今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

島崎藤村 『破戒』 2

2007年7月24日

 



 あゝ、穢多の子といふ辛い自覚の味を知らなかつた頃―――思へば一昔―――其頃と今とは全く世を隔てたかの心地がする。丑松はまた、あの長野の師範校で勉強した時代のことを憶出した。

 未だ世の中を知らなかつたところからして、疑ひもせず、疑はれもせず、ひとと自分とを同じやうに考へて、笑つたり騒いだりしたことを憶出した。あの寄宿舎の楽しい窓を憶出した。舎監の赤い髭を憶出した。食堂の麦飯の香を憶出した。よく阿弥陀のくじに当つて、買ひに行つた門前の菓子屋の婆さんの顔を憶出した。夜の休息を知らせる鐘が鳴り渡つて、やがて見廻りに来る舎監の靴の音が遠く廊下に響くといふ頃は、沈まりかへつて居た朋輩が復また起出して、暗い寝室の内で雑談に耽つたことを憶出した。

 終には往生寺の山の上に登つて、苅萱の墓の畔に立ち乍ら、大な声を出して呼び叫んだ時代のことを憶出して見ると――実に一生の光景は変りはてた。楽しい過去の追憶は今のかなしみを二重にして感じさせる。


 『あゝ、あゝ、どうして俺はこんなに猜疑深くなつたらう。』


 斯う天を仰いで歎息した。急に、意外なところに起る綿のやうな雲を見つけて、しばらく丑松はそれを眺め乍ら考へて居たが、思はず知らず疲労が出て、『藁によ』によりかゝつたまゝ寝て了つた。

  
(『破戒』より 瀬川丑松が昔を思い出す場面)


 日暮れ時ようやく目覚め、男子棟の屋上にのぼり、ここ「妻科」の昔をしのんでみる。
「門前」とはいうまでもなく善光寺界隈のことをさし、「往生寺」というのは、僕はまだいったことがないが、善光寺の西、教育学部の裏手の山にある古刹である。

 「寄宿舎」とはこの寮の前身のことであろうか。先日、この寮を生まれた頃から知っている職員さんにきいたところ、昔は隣接するの商業高校の敷地まで広がっていて、木造校舎の寮の隣には大学の職員の官舎も建っていたということである。寮生の数も、今とは比較にならないほど多く、賑やかであったらしい。



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