今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

山ずみの本に囲まれて

2008年10月6日

 

卒論のテーマがいまだ決まらない! それが苦でとうとう最初のゼミから休んでしまった! 情けないことこのうえなし。


中間発表は今月のなかば。……みみずくはあちこちから仕入れてきた、およそ役にたちそうもない社会学関係の本に埋もれ、この世の中は、すでに先人たちによってほとんど語りつくされており、しかもそれが現実の社会にどう役にたっているのかが、見えてこず、いったいぜんたい、何から手をつければいいのかもよくわからなくなる。論文とは世界でいまだかつて誰も考えなかった見解にいたるものでなくちゃならないことと思うと、最近なにひとつ、新しい問題にぶちあたってさえいないみみずくには到底その作業をこなすのは無理なことと思われた。


自分には研究対象にできるフィールドもなければ人脈もない。(作ればいいのだけど、告白するといま、情けないことにそれをする元気と自信がない)


とすれば残された道は文献をあたるしかない。文献は山ずみでどれも関心があるといえばそうだし、ないといえばない。なんて中途半端な。


ならば開きなおって、山ずみになった本を売りはらって、飯の足しにしてしまい、古典一冊に対象をしぼってしまったらどうか?


ということになり、偶然買ってあった、卒論でもなければ一生読まないはずであろうデカルトの「方法叙説」を、鉛筆でぐしゃぐしゃにしながら、一文字一文字解読しはじめた。


これからどういう方向にいくのか、まったくもって予想できない時ほど、悲観的になってしまうけれど、別に卒論を書けなくても死ぬわけでなし、もし書けなかったら、それが今の自分の力量、もう一年、やりなおせばいいことだ。

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