今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

さようなら

2007年6月7日

 

 私が、小学校4年生のときに、不安でいっぱいな気もちで転校してきたとき、まっさきに仲良くなった友だちがいた。私も彼も絵が好きだったので、ある日の昼休み、当時はやっていた長野オリンピックの原田選手の大ジャンプの絵を一緒に描いたり、競走馬「セイウンスカイ」の絵を描いたりして遊んだことが、まるで昨日のことのように鮮やかに思い出される。中学からは別々の学校へ進み、それから会うことはなかった。ひとづたえに彼の様子をきくたび、あいつも故里でがんばってるんだな、自分もこの土地でがんばんなきゃと思った。
 今朝この通信をかいているときに、私の母親から電話があり、その友だちの訃報を知った。電話口に言葉をかえせない。別々の道に進んで、その途上に何があったのだろうか? 何も分からない。 私に思い浮かぶ友だちの姿は、分かれて以来、小学校6年生のままで時を止めている。一緒に水槽の水を使ってふざけて遊んだこと、顔を真っ赤にして怒っていたこと、バスで一緒に塾に通ったこと、「けんかをしてるでしょ」と女の子に言われ、「そんなことないよ」と2人で弁解し、仲直りしたこと。そういった記憶の断片が、次から次へと思い出され、苦しいような寂しいようななんともいえない気持ちになる。思えば、私にとって小学校時代がもっとも友だちに恵まれ、励まされていた。自分にも友だちにもいちばん素直でいられる頃だった。
 私がなにかをいえる資格はない。ただ一生のうちの一時期を、親友として過ごせたことに感謝している。


 ご冥福を祈ります。どうか、天国でも、僕たちが子どもだったときのような素直なあなたでいてください。

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