今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

人間の「陰」の部分

2007年7月18日

 

  公民科のゼミで、平等権についての教材研究の発表があった。そのなかで「差別」が話題にのぼった。外国人差別、民族差別、同和問題、障害を抱える人や病気を持つ人への差別・・・これらを「道徳」ではなく、「社会科」の授業で扱うとなると、どこに着眼すればいいのだろうか。

 
あるいは次のようなことは差別に当たるのだろうか。

・女子校、男子校があること。
・盲導犬を許可し、ペットの連れ込みは禁止すること
・男性ないしは女性のみのテニスクラブ
・男性限定のバス運転手募集・・・

 差別の境界線は考えれば考えるほど、分からなくなる。先生はそれを考えることが「道徳」とは異なる「社会科」の視点なのだとおっしゃっていた。


それはさておきだ。 じつは、大学生のなかでも、特定の人に対して差別やいじめのようなものがある。 最近僕は、集団がある人の陰口を言って、じつに楽しそうにしているのを見た。本人が聞こえているのを知って、廊下で聞こえよがしに「空気が読めない」などと悪口を言ったりして喜んでいる。


 この人たちが将来、教員になる。
  子どもたちに接することになる。
   いじめに直面することになる。


 俄然、教員志望であることを疑わない人たちだ。 正直に告白すれば、目を疑ってしまう。・・・・・・もちろん僕自身、自分の生活や行いを改めて見直すと、その欺瞞に嫌気が差すことがある。だから人を、しかも匿名のブログという場で、忠告するまえに自分を律しないといけないのだろう。
でも・・・・・・
 
  特定の人を貶めて、自分たちの連帯を強めようと働くのは、古来から変わらぬ人間の本能かもしれない。けれどもそれを理性でもって自制するのが人間でもあるだろう? 教養のある人たちが・・・そうじゃないのか?  批判ばかりが出そうになる。
 そんななか、ついに今日、その槍玉にあがっている人物について「おまえはどう思う」ときかれた。ようは加担するように求められた訳だ。


 拒絶すれば自分が危険。
 でもそれを許すことは、加担することになってしまう。


 そこで僕がしたのは・・・・・・中立の立場をとって逃げるということだった。処世の知恵がついてしまった自分が恨めしい。


 いま、学校での深刻ないじめが社会問題化している。自分自身、小学生のとき、人をいじめた経験があるし、いじめられた経験もある。いじめられたときも、いじめたときも、深い心の傷が残ったので、この歳になって、絶対にしないと心に誓っている。  ただ、今日、中立とはいえ、「逃げた」自分のことである。僕はこのままだと、教師になって、子どもを守ることができないかもしれない。

・・・・・・今日は本当に悔しい思いをした。
・・・・・・人と自分の嫌な部分を見てしまった。

2 コメントはこちら:

匿名 さんのコメント...

kobaは自分を追い詰めすぎな気がする。もう少しプラスに考えんとキツくなる。
今回のことは、俺も同じような対応するかもしんないし、その人たちと一緒に悪口を言ってしまうかもしんない。

だけどそれには立場ってもんがあると思う。もしゼミの場で後輩がそんなことを言ってたら、話にのるフリをしながらそいつのいいとこを話に出して、イメージを変えようと思う。だけど同年代や先輩だったらわからない。ゼミっていう空間は意見を言いやすいけど、それでも言えないかも。

学科だったらたぶん何も言えない…。


思うにそういった対応をしてしまった自分を振り返り、後々につなげられればいいんじゃないかなぁ。ネガティブはよくないけど!

なんてかっこいいこと言ってみるけど、果たして俺自身できるんかな?

なんかkobaはいつも重い話題が多い気がする。たまには楽しい話題もブログに!
でも、このブログの内容や語りがkobaらしいなぁとも思う(笑)

Tsukiyo-no-Mimizuku さんのコメント...

ああ、ついにゼミ生からコメントがきたあ。
慎重な分析、ありがとう。

……なぜ重い話題が多いかというと、それは「自己省察」のブログですから。大丈夫です、病んでいません。真剣に考えているだけだよ。

このブログは、普段みんなと接しているCobaとはまた違う自分が書かせている気がする。