いつも四匹で連れ立って遊びに来る。
手を伸ばすと引っかかれる。決して体に触れさせてくれない。
窓をあけといたら、一匹が入ってきた。好奇心旺盛というか。
窓枠のうえを歩いて、鯖カンを狙っている。
で、しばらく黙ってみていたけれど、ちょっと意地悪してみたくなった。
まどをぴしゃりと閉めてみる。
すると、気が狂ったみたいになって鳴くんだ。
あんな悲しそうな鳴き声初めて聞いた。
外にでようとして、窓をがりがりやって。
こっちもびっくりししてしまって、急いで窓をあけた。
今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2007年12月31日
起きたら夜。外はうっすらと雪。
寮にひとかげは少なく、しんとしてる。
郵便もなく、電話もなくメールもなく、 部屋にこもっていると、
このまま引きこもれちゃうな、なんて思ったりする。
昨晩は事務室で課題でもすすめよっと思っていたら、
バイト帰りの先輩と朝まで話しこんでしまった。
人と話すと、知らなきゃいいことも知りたくなり、知ってしまう。
知らなければ、楽なことなんて、たくさんある。
たいてい人が秘密にしていたがったことは、
人づてでも聞かないほうがいい。
けれど、無知がために、予期せず相手を傷つけてしまうこともあるだろう。
最悪の事態は避けた、と思う。
なにを書いてンだかわかんないよね。ごめん。
だれに向けてるのかもわかんないよな、すまん。
自分でもよくわかんないや。
ああ、年末はことに気が重い。
2007年12月25日
夕方、今年最後の家庭教師。
クリスマスプレゼントといって、問題集を渡せば、嫌がるかなと思ったら、
その子、心底、喜んでた。勉強、好きなんだね。
終わり際に、プレゼント、置いてあった? といったら、
本当にうれしそうに「あったー!」って。
しかもだよ、サンタクロースがいるって信じている(笑)
以下、その子との問答。
月夜のみみずく:「どうやって壁を抜けるんだろうね? 不思議だよねー」
子:「うーん光みたいな速さで、移動するから、壁も抜けるんだよ」
月夜のみみずく:「サンタクロースってどんな顔してるんだろう。最近は若い人なのかなぁ」
子:「やさししそうな髭のおじいさんだよ」
月夜のみみずく:「お母さんも不思議がってた?」
子:「あんまり触れなかった。早く寝なさいって。」
月夜のみみずく:「僕んところは最近こないんだよなぁ。寮ではいい子にしてるんだけど」
子:「だって大人だもん(笑)」
もちろん、帰り際に忘れてたふりをして姉妹にプレゼント渡しました。 ピンクとライトブルーのリーフノート。それぞれ同じ色のスヌーピーのファイルつき。
月夜のみみずく:「近所のサンタクロースにわたしてって頼まれたんだぁ」
子:「ねえ、どんな人だった???」
理科は教えても、夢はこわさない。
図書館でうら若き高校生に囲まれ、勉強していたら、大学受験の頃を思い出した。 あの頃と違うのは、ぼんやりと今晩の夕飯の献立を考えていること。
早々に切り上げて大学裏のスーパーに向かおうとしていると、友達からメール。友人の実家で夕飯をご馳走になることに。
賑やかな食卓を囲んだのは本当に久しぶりで、 ・・・ああ友だちって、家族って、ありがたいなとしみじみ考えてしまった。
* * *
人生ってなんだぃ? と最近馬鹿みたいな顔をして考える。実に単純な疑問だけど。 僕はいま、一人で暮らし。来年の夏、教採に受かってもそうでなくても、 再来年の春には、寮を出て、多分また一人暮らしをはじめるだろう。 仕事をしながら。おそらくは相当の間。
容易に自分の将来が予測できてしまう。単調に、階段が続いているように。
大学三年の年末。なんでもないようなこの時期。
ひたすら遊んでいる人もいる。
就活のため、さまざまな企業を見て廻る人もいる。
まだ教師になると決めたわけではないと、 青年海外協力隊に入って二年間経験を積もうと計画している人もいる。
* * *
窓ぎわに毎晩、遊びに来ていた猫も、ここ数日姿をみせない。
この時期、寮にこもって燻ってるのは、どうも自分だけらしい。
2007年12月22日
2007年12月11日
今日はやる気がまるでないので、寮にこもって読書。
『イエスの生涯』遠藤周作を読んだ。
英雄的でもなく、美しくもなく、誤解と嘲笑、裏切りとともに見棄てられ、斃れたイエス。この世のありとあらゆる辛苦を一身に背負い、ゴルゴタの岡で死ななければならなかったイエス。その生涯を綴った一冊。重い。重たすぎる。
2007年12月9日
今日はYouフェス。研究室の先生の子どもと仲良くなったよ。
ある人から気持ちが悪いといわれてしまった。
なかなかこうずばりこういってくれる人はいない。
実習中子どもからはいわれたけど。
こんな事をかいちゃ笑われるけれど、
人のためになることばかり考えて生きてきた。
それは僕が優しいからじゃなく、
自分のためだったなんて。
誰かの支えになれればと思うけれど、
励ますことすらできなかった。
結局全部あだでかえってくることはわかっている。
自分がつぎ込んだぶんだけ大きく。
せめて何も帰ってこないほうがましだよね。
2007年11月16日
昨晩の総会で、第68期はおわった。
決算は、生来の心配性が功を奏したか、無事可決された。
今日は久しぶりに松本へ行く。
明日は附属小の公開研究会。
夕方に友だちに石油ファンヒーターをとどけ、事務当番をすませたら、
再び松本へ行く。
めまぐるしく忙しい11月・・・
2007年10月27日
・・・てな酔狂を書いてやっと一人からコメントがくるこのブログ、存続の意味はありやなしや。
1階への引越しがまだ終わらない。自分の荷物を引っ張りだすと、どんなに時間があっても足りやしない。トランク一つひっさげて、一人暮らしをはじめたのがかれこれ3年前。いまやなにに使うのかわからない無駄なものが部屋中あふれかえっている。手紙や写真などはことに、捨てるのに勇気がいる。
火事になって全部燃えてしまわない限り、こんな手紙とか色紙とかバラバラになった日記なんかを終生大事にしておくんだろうな。月夜のみみずくは、過去にしがみついて生きるタイプであるから。
本当に自分に必要なものを選りすぐって残すのは難しい。
残ったガラクタは自分の映し鏡。これからも雑多なものに囲まれて生きていく。
2007年10月26日
下駄箱に投げ文が一通。
月夜のみみずく:「なんじゃ? 金の請求か? はてまた嫌がらせか?」
中身を読むと、ほかでもない、これは正真正銘のラブレターだった。
差出人は不明。
どうしようっかなーあ。
2007年10月25日
2007年10月23日
「よりよい教師になるためのチェックポイント10」
これを未明までに仕上げなければ卒業できない。
10項目に解答欄がそれぞれ3ずつあって、計30のセルを埋めていく。
項目1 教科内容
説明 「教師は、自分が教えそして学習経験を創造することのできる、その中心的概念、探究の方法、学問領域の構造を理解している。ここでの学習経験とは、教科内容に関するこれらの側面を子どもたちにとって有意義なものにするようなものである。」
①教育実習前に経験したこと・抱いていた考え方
②教育実習中に経験したこと・学んだこと・実践したこと
③今後の課題
月夜のみみずく:「・・・説明の説明が必要だ」
ぶつくさ文句を言いながらそれでも30すべての項目を埋めた後、結果的には実習を振り返る機会になっていたことに気づく。
一見意味のないような課題も、まじめにやれば、なにかしら学ぶものはある、かもしれない。
2007年10月20日
きのこをとって、いま長野へ帰ってきました。
で、なにとはなしに高校時代の友だちのブログを見ておったまげた。
彼は僕が信大にもぐりこんだ年、自他共に認めるまぐれで外大に奇跡的に合格し、最近留年を確定したという。だがここでいいたいのはそんなことではない。
外大の英語科の過酷なカリキュラムにも驚くが、とりもさてなお驚かせられるのは、蔑視のうずまく環境に身をおいて、自分のペースをひたすらに守り続け、確実に成績を向上させていることだ。
これまで「この人は凄い」と思った友人は何人もあるが、ここまで来ると、驚愕。勇気をもらいました。
このブログを見ていて、「ああ自分はまだまだ、まーだまだ」と思う。 僕もちょっとがんばろっ。
http://www.y-o-y.org/
2人とも、誕生日、おめでとう。
友だちである事を誇りに思います。これからもよろしくね。
そして明日は、きのこ企画!
深夜1時の時点で、幸い雨も上がったようで、明日はたぶん決行だね。きのこももちろんそうだけど、百瀬さんもきてくださるようで、一年ぶりの再会が楽しみです。
2007年10月18日
後輩のプレゼンのため、松本へ行っていま、帰ってきた。
まもなく朝の5時。
夕方、卒論の中間発表会を途中に抜け出した。
学部祭も手伝ってない、学科のボランティアをやってない、
そんなわけで、どことなく学科で浮いている自分。
仕事をなにもしていないわけだから当たり前だ。
時々思う。いっそどこの団体にも顔をださないで、だれとも関わりを持たないで、
毎日、部屋にこもって本でも読んでいたい、と。
自分のためだけに時間を使いたいと。
けれども、それは自分に対する逃げにすぎない。
他区から深夜2時まで松本で話し合いを重ねている後輩たちの姿を見、
非力ながらその力添えになっていることを思うと、
無駄なことは何一つないと思える。
このゼミの人は、人前で弱音をはいたり、言い訳をしないことが多い。
自分はしょっちゅう弱音をはき、言い訳ばかりしたくなる。
もちろん溜め込むことはよくないけれど、
自分の問題は自分で解決し、それよりもだれかが本当に困ったとき、
さりげなく助けられる、そんな人間になりたいものだ。
え? 無理? 頑張ります。
2007年10月15日
実家から荷物が送られてきた。
箇条書きの手紙が添えられてある。
コピー用紙に赤のボールペンで。
こんなもの人にみられたら大変だと思い捨てようとしたが、気づけば机に貼っている自分。
・柿と梨は早く食べて下さい。
・洗剤とセッケンは袋の中にあります。
・魚にはDHAがたくさんあるので頭が良くなるよ。
・採用試験まであと9ヶ月 これから寒くなると眠たくなるけど自分に厳しく合格(神奈川県)めざしてガンバッテ下さい。友達とおしゃべりしていても人生は開けません。臨時教員なんていう甘い考えでいるなら民間に行って下さい。
・栄養ある食事をして体に気をつけてね。
いつになっても親からすれば僕は心配のたえない子ども。
たまに実家にかえれば、「お前の考えは甘い!」説教にはじまり説教におわる。
聞いていれば、確かにその通りだという気持ちになってくる。
生活費のすべてを自分でまかなっている友人が多い中、まことに恥ずかしい話だが、両親からは学費・生活費はすべて面倒見るから、バイトなんかしないでひたすら勉強しろといわれる。そんな母親自身は、大学時代、バイトにあけくれ、手がけた職種は50を超えるとよく自慢していた。
それに甘んじ、月二万ほどは自分で稼ぐが、あとはほとんど依存しているといっていい。
僕がいつか結婚して、子どもをもったら、両親と同じように子どもに言うのだろうか。
さすがに友達との交流を断って勉強に専心しろとはいわないまでも・・・
親、兄弟を疎ましく思い、それから逃れるのが信州に理由の一つだった。
そして大学生活も(予定では)残り半分をとうにきっている。
祖母は帰るたび「遺言」といって「かえって来い」という。
もっともばーちゃんの遺言はいつものことで
「朝起きたらまず口をゆすげ」とか「早く嫁さんつれてこい」とか
(どちらも守ってないけどね)
高校時代ボランティアをしていた僕にこんなことを語った。
「おまえは外面だけだ うちでの自分がほんとだ それが教員になったときもあだになる」
僕はいつまでも信州にいたい。それが親不孝になるのだろうか?
親から見れば心配な子ども、ではなくて、実際僕はまだまだ浅はかなんだろう。
2007年10月14日
木曜夜=自ゼミ後期はじまる。松本行き。
金曜夜=松本入り。自ゼミ17期の集会。
土曜日午前=松本短期大学文化祭へ
午後=寮長会議のため伊那、中原寮へ
夜 =友人の誕生日を祝う。
日曜日未明=帰宅し、討論番組を聞きつつ今に至る。
今日は、机に向かうつもり。漢文学と古典の予習をしよう・・・
でも大学祭の専攻の模擬店から出頭要請が来ている。
さすがに自分だけ何も手伝っていないのはまずいよな・・・
どれもこれも大切な時間だけれど
いくらなんでも一人の時間が少なすぎる。
過ぎ去った時間は、それがベストだった。
いま、この瞬間、一番に自分はなにを優先すべきなのか、
考え行動できるようになりたい。
2007年10月11日
2007年10月10日
金の勘定をしてたら疲れてしまった。
なんだってこんな1円の違いに神経質になんなきゃいけない?
とはいえ仕事は仕事、おのれをだましだまし、していくほかない。
あと少しでこの仕事は終わるのだし。
最近、意味のない言葉があふれてくる。頭が働いているのだかいないのだか。
まるで論理と正反対。
最近、夜更かしをする。朝がいつまでも来ないような気がして。
最近、昼寝をしてしまう。夢うつつの状態が現実になるような錯覚を覚えて。
もう少ししたら目覚めよ。
そう思って正気に戻るのは何ヶ月先のことだか。
新しいバイトでも探そうか。
ぽつぽつ浮かんでくる意味のない戯言を消化しながら、
僕はまだ寝るのを渋っている。
2007年10月8日
絵を描こうと思って、古新聞を机に広げた。
机に座るたび、ぼっとして昔の記事をなにとはなしに読む。
「強い感染力 大流行 ノロウイルス」
「教育再生会議 学力向上を重視」
「ドクさん結婚」
ベトナム戦争で撒かれた枯葉剤の影響で結合双生児として生まれたベトちゃんドクちゃんのドクちゃんのほうである。 兄のベトさんは寝たきりで、弟の結婚もわからないとある。
今日は何度も披露宴の写真をみていた。そして何気なく見たニュース。ベトさんが亡くなったことを知らせていた。
双子よりもっとも近しい兄弟。その相方を失った気持ちは、計り知れない。
2007年10月3日
外には鈴虫の音、窓から吹き抜ける風に秋の深まりを感ず。書物を片手にしばし学問の世界に身を任せ、ふと窓の外に目をやると、ああこれが中秋の名月か、うす雲の中におぼろげに輝き・・・・・・ あ、電話が鳴っている。これは彼女からに違いない、「今すぐ逢いたい」 おおよそ内容は見当がつく。そう直感して、、、そう直感して、、、ん? あれれ?
ふと我に返る。
外から聞こえるのは、どっかの部屋で飲み騒ぐ男たちの叫び声、ないしはマージャン牌のガチャガチャという音。窓のから吹き込む冷たい風はタバコのヤニの香りで部屋をいっそうかき乱し、数学の問題集にもともと素養のない頭は疲れ果て。ふと窓の外を見やると、月の影カタチすらみえぬ。むしろもう新月だ。それだけならまだしも、ぶんぶんと窓を開けた瞬間、進入してくる蛾やら蜂やら蝿やらやら。 ・・・・・電話は確かに鳴った。内容は要約すると「遊んでないで、勉強せい、帰ってこないと、どうなるかわかるな、覚悟しろ?」 実家からである。
あー? それになんだ、だれだ“彼女”って? おまえは何様じゃ。戯けたことを言っるヒマがあったら、数学の問題を解け。なに? 二次関数の解の公式? おぬしはそんなとこまで忘れ朽ちたか!!!
(答弁)それでも昨晩は机に向かったのだ。そうしたら、飲み会に引っ張られ、それでもだ、今日という今日はは2時間机に向かったのだ。そうしていると、昔の悪い癖、普段はなんもやる気がないのに、この場に及んで本が読みたくなったり、絵を無性に書きたくなったり、なんか飲みたくなったり食いたくなったり、風呂にはいりたくなったりするのである。
結局、欲望の思い浮かんだ順を逆にたどり(それも忠実に!)風呂にはいって、飯食って、画材をあちこちから引っ張り出してきて机の上に広げたまではよいものの、いっこうに絵どころか落書きすら書かず、気づけ最近食堂で拾ってきたテレビなんかを見てほくそ笑んでいる自分・・・・・・
最低だ。
僕はまっとうな人間になれない。
これはエジソンだかソクラテスだか、荻生徂徠に言わせるところの<たい落>だ。ええい、「タイ」の字まで忘れてしまった。
アナウンサー:「ええ今月のラジオなんちゃって電話人生相談は、長野県長野市の<月夜のみみずくさん>から、自分の部屋で 勉強が手につかないというご相談です。ははあ、これは大学生さんからですかね。ねー、最近の大学生は、ちっとも勉強しない。私なんかの頃は自分で学費を稼ぎ、これでもかというくらい苦学しましたけれどね。」
月夜のみみずく:「僕は意思が弱いのです」
アナウンサー:「意志が弱い、なんでもこういって言い訳するんですよね、口だけでなにもやらない人間は。おまけに<意志>という字も間違えてる。どうでしょう、先生、ご回答をお願いします。いやくれてやってください。」
心理相談家:「うーむ。処置なしですね。はい、次の相談は?・・・・・」
季節の移り変わりに伴い、かようにして僕の精神状態は不安定である。
2007年9月25日
2007年9月17日
さーあレポートでも書くか、その前に一眠り・・・
と気づいたら空は薄暗く、夕方の四時。また寝過ごしてしまったようで・・・
風林火山を見つつ、大学にこもりパソコンに向かうも、すすまず。
気がついたら棚にあった「実存」やらニーチェの本を斜め読みして、ぼーっとしていた。
うぬ、この世の中、わからないことが多すぎる。
哲学書を紐解いて、いつも思うのは、自分の無学さ。
左も、右もわからない。いや、わかろうとしていないのかも。
あーあ、理解できる頭がほしい。
僕はいつからこんなに頭がわるくなったんだろう。
元からか(#タメイキ)
2007年9月15日
つまり、本音を申すと、みんな、実習の最後に言葉につまって泣いたとか、感動したとか、教師っていいねとか、手紙もらってうれしかったとか、いう、話は、僕の前では、頼むから、しないでくれぇぇぇ、す・る・なぁぁぁ
自分のよかったことはよかったこととして。 まずかったことは、これからまた一年かけて改善するとして。誰とちがってもいい、だれしも自分のペースで、すすめばいい。そのペースをみださないでくれ。
もちろん感動したこと、涙を流したことは貴重な経験だよ。でも心のどこかでは、感動や涙に隠されて見過ごしている何かだって、あるはずじゃないのか。そう思わなくちゃ、嘘だよ。進歩できないよ。
結局、うまくいかなかったから、僕が他と違うから、ひがんで言っている? それも少しは、いや多分にあるかもしれない。醜いね。自分の醜さを知るのはしんどい。月夜のみみずくとて人間。でも・・・・・・そう、次に来ることばは「でも」だ。でも、そういったひがみを抜きにしても、まったく見当違いなことを言っているとは思わない。
これを読んでいて、なにをかいてるかわからない方も多いと思うので、実習の話はたぶんこれで終わりにしたいと思います。失礼しました(mm)
教育実習が終わり、昨日今日はぼんやりした二日間を過ごしていた。
聞くところによると、途中で挫折した友もいたということ。僕の場合は幸い、それほどまで大きな失敗もなく、途中いろいろ壁はあったけれども、とりあえずは最後の日を迎えられたわけだから、幸せなのかもしれない。
最後の週は毎日2時間も眠れなかった。授業に苦戦している様子をみた子どもたちは黙ってポンと肩をたたき、僕を励ましてくれたりした。
「頑張った分、いまは充実感にあふれている」・・・・・・よく聞く話だが、そんな単純な話ばかりではないと思う。正直なところを申せば、実習を終えて、将来自分が教師になってしまっていいのか、子どもためになることなのか、むしろわからなくなってしまった。簡単にいえば、自分なんかが教師になってしまっていいんだろうかと思う。
もちろん別の選択肢を考えているわけでもないから、そういう思いと向き合うのは、つらい。つまるところ、自分が世の中に役に立つか、あるいはまったく役立たずかのどちらかを知ろうとしているわけだから。
実習1週目で、崩れかけていたとき、ある先生からこんなメールが届いたのを思い出した。 Kくんレポート受け取りました。ごくろうさまです。内容はもちろん合格点です。ちょうど実習を振り返るような中身になったかもしれませんね。私が知っているKくんは、教師に向いてないことなんて、ぜんぜんないと思います。それでもKくん自身がレポートで書いているように、悩み揺れることが教師という職業の宿命なのかもしれません。悩み続けられる教師になれたらいいですね。苦しいですけど、やりがいのある仕事です。
・・・実習を通して教師になることを確信した仲間を潔いと思う。同時に自分のほうは・・・と考えると焦る気持ちもおさえきれない。僕はそんなに潔くはなれなかった。先生は悩み続けることこそ、とおっしゃっていた。それが本当なら、この実習はある意味で成功だったのかもしれない。
教育実習Ⅲ期が終わった。
27日(月)
社会 友のために伝えるために知る 近代日本を作った人々の姿
29日(水)
国語 情景をイメージできるように伝える 『森へ』
30日(木)
体育 仲間と支えあい調和する 美と力
社会は渋染め一揆を通じて、江戸時代末期の幕府の衰退を伝えようとしたが、子どもたちの意識は渋染め一揆にあつまったようだった。学習材が差別の問題を含んでいたためだろうか。
国語は流木を通して、さまざまな感覚表現を文に昇華しようとした。数人の子は文章が変わった気がする。発表を断ったある子は「俺が発表する義理はない 先生の胸のうちにしまっておいてくれればいい」と語った。
組体操は、3クラス合同。扇のポイントを出し合い、練習した。なかなか挙手して発言しないのが6年生。勇気を出して、どんな小さななこといい、全体の場で発言することが、本番での演技に大きく響くことを、個人的には一番伝えたかった。
三週目にして、クラスの子とまだまだ大きな壁を感じる。キャンプインストラクター要請講座でゼミの大先輩がいっていた「すべての子から好かれるのは無理かもしれない でも自分がすべての子を好きになることはできる」という言葉を思い出した。
合間に大村はまさんの最期の講演集「忘れえぬことば」を読む。珠玉のことばが、心に響く。表紙の夕暮れの横浜港の絵が、自分の育った故里を思い出させる。毎年、祖母と一緒に花火を見にいったっけ。祖母も小学校の先生だった。最初の記憶は迷子になったこと。最期の記憶は夏休みの宿題のことでいらいらしていたこと。昔、僕も君たちとおなじ子どもだった。そうこうするうちに、いつの間にか大人になった。なにがかわってしまったんだろうか。そこに子どもと壁をつくってしまうひとつの原因があるような気がする。
9月に入り、実習も残り半分をきった。仲間の研究授業があり、それと自分の作業をうまく平行していくことが求められる。
4日(火) 道徳 相手とつながることの喜び
5日(水) 図工 私の願いに色をつける 私のなりたい『木』
7日(金)
社会 友のために伝えるために知る 近代日本を作った人々の姿(2)
子どもたちとの関係は膠着状態。……後輩との関係が悪化し、ただそこにいるだけで針のむしろに座しているような思いをした経験があった気がする。そのとき僕はどうやって乗り越えたんだっけ。
そのとき僕は、ひとりひとりの後輩と、1対1で、片端から、話しかけていったんだった。
40人の子たちたちいとりひとりに、もういちど接しなおしてみようと思う。もちろん、うまくいくとは思っていない。そのときはそのときだ。
2007年8月25日
金曜最後。あるクラスでの音楽授業はなんとか乗り切れた。
予想通り僕は緊張しきってしまい、授業のほうも強引なものになってしまったと青ざめていたら、研究室の先生、担任や音楽の先生、仲間は、逆になんでそんな落ち込んでるの? という風で、励ましてくれ、なんとか平常心を保てた。
リコーダーを必死で練習していたのが結果的に救いになったのだと思う。自分の吹いたへたくそなリコーダーだけは、授業の意図するものを子どもたちに伝えられたと思う。あれがなければ、どうなっていたかわからない。あれがなければ、研究会でも厳しい指摘だけでおわっただろう。そしてたたかれ弱い僕は立ち直れなかったかもしれない。
僕の呪いたくなるほどの悲観的な性格。いつもあだとなる。が、本当のピンチ、というときには、救いになってくれる。
驚き、なおかつ心配なのは担任の先生だ。連続で徹夜をしているようで、休日の今日も、深夜まで学校で仕事をされている。その努力は実習生など比にならない。それでも常に笑顔で教生を励ましてくれる。ここまですごい人はこれまであったことがない。一生のうちでこの先生に出会えたことに感謝したい。頭が下がる思いだ。
2007年8月20日
準備もままならぬまま明日から半月にわたる実習Ⅱ期。
リコーダーとピアノの練習、リズム感のまったくない僕につくのはシャープ・疑問符。
寮の先輩や後輩が手取り足取り教えてくれて・・・
不安、嫌な気持、子どもが怖い、仲間が怖い、先生が怖い、教室が怖い、指導案が怖い、リコーダーが怖い、ピアノはもっと怖い、授業が怖い・・・
これじゃあ実習生の不登校になってしまうね!
月夜のみみずくは、気持ち切り替えて、自分らしさを大事にしながら、マイペースでゆっくりいきます。
不安がいつしか自信にかわりますように。
2007年8月13日

障害をもち、山梨県の作業所や授産園で働くかたたち、施設の職員さんたちと、3日間を、星空輝く森の分校のような場所で過ごした。先週末、木祖村の子どもキャンプの終わり名古屋からの帰り道、二つ返事で参加を決めたこのキャンプ。憔悴していた僕をそれでもと誘ってくれた親友に感謝したい。休みなしの続投8日間であったが、かけがえのない出会いや発見があった。
淑徳大、慶応大の先生方や日本キャンプ協会のプログラムディレクターはいわば日本の野外のプロ中のプロといえる人たちである。要領のよい仕事ぶりに魅せられた。
淑徳大のOBをはじめとするスタッフの方たち。音楽を愛し、人を愛し、自然を愛する。キャンプのありかたの多様性。キャンプのもつ可能性を知った。
ハンディキャップを持つキャンパーの方たちと森の中での3日間を過ごし、私たち人間の、なんといえばいいんだろう……あたたさ、を感じた。生きる意味について考えた。

キャンパーとパートナーになる淑徳大の学生と話し、これからの自分の生き方を少し見つめることができた。福祉の道。教育の道。それぞれ道は違くても、目指すところは一緒なのかもしれない。
最終日の今日、最後の打ち上げの時は、疲れが出て精神的に潰れそうになった。ところが不思議なことがあるもの。そのとき、偶然、高校時代ボランティアをしていた横浜の作業所で働く方から電話があって、励ましてくれた。ちょうど当時の作業所でのことを思い出していたときだったので驚いた。あの人は遠くの地から僕の姿が見えているんだろうか。共時性ということは本当にあるのかもしれない。
……来週からは僕にとって二期目の教育実習がはじまる。不安はなくならないけれど、木祖村の子どもキャンプ、そしてこの障キャンを連続で乗り越えられたんだから、こちらのほうも何とかなるような気がする。必死だった8日間の野外生活で体はぐったりしているけれど、明日からは、遅れている教育実習の準備にとりかかろう。
2007年8月10日
サマーキャンプ IN KISOGAWA を終え、
子どもたち送り、今朝の始発で名古屋から帰ってきました。
ほんとうにいろいろあってここでは書きつくせません。
3年目にして始めて涙をのみました。楽しかったんだけどね。
いつまでもへこたれて立ち止まってられないから・・・
昨晩、友人のリーダーに誘われて、また明日からキャンプボラに参加させてもらうことにしました。
キャンプイン・ざ・ふぉれすと・みずかさききゃんぷ
サマキャンから帰ってきて、8時間後の続投です。
山梨へ出発する夕方まで寮で寝ます。
教育実習の準備はなにもしていません。
2007年8月5日
集中講義が終わったと思ったら、明日から4日間木祖村でサマーキャンプだ~
班の子どもはこれまで経験したことのない13人。名古屋・日進・木祖村の子どもたちの合同班です。
よーし、頑張るぞー。
キャンプにあわせ、普段使わないコンタクトレンズを着用しました。一週間はずさなくても可能な連続装用タイプというボシュロムの新製品をもらってきたので、これで視界良好。眼科医いわく安全性は怪しいらしいけど。
これで、おととしのようにダムで転んだり、去年のようにカヌー転覆するなどのリスクは激減するものと思われます。(それは視力のせいじゃないという説もある。)
・・・・・・心が浮かれてる。冷静にならないと
2007年8月4日
夕方寮にもどって爆睡。
暑さのせいか、またしても次のような悪夢にうなされる(涙)
・・・・・・実習Ⅱ期目。失敗を生かし教材研究しつくしたはずの音楽授業。
直前に座席表をなくしたことに気がつき、あわてて実習生仲間に借りようとすると、
「だらしないな」という顔をされ、貸してくれない。諦める。
そしてチャイムが鳴った・・・とにかく冷静になろう。
開始直後、子ども、開口いちばんに
子ども:「せんせー、こんどは、授業途中であきらめちゃだめだよ」
月夜のみみずく:「こんどは? 僕は前の授業も途中であきらめたつもりはないぞ・・・」
黒板にむかう。あれ? なにをするんだっけ? 思い出せなくなる。 チョークがない。いいやとりあえず模造紙を貼ろう。 はったあとに気づく。あれ、この模造紙じゃない・・・ はがそうとしたが、磁石が割れ、こなごなになってなかなかはずせない。
それどころかなんの授業をしていいのか忘れてしまい頭の中が真っ白になる。鍵盤ハーモニカとリコーダーをめちゃくちゃにならし、実習生の異変に気づいた子どもたちは、ざわざわ。
月夜のみみずく:「なぜ・・・僕はやっぱり・・・」
目覚めて、夢が現実になることを思うと生きている気がしない。プレッシャーに弱いのでこういう夢をみるんだろう。しかし、はたから見るとこれはもはや悲劇をとおりこし、お笑いに近い。こう書き出してみて、やっと落ち着いてきた。しかし今晩はやけに暑/・・・
もし現実でこういうことが起こったら、催眠術でも受けたほうがいいかもしれないね(笑)
2007年8月3日
8月3日、今日をもって21歳になりました。
1986年の今日、深夜帯で出産費用が割り増しになるその直前に僕は生まれたそうです。
だからちょうど今時分でしょうか。
どうして知ったのか寮の仲間が、今、お酒とタバコ(?封筒に入れて)を献上しにいま部屋に押しかけてきました。
友だちってあたたかいものだと思いました。
ふらふらしてます。今は、集中講義の真っ最中。明日までにレポートがあるのに「鏡月」で酔わされてしまって、どうなることやら。朝ははやく起きて書こう・・・
p.s. あけぼの寮のHP管理人を引き継ぎました。こちらのほうも随時更新していくのでよろしくお願いします。http://www.geocities.jp/akebonoryou2001/
2007年7月30日
明日提出の近代文学購読のレポート・・・
さっき食堂へいって一休み。あ、同じ講義を受講してるUさんだ。
月夜のみみずく:「近代文学、終わった? 『破戒』・・・」
Uさん:「破戒じゃなく和解だよ、なにいってんの?」
月夜のみみずく:「は? 破戒じゃないの?」
しばし沈黙のときが流れた・・・・・・
僕が読んだのは
×島崎藤村 『破戒』
ほんとの課題は
○志賀直哉 『和解』
まぎらわしいねん!!! お、おわった。なんという勘違い。朝までに間に合うはずもない・・・
『破戒』のままでいこう。冗談で通じるかもしれない・・・
THE END 僕は単位を落とすかもしれません。
2007年7月29日

昨日は一週間後にせまった
「サマーキャンプ in KISOGAWA 」
の下見のため、木祖村へ行ってきました。
当日名古屋と木祖村の子たちが歩く源流の天然林を、一日かけて歩き、あとは本番を待つばかり。
今年で、この子どもキャンプのリーダーを勤めるのも3年目だ。 ガタくんという、やたら虫に詳しい1年生と同じ班を持つことになっています。班員も15人と増えたので、ちょいと不安ですが、2人でうまく協力していけたらと思ってます。
経験は他のリーダーさんより多いかもしれませんが、
初心に立ち返って、頑張ってきます!
・・・・・・インストラクターの資格もとったしね・・・・・・・
← 写真はガタが発見した
「エゾゼミ」
2007年7月25日
雨がふってきたとおもったら、大きなカミキリムシが、部屋の明かりをみつけ、隙間から入ってきた。追い出すこともせず、さりとて安心していられない。ぼけーっと考えている、こんな晩は・・・・・・
・・・・・・やる気がでんのだよ。今日は試験前の一番大事な講義もさぼって、寮で寝ていた。勉強も手につかん。ただ無為に寝るか、食うか、飲むかしている。家庭教師のほうも教えている子が佐渡へ帰ったため、ご無沙汰だ。これはいけない。廃人への道だ。分かれ道に入ってしまったのはどれくらい前だっけ?
目標を見失ったか? だからこんなに怠惰な毎日を送っているんだろう。
昔思い描いていた夢を思い出してみよう・・・
幼稚園の頃、将来の夢は? ときかれた。すかさず僕は「パンダになる!」と答えた。先生は微笑んだ。親はこのことを知ったか知らんが、以来兄ほど弟に期待しなくなった。この夢はいまだ叶っていない。友達は「警察官」だとか「花屋さん」とかまともな回答を出していた。所詮、この年代の夢は夢で終わるのである。あの友達は、間違いなく花屋さんになっていない。
小学校の頃、僕は何になりたかったんだろうか。忘れてしまった。高学年になると、童話や漫画やらを書くのに没頭していた。小説家になりたかったのかもしれない。
中学校の頃、僕はいっぱしにものを考え、その結果「樹木医」になりたいと思った。人間相手は苦手だから、自然を直してあげたいと思ったんだろうか。
高校時代、夢は他分野に広がる。
あるときは林業につきたいと思った。あるときは詐欺師、あるときは手品師、あるときは旅行会社、あるときは手話通訳士……新聞記者はいまでもちょっとあこがれる。僕は廃部寸前の新聞部の部員で、校内を飛び回っていた。原稿が遅れ、桜木町の印刷所には迷惑かけたよな。
カウンセラーか臨床心理士になりたかった時期が一番長かった。思い出すのは、深夜、ラジオで諸富氏の「生きがい発見の心理学」というのを聴いて、衝撃をうけ、録音して毎日聞いていた。本も、やたら読んでいた。環境に甘んじて、大学もその方面で進めたら、と思っていた。
いよいよ志望校を絞らなくてはならなくなったとき、僕は教育学部を選んだ。教師にはなりたくないと思っていたのに……なぜだろう? これだけはっきりとしない。直感? みたいなものがある日あって、それからは迷いがなかった。
高校3年の3学期、僕は学校に行かなくなった。不登校ではない。大学に早くから受かってしまって、さりとて勉強するのもいまさら馬鹿らしい、ということで毎日、横浜元町にある染物関連の作業所で働いていたのである。ここは障害を持つ人たちが、一般就労できる日を待つ、止まり木のようなところだった。作業所といっても、すごく温かみのある場所で、僕はすっかりここに溶け込んでしまった。そこに在職していた人やボランティアの方とはいまも連絡をとっている。
こんなしょうもない日をおくった晩などは、いまでも帰りたくなってしまう、そんな場所だった。
あーあ……試験すっぽかして、いっそ帰っちゃおうか? それはやっぱりできない。
2007年7月24日

あゝ、穢多の子といふ辛い自覚の味を知らなかつた頃―――思へば一昔―――其頃と今とは全く世を隔てたかの心地がする。丑松はまた、あの長野の師範校で勉強した時代のことを憶出した。
未だ世の中を知らなかつたところからして、疑ひもせず、疑はれもせず、ひとと自分とを同じやうに考へて、笑つたり騒いだりしたことを憶出した。あの寄宿舎の楽しい窓を憶出した。舎監の赤い髭を憶出した。食堂の麦飯の香を憶出した。よく阿弥陀のくじに当つて、買ひに行つた門前の菓子屋の婆さんの顔を憶出した。夜の休息を知らせる鐘が鳴り渡つて、やがて見廻りに来る舎監の靴の音が遠く廊下に響くといふ頃は、沈まりかへつて居た朋輩が復また起出して、暗い寝室の内で雑談に耽つたことを憶出した。
終には往生寺の山の上に登つて、苅萱の墓の畔に立ち乍ら、大な声を出して呼び叫んだ時代のことを憶出して見ると――実に一生の光景は変りはてた。楽しい過去の追憶は今のかなしみを二重にして感じさせる。
『あゝ、あゝ、どうして俺はこんなに猜疑深くなつたらう。』
斯う天を仰いで歎息した。急に、意外なところに起る綿のやうな雲を見つけて、しばらく丑松はそれを眺め乍ら考へて居たが、思はず知らず疲労が出て、『藁によ』によりかゝつたまゝ寝て了つた。
(『破戒』より 瀬川丑松が昔を思い出す場面)
日暮れ時ようやく目覚め、男子棟の屋上にのぼり、ここ「妻科」の昔をしのんでみる。
「門前」とはいうまでもなく善光寺界隈のことをさし、「往生寺」というのは、僕はまだいったことがないが、善光寺の西、教育学部の裏手の山にある古刹である。
「寄宿舎」とはこの寮の前身のことであろうか。先日、この寮を生まれた頃から知っている職員さんにきいたところ、昔は隣接するの商業高校の敷地まで広がっていて、木造校舎の寮の隣には大学の職員の官舎も建っていたということである。寮生の数も、今とは比較にならないほど多く、賑やかであったらしい。
2007年7月23日
主人公の瀬川丑松は被差別部落出身の小学校の教員。モデルは、長野師範をでた実在の人物だったというから、つまるところ信大教育学部の出身ということになる。
長野に来て、教育学部学部に入って、なぜ僕は今日までこの作品を読む機会を逸していたのだろう??
試験とレポートをわき目に、部屋にこもって読み始めてしまった。最良にして最悪のタイミング……朝までに読み終わるだろうか??
2007年7月20日
午前、徒歩5分の場所にある大学のプールに、実習先の子たちが来るというので、応援しに行きました。新潟の地震で、谷浜での遠泳会が中止になってしまい、急遽大学でやることになったようです。
3グループに分かれて、「えーんやこーら」の掛け声にあわせて、15分ほど泳ぎ続けます。
僕は小学生のころ泳げなかったので、途中であしをついてしまう子へむけて、声が枯れるほど応援してしまいました。1学期の練習の成果を出し切った子どもたちはの表情は晴れやか。
「動きを合わせて 心を合わせて 仲間と築く エンヤコラ」
・・・・・・プールサイドには、6年の実習生たちで作って届けた巨大な横断幕も(太陽は僕が描きました)。 大海原ではなく、地元のプールでのお披露目?となってしまいましたが、はたして思いは届いたのでしょうか・・・
最初はどうして信大で? と思ってましたが、そこには中止にはなったけれど、せめていつもとは違う場所で、鍛錬会をやろうという、先生方の配慮があったようです。
2007年7月18日
夕方、事務室でぷらぷら遊んでいたら、来客。
血液センターのおじさん:
「AB型の血液が足りないんです、放送かけてもらえませんかねえ」
月夜のみみずく:
「はい・・・(ガチャ)・・・えー、AB型の人は事務室までお越しください。血液センターの方が来ています。そのまま車で連れてってくれるそうです。」
血液センターのおじさん:
「じゃ、ちょっと待たせてください」
月夜のみみずく:
「あ、はい。 (車で連れてってくれる? 大丈夫かな・・・)」
疑っちゃいけないのだろうけれど
・・・ちょっと心配になってしまう、そんな世の中。
公民科のゼミで、平等権についての教材研究の発表があった。そのなかで「差別」が話題にのぼった。外国人差別、民族差別、同和問題、障害を抱える人や病気を持つ人への差別・・・これらを「道徳」ではなく、「社会科」の授業で扱うとなると、どこに着眼すればいいのだろうか。
あるいは次のようなことは差別に当たるのだろうか。
・女子校、男子校があること。
・盲導犬を許可し、ペットの連れ込みは禁止すること
・男性ないしは女性のみのテニスクラブ
・男性限定のバス運転手募集・・・
差別の境界線は考えれば考えるほど、分からなくなる。先生はそれを考えることが「道徳」とは異なる「社会科」の視点なのだとおっしゃっていた。
それはさておきだ。 じつは、大学生のなかでも、特定の人に対して差別やいじめのようなものがある。 最近僕は、集団がある人の陰口を言って、じつに楽しそうにしているのを見た。本人が聞こえているのを知って、廊下で聞こえよがしに「空気が読めない」などと悪口を言ったりして喜んでいる。
この人たちが将来、教員になる。
子どもたちに接することになる。
いじめに直面することになる。
俄然、教員志望であることを疑わない人たちだ。 正直に告白すれば、目を疑ってしまう。・・・・・・もちろん僕自身、自分の生活や行いを改めて見直すと、その欺瞞に嫌気が差すことがある。だから人を、しかも匿名のブログという場で、忠告するまえに自分を律しないといけないのだろう。
でも・・・・・・
特定の人を貶めて、自分たちの連帯を強めようと働くのは、古来から変わらぬ人間の本能かもしれない。けれどもそれを理性でもって自制するのが人間でもあるだろう? 教養のある人たちが・・・そうじゃないのか? 批判ばかりが出そうになる。
そんななか、ついに今日、その槍玉にあがっている人物について「おまえはどう思う」ときかれた。ようは加担するように求められた訳だ。
拒絶すれば自分が危険。
でもそれを許すことは、加担することになってしまう。
そこで僕がしたのは・・・・・・中立の立場をとって逃げるということだった。処世の知恵がついてしまった自分が恨めしい。
いま、学校での深刻ないじめが社会問題化している。自分自身、小学生のとき、人をいじめた経験があるし、いじめられた経験もある。いじめられたときも、いじめたときも、深い心の傷が残ったので、この歳になって、絶対にしないと心に誓っている。 ただ、今日、中立とはいえ、「逃げた」自分のことである。僕はこのままだと、教師になって、子どもを守ることができないかもしれない。
・・・・・・今日は本当に悔しい思いをした。
・・・・・・人と自分の嫌な部分を見てしまった。
2007年7月17日

今日は信濃大町にある山村留学施設に見学に行きました。
小学生から中学生まで、30人の子どもたちと地元の山に登ります。
ここには神奈川や東京、埼玉といった首都圏からきた子どもたちが、数年間親元を離れ、村の農家と施設で暮らしています。
登山中、新潟で大きな地震があったという報せを聞き、心配しましたが、僕の住む長野市は揺れも小さく、無事でした。寮の一回の壁にひびが入ったようですが・・・
ただ、すぐ近くの飯綱ではかなり揺れたようなので心配です。
前日の夜中、鳥が騒いでいたので、もしやと思っていましたが、まさか本当に地震が来るとは。
2007年7月14日
2007年7月11日
夕方寝て、立て続けに悪夢をみる。乗ってる電車が暴走したり、刺されたり、授業に失敗したり、京都大学の院にはいろうとしたが英語ができなかったり、スイカが壁から生えてきたり・・・・・・なんだか僕、精神的に追い詰められてるよ。
夢から覚めて、ああそうだ。今晩は寮費2ヶ月分を集める日だった。
部屋へ戻って集めた300枚近いお札を数える。
115、116、117と・・・
月夜のみみずく:「足りない・・・ぴったり1万円・・・どこへ消えた?」
探す探す。必死の形相。足りない。
あった。封筒に1枚入ってた。・・・・・・夢でなくてよかった。
2007年7月9日
2007年7月8日
なんのために、いままで学び、経験してきたんだ? わからない。
最後の日の下校時に、あまりに混乱していた僕に、担任の先生がこんなことを僕に言ってくださった。
とにかく、休もっ。そして驕りをすて、謙虚になって、初心に立ち返ろう。
僕のほうはといえば、ため息ばっかりして。足元ばかりみて。おまけに道に迷ったりして。
・・・・・・ああ・・・・・・いまどきの観光客は犬を連れて歩くのか。
2007年7月2日
サマキャンの保護者説明会で名古屋・木祖村からへんへなになって帰ってきて、今日は実習初日。
六年生のクラスです。とにかく初日から失敗の連続。夜からやらなきゃいけないことも山積・・・
でも、すごくやさしそうな担任で、心配だったグループもなんとかうまく行きそうな気がする。
早く40人の名前も覚えないと・・・大学生活でもっとも忙しい一週間がはじまった。
『副校長講話の感想』
一番印象的だったのは、副校長先生が「安心して学べ、自分を輝かせられる授業づくりをするには?」という質問を投げかけられたときのことです。「一人一人の意見を尊重する」「どんな小さなつぶやきも拾える人」・・・指名される教生は、次々に「なるほど」と思える意見を述べていました。・・・・・・そして三人目あたりで、ある教生が指名され、彼も皆と同じように発言しました。このときです。「聞こえない、もう一度」、つづいて「じゃ、次の人」と副校長先生がおっしゃられたとき、私は半ば無意識に冷たいものも感じたものの、緊張もあって、そのまま深く考えることもなく流してしまいました。
ところが直後に先生は、その教生に謝られ、それが意図的にやったものだということがわかりました。実際の場面で、実習生が子どもたちの意見を聴くときに、やってしまいがちな行為を、講話の中で示されたのです。
思えば、私自身、小学校から大学にいたるまで、幾たびこのヒヤッとした、裏切られたような思いをしてきたことか。自分の必死になって言葉にしたものが、いい加減に「聞かれる」ことの痛みに慣れすぎて、鈍感になっていたことに気づかされました。自分では気づかなくとも、そして、たとえ悪意がなくとも、何気ない教師の言葉やしぐさが見えない暴力となり、子どもを少しずつ、そしてまた深く傷つけてしまう恐ろしい事実を認識させられました。
私は、大学のゼミでよく建前だけの理想論を言ってしまう自分が嫌いです。そしてそれを言う人もまた疑ってしまいます。なので「講話」というだけで、正直に白状すると身構えていました。ひねくれた自分です。けれども、このように実感を伴って考えさせられるお話は、身にしみて反省させられました。
「子どもの意見を“聴く”ことは、とても難しいこと」
今朝の講話で、私が心に刻み込んだことです。
これから指導案を作って授業をするにあたって、よく「教生の授業は失敗して当たり前」と慰められます。そうかもしれません。しかし、ときに、それが小さいながら、積み重ねれば取り返しのつかないものになることもあるのです・・・それが、実習生といえど、生身の子どもたち関わる際に生じる責任なのだと思いました。
僕のよく知っている大学の教官が先週、問題を起こし、辞職した。
そのニュースを先週末、松本行きのバスのなかで聞いた。
名前を聞いて鼓動が高くなった。
新聞報道や、ネット、学生間の噂など、さまざまな情報が飛び交っている。どれが真実かどうかは誰にも分からない。
今日の夕方、その件で、集まりがあり、そこで嗚咽して泣く友だちを見た。
真実は当事者にしかわからない。少なくとも、その教官が、黒か白であるかという単純な問題ではないことは確かだ。冷静に判断したくても、確かな情報がない限り、どうすることもできない。
ただただ、この先の進展を見守るばかりだ。 自分のこと以外で泣いたのは、いつぶりのことだったろう。
夜。家庭教師。家に着くと、その子はおばあちゃんと口争いをして、いらいらしていて、泣きそうだった。
どうしよう・・・・・・
「今日は勉強しても見に入らないし、止めようか」と僕はいった。
その子は、うん、とうなずいた。
「僕は中学生のときね、理由もなく、家族がうとましかったことがあったよ。いまはね、そんなことはないんだけど」
そんな話をしていると落ち着いてきた。一緒に英語の宿題をやり始める。
「僕は来週から実習で6年生のクラスに入るんだけど・・・」、とこの前まで6年生だったその子に話しかけた。いつも疲れているのか口数が少ないその子はめずらしく、僕にいろいろ教えてくれた。
もし僕の家庭教師が理由で泣いていたのならごめんね。やっぱり負担なのかな?
帰り際、お母さんが「毎日娘とのバトルです」といって笑って見送ってくれた。
もうじき7月だ・・・・・・・
2007年6月25日
長野県キャンプ協会主催
キャンプインストラクター養成講座
2泊3日の行程を終え、無事、試験パス!
受講者は、8名。(実はみんな知り合い)
もちろん、この肩書きを持っているから何かができる、というわけではないけれど、この合宿で数え切れない経験をした。

さまざまな状況での「子ども」目線のリスクを考えたり、理想の指導者とはなにかを考えたり。実技もテントの貼り方からホワイトガソリンランタンの扱いまで幅広い。特に旧式の取り扱いが難しい。

夕食は王道のカレー。ただしバナナを使った創作料理つき。バナナ餃子、バナナクレープ、バナナ餡蜜、バナナお好み焼き。短時間でアイディアを出し、そしてカタチにすることの難しさ。楽しさ。

キャンプファイアーを立案。お題は「いままで見たことのないキャンプファイアー」 限られた時間の中、全員でプログラムを考えていくのは至難の業。本番は「恥」をすてて、演技をしたり、踊ったり。自分の殻を破るためには相当の覚悟がいる。
最終日。「テストするぞ~
※カンニング厳禁」
ん? 「ミニマムリスク?」「リーブノートレース?」・・・え? この時点で初耳の用語満載・・・大丈夫かいな。
キャンプのスキルを知っただけでなく、なによりも現時点での「自分の能力」と今後の課題を知ることができたと思う。
2007年6月22日
夕方から、三日間のあいだ、電波の入らない山に入ります。
長野県キャンプ協会の養成講座で「キャンプ指導員」という資格を取ってきます。
・・・・こんなインドアな僕でも試験通るんかな?(笑)
せめてキャンプの似合うおっさんになってこよーか?(爆)
2007年6月20日
近代文学講読の課題、森鴎外の『青年』を読む。 (余談)鴎外といえば高一の夏休み、一人で何日もかけて山口の津和野にいったことを思い出す。知る人ぞしる夜行臨時列車「ムーンライト八重垣」に乗ったんだった。 京都発、出雲ゆき。 隣に座ったのが若い女の人でなくて(笑)、中年のおっさんだったから当時の僕はがっかりしたのをはっきりと覚えている。そのかわり隣り合わせのおっさんと妙に意気投合。 朝日の差す列車の中で、そのおっさんから友情の証としてもらったカレーパンに食あたりし、腹痛と嘔吐に悩まされたのが、そう、津和野ユースホステルでの夜だった。 カエルの声と階下の大学生くらいの男女の、明るい談笑が聞こえるなか、便器に顔突っ込んで「おえー」・・・・死にたいくらい孤独な夜だった・・・・・・・ ↑ (こう書くと笑われるかもしれんけどね、ほんとに泣きたいくらい寂しかったんだよ~! 男子校のそれも、思春期、といえば聞こえはいいが、実際のところのまだ子どもが、年賀状配達で稼いだわずかな資金で、一人で旅している、それも初めて訪れた地で、激しい吐き気をこらえている夜のあの心境、分かります? 「人は一人で生まれ、一人で死んでゆくもの」 結局はそういうことなんだってことに気づいたよ。16歳だった。)。
口語体で書いてあるので読みやすいが、なにしろ文学青年の話なので、途中からさっぱりわからない。
仮に、何年か浪人して、毎日図書館にでも通っていたのなら、あるいは読めたかもしれない。だが、今の僕にとって文学とは、生活とは縁のない、不可解な世界でしかない。
おっさんは確か奈良の人で、訳ありの人であった。行き先は僕の目的地より遠い「福岡」。結婚していないが、「愛する人」に会いに行くのだ、といっていた。
(ああ、思い出した・・・・・・深夜一時ごろ、岡山駅で数十分の停車時間があり、そのおっさんと下車しビールを買いにいったりした。駅に戻ると入り口のシャッターが閉まっていたりして、あわてたっけ)
ともあれ、津和野にきた翌日、吐き気をこらえ、ぼくは自転車を借り、津和野市街にある鴎外の生家にいった。そこで、鴎外の「遺書」(作品ではなく文字通りの遺書)の模造品を購った。
文学的関心というより、友人への土産話として。
・・・課題は主人公の小泉青年はなぜ小説を書くことを断念したかということである。まだ全部読んで いないのでなんともいえない。それより、忘れかけていたことを思い出させてくれた。
2007年6月18日
入院している友だちがいる。病院だから届かないかもしれないなと思いつつ、メールをしてみる。大学の講義からのちょっとした連絡事項があったから。 そのあと浅い眠りにおち、日づけが変わっていま目が覚めた。我ながら最近寝すぎだ。夢を見る。
それとなく、様子を聞いてみると、外出も許可され、だいぶ落ち着いているとのこと。いままでは外出できなかったのだろうか? 短い文面からは分からないけれど、落ち着いている感じは伝わってきた。実習の一週間目が終わったら、だれか誘って、お見舞いにいこうかと思う。
僕は教室の窓側に立ち、なにか子どもたちと一生懸命やり取りしている。阪神大震災から復興した街を紹介するビデオなどを見たあとだった。
帰宅すると、なぜか私の父親がいた。父親はパソコンに向き、文字どうり、僕は父の背中を見ている。父は今日のクラスの答案らしきものに朱を入れている。僕はいくつか質問する。それとまだ初日なので、子どもの名前が分からず、クラスの座席表が欲しいと頼もうと思ったが、怒られるような気がして言わなかった。
・・・・・つまり僕の父親の受け持つ小学校のクラスで教育実習が始まったらしい。おそるべきことに指導教官が父親なのである。
僕は実家に帰っても、父とはほとんど話さない。父は教員だが、現場で働いているところは見たことがないし、愚息が教育学部にはいっったときも、何も言われなかった。まして自分の学校や教育について語るなんてことはなかった。
したがって、中高時代、僕は教師にだけはなりたくないと思っていたものだ。現在学んでいることを世の中に生かせない教師は生産性がないような気がしていた。それでも、毎晩遅くまで答案やら通知表やらに向かっている父親の背中を見つつ、(軽蔑もしつつ)、高校を卒業して、いつの間にか自分も教師を目指そうとしているのだから不思議な話だ。
まして親父のクラスで実習する夢を見るなんて。余談だが夢の中の父親は僕の知っている現実の父親より、尊敬に値する人のように思われた。
2007年6月13日
四階に潜む一匹を発見。
えいっと気合の一撃、ひらりと身をかわしたゴキ。
月夜のみみずく、まだまだ余裕の表情。
するとゴキ、今度は穂先にへばりつき、必死の反撃の出た。
あろうことか・・・
ぐ、くるなーーー (大汗)
あわてて叩き落とさんとするも、なかなか落ちぬ。
・・・・・・三階へと消えていった。すまぬ、三階の人たち。これで二回目だ。
2007年6月11日
・・・・・・門のコスモスがほら! こんなに成長してるよ。
疲れた顔で寮を出入りする教育実習生に、ほほえみを取り戻してもらうために植えたこの生き物・・・
ありゃ? 4年生の応用教育実習はもう今日からだよ。
月夜のみみずく:「早く咲かないかな・・・ノブキは雑草を育ててるとおもわれる」
「大輪コスモス」という品種で、綿半で140円もしたやつだから、きっとアサガオみたいな大きな花を咲かせるんだろう。いやいや、アサガオといわず、ヒマワリくらいはいくだろう。
月夜のみみずく:(ヒマワリみたいなコスモス! ヒマワリみたいなコスモス! ぶつぶつ・・・)
2007年6月10日
教育実習の関連本を読んだり、指導案のフォームを作ったり、部屋を整理したりするうちに、ふと、昔の日記を書いた紙片を見つけた。
読んでいると、学業や人間関係の不安やら、将来への希望・絶望やら、はてまたラブレターらしき草稿まで出てきたからおったまげたもんだ。人並みに揺れた我が思春期の記録!・・・・・・人間、これほど人に見られて恥ずかしいものはないと思う一方で、「よくぞ残しておいてくれた」と当時の自分に言いたくなる。
恥を忍んで僕が書いた日記を高校生あたりの所から適当に抜粋してみよう・・・このブログの目的は「自己省察」であるから・・・・しかしまあなんと悲観的なことばかり(涙)。
【高1の10月】
▼夕方、化学をちょっぴりやる。おそろしく進まぬ。
▼そういえば数学の試験が返ってくる。おそろしく、否、悲しい得点である。20点。べつにどうということはない。中1のころだったら、ショックで暗々たる心境に陥っていたに違いない。いや、中1でこんなひどい点は取らなかった・・・。
僕は理数系がだめだった。この日の日記はノート3ページも書いてある。よく見ると試験の当日の未明にだ。「べつにどうということはない」と書きつつ、やっぱりくよくよ気にしていたんだろうな。
【高2の6月】
(前略)・・・しかしどれもできそうにない・・・の失敗以来今日に至るまでなーんもやる気がない。勉強もしてない。一日十時間も寝てる。どうにかしないと・・・あせっているだけでもうだめだ。本当にもう助けてくれ。生きがいなんてない。毎日が苦痛である。何もしていないのに。相変わらず人とよく話ができない。人が怖い。もうだめなんだよ。でも“だめ”ではだめなのである。それが心を苦しめる。はたして日本中で自分のように情けない事情でこんなに苦しんでいる阿呆はいるのかな。
2つの部活を掛け持ち、受験も意識し始めたころ。やる気のなさと重圧が比例し、精神的につらい時期だったんだろう。
【高2の1月】
(前略)・・・自分は他人の(家族の)前では普通に見えるが、実は一番狂っている。コーヒーのカフェインとアルコールでもはや脳細胞はかつての半分もないのではないか。ともすると心は重く沈み、何もやる気がなくなり、生きているのさえつらくなるが、死ぬつもりは毛頭ない。ただ何かを待っている。(中略)・・・ただこんな毎日がずっと死ぬまで続くと思うと、もう嫌でたまらない。 自分のことばかり考えていると不幸になる。けれども自分以外の誰のことを思ってあげられるというのだ。受験勉強は百%完全に自分のことである。自分が合格すれば一人が落ちる。自分中心の自分のためだけに勉強するというのは、つらく、つまらないものだ。(といって自分のためになっているのかさえ怪しい。)今、いろいろとつらいのは自分に忠実に生きていないからかもしれない。親の目、教師の目、世間の目を気にしているからにほかならない。早く自由になりたい。他の人の目からすれば・・・また他の人だ! もう他人の目なんか気にしたくない! 実はだれも自分をみていなかったりするのである。どうしようもないときはただ忍ぶしかない。
今だからいえるが、僕は齢17にして親からくすねた酒を飲み、憂さを晴らしていた。しかも日本酒にして2合くらい、毎日のように飲んでいた。皆勤が取り消しになった唯一の欠席は「2日酔」である。信州に引っ越す時、隠しためた発泡酒の缶が天井裏から大量に出てきたときは、さすがに自分で呆れてしまった。
しかしなにはともあれ、いわゆる危機の時代を乗り越えることができたからこそ、いまここに僕という、まあさえない人間がいるのである。思えばいちばんものを考え、真剣に生きていたのは高校生の頃だったかもしれない。5年が過ぎ、将来を決めるであろう教育実習を前にして、また自分に真剣に向き合わざるをえない時が来た。真剣であるぶん、しんどさも大きくなる。今度も僕は乗り切れるだろうか。
2007年6月7日
私が、小学校4年生のときに、不安でいっぱいな気もちで転校してきたとき、まっさきに仲良くなった友だちがいた。私も彼も絵が好きだったので、ある日の昼休み、当時はやっていた長野オリンピックの原田選手の大ジャンプの絵を一緒に描いたり、競走馬「セイウンスカイ」の絵を描いたりして遊んだことが、まるで昨日のことのように鮮やかに思い出される。中学からは別々の学校へ進み、それから会うことはなかった。ひとづたえに彼の様子をきくたび、あいつも故里でがんばってるんだな、自分もこの土地でがんばんなきゃと思った。
今朝この通信をかいているときに、私の母親から電話があり、その友だちの訃報を知った。電話口に言葉をかえせない。別々の道に進んで、その途上に何があったのだろうか? 何も分からない。 私に思い浮かぶ友だちの姿は、分かれて以来、小学校6年生のままで時を止めている。一緒に水槽の水を使ってふざけて遊んだこと、顔を真っ赤にして怒っていたこと、バスで一緒に塾に通ったこと、「けんかをしてるでしょ」と女の子に言われ、「そんなことないよ」と2人で弁解し、仲直りしたこと。そういった記憶の断片が、次から次へと思い出され、苦しいような寂しいようななんともいえない気持ちになる。思えば、私にとって小学校時代がもっとも友だちに恵まれ、励まされていた。自分にも友だちにもいちばん素直でいられる頃だった。
私がなにかをいえる資格はない。ただ一生のうちの一時期を、親友として過ごせたことに感謝している。
ご冥福を祈ります。どうか、天国でも、僕たちが子どもだったときのような素直なあなたでいてください。
2007年6月6日
やっぱり僕ってちょっとおかしいんじゃないだろうか? それに気づかないのは、回りの人がいつも気遣ってくれているから、なんじゃないか? うすうすおかしいと思っていたけれど・・・自分は普通の人だと思っていたけど・・・・・・。今日も普通に発言したつもりだったが人から笑われる。僕ってちょっと変ですか? これでも一生懸命生きているつもりなんだけど。いつかこんな日が来るんじゃないかと恐れていた。
・・・・・・でも、そんな日もあるさね。今日まで生きてこれたんだから何とかなるよ。
大げさだよな。まるで明日、死ぬ人のようなことをいっている。
人から危害を加えられたわけでなし。
病気をしているわけでなし。
借金を抱えているわけでなし。
食べ物に困っているわけでなし。
雨に濡れたら乾かせばいい。
泥まみれになっても洗えばもどる。その程度だ。
どうしようもない、どうにもならない、なんてことはない。
また他人を苦しめている立場にあるわけではない。幸いに。
僕は恵まれている環境にある。ただ感謝することを忘れている。人とつながっていることを忘れている。
寝て、元気を取り戻そう。四時に起きれば大丈夫だと思う。それに、「眠れる」ってことは、僕の精神がまだまだ正常の域だってことだろう。
昨日、今日、多くの課題をこなした・・・
・・・・・ドイツ人の学生バックパッカー2名を寮に連泊させる。伊那の友だちから急に連絡があり、急遽止めてほしいと頼まれたからだ。来寮者規約を遵守しなかったため、寮生から裏で厳しく注意をうける。問題になることは分かっていた。でもどうしようもなかった。英語にかなりのコンプレックスを抱いていたが、案外その気になればコミュニケーションがとれるものだと知った。彼らは明日、東京へ発つ。
・・・・・旅人の受け入れで、あたふたしていても、大学の課題はやらなければならない。「自然だより」と公民ゼミの発表レジュメ・スライドを徹夜で作り上げる。
・・・・・・家庭教師。毎日の部活で疲れきっているその子。初めての中間試験、成績は僕に見せられないほど。結局今日は疲れていたので三十分で終わることになった。成績を上げることが勉強の目標になると、面白さも色あせる。どうやってつかれきった子のやる気をひきだすことができるだろう?
・・・・・・帰りに妻科神社の神木に寄りかかって話しかける。・・・と一匹のゴキブリが僕に寄ってきた・・・青ざめて寮に帰ると、僕の部屋の前にも1匹。「仲良くしようぜ」といいつつ、さりげなく階下へ落とす。
・・・・・・夜寮の会議。二か月分の寮費が僕の手元に。ゆうに200万ある。万札ばかりではないから、重ね合わせると、大変なかさになり、何度も数えなおしては、青ざめる。こんなもの部屋にあったら何が起こるかわからない。封筒に分けて、明日、82へ現金輸送だ。
ちびへびは急いで家にもどり
おうちの中から鍵をかけ
燃え残りの蚊取り線香のようにまるくなって
ねむった
でも・・・・・・
課題があるのだもの、あんまり寝てられないよ。明日は実習の舞台となる長野附属小へいく。
2007年6月3日

6月2日(土)
飯縄山へ
今日はまた素敵な家族に会いました。
原付で飯縄高原にある寮の先輩の実家へ。先輩のお父さんに案内されて、ネマガリタケ(チシマザサの若芽)をとりにいく。
深い山に笹をかきわけかきわけ、3時間ほどで、沢を登る。樹齢百年を超える、栗の木があったり、30mをこす巨大なホウバの木があったり。
地元のひとの呼称で「イライラ」という毒のあるとげのある山菜や、わさびの味のするクレソン、ヨブスマソウという「幻の山菜」も見つかり、午後は広大な畑で農作業を手伝った。おじいちゃんおばあちゃんから愛犬まで、先輩とどことなく似てたりして・・・・・
ネマガリは寮に持って帰って、寮生と夕飯に。サバ缶を入れた味噌汁とホクホクしたネマガリタケが絶妙です。先輩、素敵な休日、どうもありがとうございました。
6月3日(日)
黒姫山へ
次の日は、ゼミの仲間と3人と昨日の飯綱山の近くにある黒姫山へ登山! 長野市に住んでいると、その気になればすぐに山に登れてしまう。残雪も少しあり、山頂付近ではまだ桜が咲いていた。
昨日は原付で飯縄までいったのだから、今度は一人で来て登ってみようと思う。

山頂のプレート 黒姫山2053m
←これが本物の「エンレイソウ」。花が黒い。この前の山菜キャンプでの写真は「シロバナエンレイソウ」。











