今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

入院している友だちと教育実習の夢

2007年6月18日

 

 入院している友だちがいる。病院だから届かないかもしれないなと思いつつ、メールをしてみる。大学の講義からのちょっとした連絡事項があったから。


 それとなく、様子を聞いてみると、外出も許可され、だいぶ落ち着いているとのこと。いままでは外出できなかったのだろうか? 短い文面からは分からないけれど、落ち着いている感じは伝わってきた。実習の一週間目が終わったら、だれか誘って、お見舞いにいこうかと思う。


  そのあと浅い眠りにおち、日づけが変わっていま目が覚めた。我ながら最近寝すぎだ。夢を見る。



  教育実習中。六年生くらいだろうか? だいぶ外が暗くなってきているか、あるいは雨なのか、教室全体がは蛍光灯の明かりに中につつまれている。

  僕は教室の窓側に立ち、なにか子どもたちと一生懸命やり取りしている。阪神大震災から復興した街を紹介するビデオなどを見たあとだった。

  帰宅すると、なぜか私の父親がいた。父親はパソコンに向き、文字どうり、僕は父の背中を見ている。父は今日のクラスの答案らしきものに朱を入れている。僕はいくつか質問する。それとまだ初日なので、子どもの名前が分からず、クラスの座席表が欲しいと頼もうと思ったが、怒られるような気がして言わなかった。




  ・・・・・つまり僕の父親の受け持つ小学校のクラスで教育実習が始まったらしい。おそるべきことに指導教官が父親なのである。
 
  僕は実家に帰っても、父とはほとんど話さない。父は教員だが、現場で働いているところは見たことがないし、愚息が教育学部にはいっったときも、何も言われなかった。まして自分の学校や教育について語るなんてことはなかった。


  したがって、中高時代、僕は教師にだけはなりたくないと思っていたものだ。現在学んでいることを世の中に生かせない教師は生産性がないような気がしていた。それでも、毎晩遅くまで答案やら通知表やらに向かっている父親の背中を見つつ、(軽蔑もしつつ)、高校を卒業して、いつの間にか自分も教師を目指そうとしているのだから不思議な話だ。

  まして親父のクラスで実習する夢を見るなんて。余談だが夢の中の父親は僕の知っている現実の父親より、尊敬に値する人のように思われた。

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