす必要があるんですか?」


みみずく「老後に自分が世話してもらうため? なんちって、あの、すみません、続けて下さい……」

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