誰かが不幸である限り、私は幸せにはなれない、といった人があるという。つまりは生命ぜんたいの幸福が実現するまで自分の幸せというものは有り得ないのだと。
「苦しい」という言葉と「苦しんでいる人」という言葉を検索してみたら、後者のほうがはるかに多くヒットした。病気、貧困、差別、災害、苦しんでいる人たちは語られる方が多いということだろうか。
この地球上でいまも、想像を絶する数の人たち、あるいは子どもたちがなにかに怯え、飢え、震え、痛んでいるのかと思うと、みみずくの、このちっぽけな息苦しさごとき、と思う。でも耐えがたい。情けない。すみません。元気になったら、きっとせめてそのぶんいじょうは世の中がプラスになるように働くから。
「人間は自分が与えられた不幸ゆえに幸せになり、その幸せゆえに、他のひとをも幸せにできる」(「カラマーゾフの兄弟」)というのもある。幸せの真逆、不幸せを実感しない限り、本当の幸せは実感し得ないものだし、他者の不幸を理解し救うこともできないということだろうか。ならばいまは、がぜんマイナスを味わわなくては・・・ なんていきごんだりしてみたり・・・
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