今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

親子というもの

2007年10月15日

 

実家から荷物が送られてきた。

箇条書きの手紙が添えられてある。
コピー用紙に赤のボールペンで。
こんなもの人にみられたら大変だと思い捨てようとしたが、気づけば机に貼っている自分。

・柿と梨は早く食べて下さい。
・洗剤とセッケンは袋の中にあります。
・魚にはDHAがたくさんあるので頭が良くなるよ。
・採用試験まであと9ヶ月 これから寒くなると眠たくなるけど自分に厳しく合格(神奈川県)めざしてガンバッテ下さい。友達とおしゃべりしていても人生は開けません。臨時教員なんていう甘い考えでいるなら民間に行って下さい。
・栄養ある食事をして体に気をつけてね。


いつになっても親からすれば僕は心配のたえない子ども。
たまに実家にかえれば、「お前の考えは甘い!」説教にはじまり説教におわる。
聞いていれば、確かにその通りだという気持ちになってくる。

生活費のすべてを自分でまかなっている友人が多い中、まことに恥ずかしい話だが、両親からは学費・生活費はすべて面倒見るから、バイトなんかしないでひたすら勉強しろといわれる。そんな母親自身は、大学時代、バイトにあけくれ、手がけた職種は50を超えるとよく自慢していた。

それに甘んじ、月二万ほどは自分で稼ぐが、あとはほとんど依存しているといっていい。

僕がいつか結婚して、子どもをもったら、両親と同じように子どもに言うのだろうか。
さすがに友達との交流を断って勉強に専心しろとはいわないまでも・・・

親、兄弟を疎ましく思い、それから逃れるのが信州に理由の一つだった。
そして大学生活も(予定では)残り半分をとうにきっている。

祖母は帰るたび「遺言」といって「かえって来い」という。
もっともばーちゃんの遺言はいつものことで
「朝起きたらまず口をゆすげ」とか「早く嫁さんつれてこい」とか
(どちらも守ってないけどね)

高校時代ボランティアをしていた僕にこんなことを語った。
「おまえは外面だけだ うちでの自分がほんとだ それが教員になったときもあだになる」

僕はいつまでも信州にいたい。それが親不孝になるのだろうか?

親から見れば心配な子ども、ではなくて、実際僕はまだまだ浅はかなんだろう。

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