今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

なにもなかった日曜日の出来事

2007年5月28日

 

 今日の日記。久しぶりに、なにもなかった、といえば何もなかった。
 小学生が原稿用紙を前に、書くことがないという気持ちが少しわかる。何もないのに何かを書けと言うのだから。でも、人間、生きている限り、常になにかがあるはず。

 今日一日を振り返ってみる。

 朝、地区一斉清掃で寮の門の草を払う。昼、実習に必要な文具を買い、帰りに教育関連の本とクラシックのCDを長野市立図書館で借りる。夕、後輩と自ゼミの授業の打ち合わせ。 通りがかりの寮生に「ことばはっきりしたほうがいいよ」といわれる。今日一番響いた言葉。僕の言葉はよく人に通じない。そこで無意識に動作で表現する。たがら挙動不審とかいわれる。・・・・・・夜、読書。

 『こどもの心みえますか』 鈴木和子著 神戸新聞総合出版
 自らの養護教諭の日々をつづった本。保健室に訪れる中学生とのやりとりが温かい。先生の一言一言に、なにかしらの問題を抱える生徒も、知らず知らずのうちに素直な心を開いていくようになる。巻末を読んで、この著者が阪神大震災で亡くなっていることを知った。震災のあと、生徒、保護者、先生がたの協力で、瓦礫の中から見つかったフロッピーをもとに出版されたのが本書である。最後に生徒から寄せられた追悼文を読んでいて、まるで僕もどこかでこの先生に会っていたような気になった。

 『教え力』 斉藤孝著 宝島社
 賛否両論のある斉藤孝氏の一般書。なんでも「~力」としてしまうところや、ハウツー的な言葉の数々に、違和感があるが、なるほどと思えることもいくつかあった。教えるということは、上と下の関係ではなくて斜めの関係にあるべきであるとか、教える側は教える相手に向かうよりも、どこか別のところに向いているべき、という言葉には抽象的だからかもしれないが、実感をともなって、思い起こされる場面がある。
 ただし、前述した『こどもの心が見えますか』とは次元がひとつもふたつも大きい。斉藤氏の主張が一対集団における、ある程度普遍性をもつ技術であるとするなら、鈴木先生の主張は一対一の、答えや正解のない対話の重さであろうか。
 
 『教えることと学ぶこと』 林竹二+灰谷健次郎 倫書房
 『賢治の学校2 いじめを考える』 鳥山敏子 サンマーク出版

の二冊はまだ読んでいない。  

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