今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

北の自動車学校10 応急救護

2009年3月15日

 

今日は三時間、応急救護教習があった。

よく使われる人形、Annとう名前があり、十四歳の女の子である。じつはこの子は実在した人物らしい。川で溺れてなくなったのだが、親が玩具屋で、救護を広げようと当この人形の原型をつくったのだという。


ぼんやり救護の成功した実例ビデオをみていたら、ふと祖父が 意識を失ったときの光景が蘇ってきた。


僕は小学生だったが、あのとき……

……ソファーにすわっていた祖父はけいれんして、呼吸ができないでいるようだった。

救急車を呼ぶことを母と祖母はためらっていたように思う。

その直後から記憶がない。救急車がきたのか、車で運ばれなのかも覚えていない。

僕のなかの意識があった祖父は、それが最後であり、その後一年間、意識はもどらず、病院で亡くなった。

ある春の日、僕は母と見舞いにいった。その日、苦しそうに呼吸する祖父の手を、母が僕にしばらくのあいだ握らせた。その夜、祖父は亡くなった。
思いだす。

僕は「じいじ」が好きだった反面で、嫌悪していた。体が思うように動かず、いつもけいれんしていて、涎をたらすのがたまらなく嫌だった。涎は拭いてあげたりもしたけれど、汚くて嫌だなと思っていた。

兄と体の動かない祖父を運ぶとき、僕は力がなくて運べず、嫌な顔をしたりした。

祖父は僕を可愛がってくれた。なのに、なんと非情な孫だったろう。

そんな非情な小学生はやがて高校生になった。ある夏のこと。

僕は当時、学校についていけずノイローゼになっていて、それを解決するためには「生きる意味」のようなもの(そんな客観的な唯一のものがあると信じていた)を見いだすべきだという結論に達したことがあった。

そこで自発的に老人ホームにいって介護を手伝ったりした。が、トイレに一緒に入って、排便の介助をしていたとき、笑顔とは裏腹に、今の僕の行為は偽善なのだと思い、ますます病んでいった。
もしも自分が、そんな心をもった子どもをみたとする。それを直そうとするのだろうか?

教師は矛盾に満ちた職業なのか?

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