沖縄では、もう長生きされた方の葬儀はお祝い事なのだというけれど。でも、それは沖縄の話。いま、職場の御入居者のお葬式から帰ってきた。なんか気が抜けたといいますか・・・やることもなくここへ・・
職場の先輩の助手席に載って、斎場に向かい、ああ前のお葬式のときも助手席だったと思った。一緒の建物に住んでいた、親しい先輩がなくなった日。鮮明に思い出せる。
あの日は、ほんとに信州は雪解けの春先でした。偶然、神奈川から母がきて善光寺までという許可をもらって外出していた。病院内では携帯持禁止だったので、久しぶりに受信をしたら、なんか妙なメールが来ていた・・・外出していなかったら、もっと知るのが遅れていた。故人の意思が働いたのだと信じている。
知ったその日が命日だった。母は新幹線で帰った。夕方の診察で(僕は病院に拘束されていたので)、お通夜にいきたいと、医師に泣いて頼んだ。責任があるので自由にできないといわれる。あと追いなんかされることもありますからねと聞いて僕は怒ったが、いまおもえば当然のこと。
けれども、新幹線で帰った母が、翌日また長野まで来てくれて。母には、一緒に葬儀に参加してもらって。
あの時初めて親のありがたさを感じた。いざというとき見方になってくれるのは家族なのだなと知ってまた泣いた。
翌朝、寮の先輩の助手席に乗って、山に向かう。
もう焼かれていて。
そんなことを思い出した。
ばあちゃんと娘。面識はないけれど、気が合いそうだから、二人の故人が天国で出会えますように。
今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2010年9月1日
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