今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

鴎外『青年』 と 食中毒になった「少年」

2007年6月20日

 

 近代文学講読の課題、森鴎外の『青年』を読む。

口語体で書いてあるので読みやすいが、なにしろ文学青年の話なので、途中からさっぱりわからない。

仮に、何年か浪人して、毎日図書館にでも通っていたのなら、あるいは読めたかもしれない。だが、今の僕にとって文学とは、生活とは縁のない、不可解な世界でしかない。

(余談)鴎外といえば高一の夏休み、一人で何日もかけて山口の津和野にいったことを思い出す。知る人ぞしる夜行臨時列車「ムーンライト八重垣」に乗ったんだった。

京都発、出雲ゆき。

隣に座ったのが若い女の人でなくて(笑)、中年のおっさんだったから当時の僕はがっかりしたのをはっきりと覚えている。そのかわり隣り合わせのおっさんと妙に意気投合。

朝日の差す列車の中で、そのおっさんから友情の証としてもらったカレーパンに食あたりし、腹痛と嘔吐に悩まされたのが、そう、津和野ユースホステルでの夜だった。 カエルの声と階下の大学生くらいの男女の、明るい談笑が聞こえるなか、便器に顔突っ込んで「おえー」・・・・死にたいくらい孤独な夜だった・・・・・・・

 (こう書くと笑われるかもしれんけどね、ほんとに泣きたいくらい寂しかったんだよ~! 男子校のそれも、思春期、といえば聞こえはいいが、実際のところのまだ子どもが、年賀状配達で稼いだわずかな資金で、一人で旅している、それも初めて訪れた地で、激しい吐き気をこらえている夜のあの心境、分かります?  「人は一人で生まれ、一人で死んでゆくもの」 結局はそういうことなんだってことに気づいたよ。16歳だった。)


おっさんは確か奈良の人で、訳ありの人であった。行き先は僕の目的地より遠い「福岡」。結婚していないが、「愛する人」に会いに行くのだ、といっていた。

(ああ、思い出した・・・・・・深夜一時ごろ、岡山駅で数十分の停車時間があり、そのおっさんと下車しビールを買いにいったりした。駅に戻ると入り口のシャッターが閉まっていたりして、あわてたっけ)


ともあれ、津和野にきた
翌日、吐き気をこらえ、ぼくは自転車を借り、津和野市街にある鴎外の生家にいった。そこで、鴎外の「遺書」(作品ではなく文字通りの遺書)の模造品を購った。

文学的関心というより、友人への土産話として。


・・・課題は主人公の小泉青年はなぜ小説を書くことを断念したかということである。まだ全部読んで いないのでなんともいえない。それより、忘れかけていたことを思い出させてくれた。

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匿名 さんのコメント...
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