今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

眠れぬ夜に思うこと

2008年6月10日

 

◆深夜2時。天井を見上げて横になっていると、さまざまな思いが、ぐるぐると月夜のみみずくの頭をめぐる……◆小学校時代から今日まで、過ぎ去った戻れない日々や、逢いたくてももう叶わない人たちのこと。人は死んだら本当に魂は残るのか、ということ。自分を支えてくれる人たちのこと、自分がいままでなしてきた善と悪のこと、等。要するに失ったもののことばかり考え、切なくなってしまう。みみずくは前を見る勇気がない。

◆本来ならばいまごろ僕は応用教育実習中で、採用試験前の勉強に打ち込んでいた。でも、神様は僕に、道からそれ、いつ治るかわからない病という試練を与えたもうた◆長い坂のつづくまわり道。足をとめれば追い越される。焦燥はどうしたって消せない。早く楽になって信州に帰りたい◆「長い人生、一年や二年、どうってことないです」……同じ病気になった亡くなった先輩の母からの手紙。このことばを何度もこころのなかで呟く◆ここ2、3日、気分の沈みが激しい。落ち込む魔の時間がくるとつい<死んだほうが楽だ>と思って、髪の毛をかきむしる。そうして、苦痛が過ぎ去るのを、布団のなかで耐えて待つ他ない◆右も左も正面も道をふさがれたいま、頼みの綱は家族。精神福祉士をめざす兄は明日、入院できる病院をあたってくれている。いまはすべてを家族に任せるしかない、と思う。

◆秋葉原で事件が起こって、同い年の学生の命がはかなくも消えた。知人が涙を流し手を合わせる映像をみて、4月の自分を思いだした。◆地球上では哀しみは日々くりかえされる。憎むべき犯人、もちろん人は生育環境によって悪になる、とも思う。けれども、すべてをその犯人の生い立ちのせいにすべきではない。どんな不幸な環境でも、そこに甘んじない人もいるからだ。「阿弥陀堂だより」の作者、鎌田医師は捨て子だった。ホームレスから社長になった人もあれば、結核菌におかされ、絶望のどん底から這い上がった渥美清という俳優もいる◆泥のなかから咲く蓮の花のように、みみずくもなりたい。

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