今日は、ユニット長の運転で、同じ系列の特養にいった。「ちょっと寄ってコーヒーのましてもらおうぜ」ということで。
足腰、元気なばあちゃん2人と入ったばっかりのばあちゃん乗せて。
そこには、半年前、うちから引っ越した、みんなからみっちゃんとよばれる、小さなばあちゃんがいた。のってきた車は夕方の送迎に使うデイサービスの借り物なので、時間がかなり押していたが、ユニット長がいいよ!といってくれたので、逢いにいった。
半年振りにあった彼女は、特養の広いフロアで半分泣いていた。徘徊する彼女は転んだばっかりなのだという。
下を向いている彼女に近づいて、いつかのように英語で話しかける。
「Hello? How are you?」
「…… 」
「アーユーオッケー? 大丈夫?」
「イエース」(蚊のなくような声で)
「よかったねみっちゃん、きれいなとこすんでるね」
「うん…」
驚いたのは、一緒にきたばあちゃんが、彼女のことを思い出し、名前をよんで、手を握って、泣き出したのである。もう忘れているのではと思っていた。
ユニット長が、俺のこと覚えてる?ときくと
「覚えてるよ」。
聞き取れないくらいの小さな声でそういうんだ。
たくさんの老人の中で埋もれそうになっているけれど、ちゃんと僕はあなたのことを知っています。
今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2010年12月28日
2010年11月12日
今日は休みであったが、なんかへんてこりんな一日だった。
昼間は肺炎で入院したおじいさんの見舞いに行く。壁に「〇〇様はミトン可だが抑制は禁止」という張り紙があった。チューブや点滴をつけられていたが、熱も下がり元気そう。しかし認知が進み会話は半分も成立しなかった。
まえに肺炎で入院していたときは暴れて四肢を紐で縛られていたというから、ちょっと心配していたが。拘束もされず静かに寝ていらしたので安心した。
そして何回か息子の名前を呼んでいた。
それをみた反対側のベットの、比較的元気なおじいさんが僕に話しかけてきた。僕のことを見舞いにきた息子と思ったらしい。「いいねだんなは、見舞いに来てくれる家族がいて」
僕は肉親ではなく、ただの職員だが、ただ笑ってうなずくだけにしておいた。
バラの鉢植えを置いて帰る。
***
夕方は、職場に顔をだして、管理者や、上司に明日の昇進試験で提出する論文を添削してもらう。働き盛りの大人たち・・・・・・
* * *
暗くなって、リサイクルショップにいき楽器を見ていた。すると小さな女の子が、一人でやってきて人懐こく話しかけてきた。天使みたいな子だった。その子は僕がするように、弾けもしないギターの弦をぽろんぽろんはじきながら、なぜか僕にまとわりついていろいろ話しかけてくる。
子ども「ひなっていうの」 「ふうーん」
子ども「これ小さいね」 「うん、かわいいギターだね」
子ども「ひなはこれ弾けるんだ」 「へえ、すごいね」
子ども「ひなはこんなオレンジ色が大
好きなの」 「そう、きれいだもんね」
「お父さんお母さん一緒なの?」 子ども「うん」
人生の夕刻をとうに迎えたおじいさん、働き盛りのお父さん、そしてこれから生きていく小さな女の子。
同じ時代を生きて、たまた出会いすれ違っただけなのだけど、どうして皆、こんなに親しく、いとおしく感じられるのか。
2010年10月30日
以前は毎日のように更新していたこのブログ。
日常生活で、ふと心にとまった出来事や、ささやかな感動や、ときにはみみずくの、不安定な感情を書き連ねることで、自分を客体化し、精神の安定をはかってきた。実際どれほと、気が楽になったことか。
いままでは、よほどプライベートなことを除き、みみずくの心の恥部も包み隠さずさらけだすことができていた。だからこそ書いて気持ちが楽になれた。
けれども最近、自分のなかで、他人には共有できない秘密が心の中で肥大してきている。
秘密というと、なにかやましい、罪深い感じがする。けれどもコミュニケーションをはかるとき己の本心をときに隠すことが、円滑な人間関係を育むことになるのは誰でも経験のあること。
ようするに、みみずくも狡猾になったものだ。
そしてそれは、自らを生きづらくしている気がする。
素直になりたい。誰にも隠しごとをしたくない。
………だから辞めようとも思ったが、もうちょっとブログを続けてみようと思った。
2010年10月3日
テーブルに広げた。
最後に正月の暖かい家族の呼吸と温もりをすってから、どれくらい暗い倉庫にしまわれていたのだろう。
描かれている貴族やお姫さま、ぼうす、みんな疲れているように見えた。
もともと、この百人一首は、さるご入居が自宅から取り寄せたものだった。しかし、
一度も使われることなく、いまや、もう持ち主の認知の度合いも麻痺も進んでしまった。
それを、ふと取りだし、昼食後の不穏な、そしてけだるい雰囲気のリビングに持ち出した。
物には命が吹き込まれている。
生きているということは、それが、世界に影響を与えるということだ。
だから生きている。
花の色は・・・適当にとった札の、上の句を読む。小野小町の有名な句……
すると…
…うつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
次々と下の句が……、一分前の短期記憶すら怪しいお年寄りの口に、流れるように……
それは魔法だった。
いにしえの歌人が残した魂の結晶。
家族や子どもたちに囲まれた、正月のひと時の幸せな記憶は時空を越えて…
テーブルを囲む人たちを、ほんわかと明るく照らしだした。
2010年9月18日
| モカ:雄、もうすぐ1歳 |
ヤギの散歩をしたり、沼にはまって動けなくなったり、最近の映画のシャーロックホームズみたり、子犬…一年たったからもう大人か……と遊んだり本を読んだり。
丸太小屋や、作品や、書棚を見ていたら、あ、最近仕事しかしてなかったな…と気づいてしまった。忙しくて本すら読んでいないし……何ヶ月も思考停止していたような気分……
秋の虫の合唱、朧月夜、テント泊。
薬も辞められたし、そろそろ、生活に軌道修正かける頃だ。
そう思ったけれど、なにからはじめればいいか?錆び付いた頭はなかなか働いてくれない。
| ヤギとひょうたん |
| 夜の囲炉裏 |
| モカ |
| 東京湾フェリー |
| 調理は焚き火 |
| 小屋の前 |
2010年9月13日
疲れてるはずなにに不眠。原因がある。
自分の日記だから、それを書いてもいいやと思って。
書くこと、それがいまのみみずくの精神安定剤。
よーし書くぞ!
こんどばっかりは書いても後悔しない。恥ずかしいなんて思わない。
たとえ誰かがこれを読んで、そのあまりに大きすぎる負のエネルギーをじかにかっくらって真っ青になって、ぜーったいに後悔しない。
いまこここに、ふだん社会生活を営む上では絶対口にしない、仕事に対する、不満、愚痴、意見、主張、弱音なんでもかんでも、当たりかまわずいーっぱい書いてやるぞ。
世の中に対する、怒りと哀しみ、慟哭もたくさん書かなくては。
そうだ、このさい人間に対する不信だって書いてしまおうか!
憎しみだってそりゃ人間だからあるさ。
人間の思考回路は、0と1の羅列ではない。きれいごとだけでは、ありえない。
どんなに立派な聖職者だって例外はなく、よどみによどんだ、くらぁい、それは暗くて陰湿で醜悪なものを秘めている。
みみずくの、合成甘味料を一切使わないショ糖1トン分と、ブドウ糖1トンを、これでもかというくらい、工場一つ分の大なべで煮て混ぜて、硬くした、甘い、脳みそが腐るほどの甘い考えもかいてしまおう・・・
・・・うん、ここまで書いたらもう満足しました。
どうもありがとう。
2010年9月11日
渋滞を予想しておらず。順調に遅れている。
明日はホームの秋祭りで
早朝から準備に入らなければならない。
わずか3時間滞在で、再び夜行バスに乗り、横浜に帰る。
でも一目でも顔が出せればよいと思う。
そういうもんだ。
2010年9月1日
沖縄では、もう長生きされた方の葬儀はお祝い事なのだというけれど。でも、それは沖縄の話。いま、職場の御入居者のお葬式から帰ってきた。なんか気が抜けたといいますか・・・やることもなくここへ・・
職場の先輩の助手席に載って、斎場に向かい、ああ前のお葬式のときも助手席だったと思った。一緒の建物に住んでいた、親しい先輩がなくなった日。鮮明に思い出せる。
あの日は、ほんとに信州は雪解けの春先でした。偶然、神奈川から母がきて善光寺までという許可をもらって外出していた。病院内では携帯持禁止だったので、久しぶりに受信をしたら、なんか妙なメールが来ていた・・・外出していなかったら、もっと知るのが遅れていた。故人の意思が働いたのだと信じている。
知ったその日が命日だった。母は新幹線で帰った。夕方の診察で(僕は病院に拘束されていたので)、お通夜にいきたいと、医師に泣いて頼んだ。責任があるので自由にできないといわれる。あと追いなんかされることもありますからねと聞いて僕は怒ったが、いまおもえば当然のこと。
けれども、新幹線で帰った母が、翌日また長野まで来てくれて。母には、一緒に葬儀に参加してもらって。
あの時初めて親のありがたさを感じた。いざというとき見方になってくれるのは家族なのだなと知ってまた泣いた。
翌朝、寮の先輩の助手席に乗って、山に向かう。
もう焼かれていて。
そんなことを思い出した。
ばあちゃんと娘。面識はないけれど、気が合いそうだから、二人の故人が天国で出会えますように。
2010年8月29日
夕方出勤すると、ユニ長から訃報を聞く。
ご入居者が亡くなられた。
みみずくのユニットではなかったが、一緒に数ヶ月暮らしたばあちゃん。
天ぷらが好物で、食後、「まだ食べてないぃぃぃ」という声が頭から離れない。
よく僕は、ぽかぽか殴られた。力の入らないその手でめいっぱい。
素敵な人だった。
天寿をまっとうされたにちがいない。
どうぞ安らかに。
2010年8月26日
たまあにくる、なんにもない一日。
前日までの仕事で疲れきって、昼過ぎまで寝てしまった休日の夜、きまってあいつはやってくる。
極度の憂鬱状態。
時間は止まり、世界のすべてが色あせ、いままで生きてきた年数のすべてが無駄であったように思われる。
ここ最近、頑張り過ぎたのだ。能力以上に働いたのだ。
病院の世話になるまえに、ちょっとここいらで怠けようぜ。
明日も雑用で呼ばれ休日出勤しちゃうけど。
2010年8月24日
ってなにか考えてる。
愛情
その人のため、ではなく、自分がその人と接している時間が尊く思えるような気持ち。
寛容
善悪社会規範ににとらわれず、その方のもつすべての世界を受け止めること。
忍耐
常に成果を待ちつづけ、よりよいケアを模索しつづけること。
使命感
自分にしかできない、と思えるくらいの仕事をすること。
観察力
どんな小さな表情やしぐさにも、その方の意思を汲み取れること。
創造性
形にとらわれない自由な発想で、常に最先端の介護福祉を実践すること。
2010年8月19日
山梨から帰ってきて、休みなく仕事の日常に戻って、また一人になっちゃうなと思っていたら、職場の仲間に、飲み会に誘ってもらった。勤務時間がばらばらなので、一般の会社とは違って、なかなか飲み会は出来ない。今日のことも、数ヶ月前から話にでていてやっと実現したという感じで。
職場の周りは住宅地で、居酒屋なんてなく、でも唯一、お好み焼き屋さんがあった。今回は、おばちゃんぬき(なんとも失礼な言い方ですね)、やっぱりそれはそれで、面白い。いろんな世代の人と話すことは楽しいし、ためにはなるけれど、やっぱり、年齢が近いと共感できることも増えてくる。
二次会のカラオケなんて、大学でこそ、しょっちゅうだったけれど、こうして一人になってからは、初めてのことだった。
仕事場では知らない、同僚の一面を少しだけ知る。
それぞれが、それぞれで、いままで生きてきて、明日のために生きている。
そんな当たり前のことを知れただけで、なんだか励まされてしまった。
要するに、こんなことを感じるくらい、久しぶりの飲み会ということだった。
2010年8月12日
明日一年ぶりのキャンプに参加。みずがきキャンプ。
前日の晩、応急セットをごちゃごちゃ整理してみたり、キャンプインストラクターの冊子を眺めたり…
早朝に横浜から山梨へむかうけれど、遅刻しないだろうか?!
先日の採用試験の遅刻が、完全にトラウマになっている。ああ。
2010年8月11日
退院されホームにもどられたあるかたは、目に見えて身体も精神も劣ろえてしまった。
普通食を自立で召し上がれ、不安定ながらも自立歩行されていた方が、数晩にしてミキサーの食事介助と車いす移動に。
一週間、多くの自立機能が失われ、そしてそれは、みみずくが 初めて目にする 階段状の 低下だった。少なからず衝撃的な……
今日の夕刻、みみずくは、退院のさいたちあったご家族からの電話をうけとった。
……その後 一晩経ちましたかいかがですか? ミキサー食はどうでしたか……
まず、退院後の一夜目の長い夜にあった、事実をありのままに伝えた。
実は、電話中、経験の浅いみみずくは、今後どういう生活の変化がその方に起こるのか予測がついていなかった。
電話を切るさい、余裕がなくて考えていなかったことばが、思わず口から出た。
……でも徐々に穏やかな生活を取り戻していきますし、スタッフは24時間、全力で支援を致しますから、ご安心下さい。大丈夫ですよ。大丈夫です。
一番、伝えておくべきことを、言えた。ああ、よかった。このことばを無意識が忘れていなくて。
2010年8月9日
2010年8月4日
今日は採用試験の面接と模擬授業の日であった。
そして僕は・・・・・・今年の試験を棒に振ってしまった。
昨晩、勤務が終わって帰宅したのが8時、それから、残った授業の準備や提出物の最終確認をはじめ、結局、朝までかかった。どうして、いつも早く、終わらせておけないのか。
七時に家を出た。京浜急行線の駅まで原付、逗子経由で大船、それから湘南モノレールに乗って、そのあたりで時間が迫っているのに気がついた……最後は知らない街の住宅地を走り・・・・・・
結果的に着いたのは集合時間の8時15分を3分すぎ。
女性の会場係の人は、急いで校舎に入れてくれようとした。
もう一人の男性の会場係の人はそれをみてこういった。
「外の受験生に公平にしないといけませんから申し訳ありませんがお帰りください」
「……」
試験で落とされるならまだしも、それ以前に社会人として当たり前のことができなかった・・・・・・!
もう、恥ずかしい以上に自分が情けなくて。
24歳の第一日目の出来事だった。
2010年7月29日
あの時は仲間がいた。大学でも、学生寮にも。でも今は一人しかいない。暗いアパートの中で、孤立無援だ。
まずは模擬授業だ。テーマは小学校、「子どもたち一人ひとりが、学習活動に興味・関心を持ち、学習意欲の向上につながる授業」
みみずくが学生の頃、鬼無里の小学校に行った時のことを思い出した。あの時、子どもたちは、われを忘れたように顕微鏡に熱中していた。顕微鏡の中に、彼らにとって未知の世界が広がっていた。
実習や研究会で何度も学校に足を運んだが、あのときの理科室は、その中でもとびきり尊い時間だったと思う。
みみずくは、大学の受験のときこそ文系であったが、理科室にこもって一人で興味の思いつくまま実験していた時間の長さは、誰にも負けない。
だとすれば理科の授業か。
切羽詰っているとき、一人電話相談をする。
相談相手も回答者も自分という・・・
パーソナリティ
「はい、今週もやってまいりました。人生相談。このコーナーでは、心理学者であり、精神科医であり、また作家でもあられる、 川獺(かわうそ)が、皆さんの心の悩みを解決します。川獺先生は、現在、精神病院の医師として勤務する傍ら、自らもアルコール中毒症と戦っておられます。」
カワウソ
「はい、よろしく。多少ロレツガ回りませんが」
パーソナリティ
「では今週の相談者からの電話に切り替えます、月夜のミミズクさん、どうぞ」
ミミズク「こんばんは・・・」
カワウソ「はい、こんばんは。どのような御相談ですか?」
ミミズク「あの、試験がせまっていてプレッシャーに押しつぶされそうなのです・・・」
カワウソ「ほう」
ミミズク「このままではいけないと・・・」
カワウソ「ふむ」
ミミズク「一週間後なんですが、でも自信がなくて・・・」
カワウソ「どのような試験ですか?」
ミミズク「とある会社の採用試験なんですが。面接も心配なんですが、もう一つ、模擬プレゼンというものがあって。」
カワウソ「何を売るんです?」
ミミズク「はい。それが・・・ 子どもたちに“夢”を売る商売なんです」
カワウソ「ほう、それは珍しいビジネスですな」
ミミズク「限られた時間のなかで、子どもたちの興味と感心を持たせ、購買意欲の向上につながる話をしなきゃなんないのです」
カワウソ「まず聞きたいことがある」
ミミズク「はい」
カワウソ「あなたには売るような”夢”があるのですが?」
ミミズク「・・・・・」
カワウソ「ない?」
ミミズク(小さな声で)「あります・・・・・・でもそれが、なんなのか、まだはっきり言葉にできなくて」
カワウソ「あなたの中で、いまだはっきりとした形になっていない」
ミミズク「ですから、僕は、この試験が心配なのではなくて、受ける資格があるのかどうか、悩んでいるみたいです」
カワウソ「なるほど、お悩みが具体的になってきましたね。それで?」
ミミズク「それでって?」
カワウソ「あなたは試験を受けるんでしょ?」
ミミズク「はい」
カワウソ「だったら受ける資格があるかないか考えないで、残された時間を、あなた自身にある力を表現するための準備に当てればよいです。その会社があなたの力を大丈夫と思えば、大丈夫なんです。使い物にならないと思えば、落とすだけです。あなたが決めることではない」
ミミズク「そうか」
カワウソ「結局、悩んでいる様に見えて、答えは決まっているものです。悩みとは、ためらいに外なりません」
ミミズク「そのとおりでした」
カワウソ「ためらいは、障害です。早いうちにぶっ潰さねばなりません。自分の力を飾らず、ありのままを表現できるよう願っています。そちらのほうが大事で、試験の結果など、考えなくてもよろしい」
ミミズク「わかりました。」
カワウソ「そもそも、夢なんて自分が抱き、実現していくものであって、売るようなものではないのですから。試験はあくまで、形式にすぎないということを、申し添えておきます。」
2010年7月26日
昔、日本は遠い南の海と空に出ばって、世界を相手に戦争をしていた。
戦後40年以上たってから生まれたみみずくにはそれは、知識であり、実感を伴った体験ではなかった。
しかし最近、認知症高齢者に、あの戦争の存在を感じざるを得なくなってきた。
みみずくの祖母は子どものころ戦争を直に体験した世代だ。グループホームではその祖母より年上、大人として戦争に巻き込まれた年代の人もいる。
一対八。大胆そんな男女比。女性が多いのは、生物学的な要因だけではない。夫を戦争で失い、戦争未亡人として、焼けの原から一家を支えた女の、想像を絶する努力、苦悩。
「助け合って生きてきた」
それだけではあるまい。
「自分」と「家族」が生き残るためには綺麗事だけでは済まされなかったと思う。貪欲さ、浅ましさ、狡さ、生き残るための武器だったのではないか?
配られた均一の茹でトウモロコシが他の人より小さい!と激怒した事のことを前回書いたが、その行為の背後には、いまいったような時代や束縛があるのではないか……


