今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2011年5月24日
2011年5月18日
直接深く関わった人が亡くなった。
…さん、…さん、…さん、…さん、そして今日…さん
仕事をはじめて二年余り、これで5人目だ。
どの人もまだまだ生きると思っていたのに。
年齢からすれば天寿を全うしたかもしれない、でも…
一人の人間が死ぬということは、その人が生きた途方もない月日の歴史が消えることだ。
たぬき坂、キラク煎餅、へいらく小学校、みんなて私をいじめるの、伊勢崎町のあたりでね、犬がいてね、すぐげんこつが飛ぶの、ももちゃん、ありがとう、お世話になります……
最期の日常を共にし関わった人でなければ、肉親ですら、わからない言葉が、消えていく。消えていく。
介護は夕方の仕事かもしれない。いつまでたっても夕方の仕事。夕日であり、落日であり、それが、外で遊ぶこどもたちにとって最も楽しい時間であったように。そうなるように、日々、仕事をしなければ。
そうしなければ。
2011年5月17日
http://
山梨県内の授産園や作業所が、八ヶ岳のふもとの農場に集まって、日ごろ作っている製品の販売をしたり、バンドを招いてコンサートをしたり、踊ったり、シャボン玉飛ばしたり、みんでわいわいがやがや。
五月の空はどこまでも青くて、緑が都会のそれに比べ、まぶしいくらいみずみずしくて。日焼けをしてしまうくらい日差しが強くて。
何より、こんな時期まで雪が残るくらいの山。
中央線に乗ると、なんだかこころも気持ちも、昔に戻った気がする。
昔といっても信州に住んでいた数年間のことだけれど。
* * *
帰ってきて、朝早く仕事に出かけ、ちょうど朝食の忙しい頃、テレビでは「おひさま」が流れている。http://
脚本 http://www9.nhk.or.jp/ohisama/special/okada/
柔らか食事がどれ、減塩がどれ、糖尿がなんだと、一人任されたユニットをくるくる回っているから、毎日流れていてもどんな話なのかわからないけれど
どうも、ヒロインは信濃大町で、なりたての教師で、戦中か戦後の貧しい時代の話らしい。先生のおすそ分けをもらいたくて、わざと弁当を忘れた子どもたちが、野草を集めて粥を作っていたりしていたから…
戦争に突き進んでいった時代の捻じ曲げられた教育であるけれど、どこかそれは今の教育より健全というか、生き生きとしていた。(ドラマはドラマだが、そうではなくって、昔信州が誇った信濃教育のこと)
kokiaは「おひさま」の主人公が行った長野師範学校の後身である学校に行き、たぶん根っこは同じの学生寮に住んでいた。
でも教師にはならず(なれず)、介護のシゴトをしている。
だから、
ちょっとまぶしい「おひさま」でもある。
ことに山梨で連なる山の残雪をみたあとは。
2011年5月5日
日記に書かないとどうかしてしまいそうなので、書く。
人は言い訳や正当化をしなければ、潰れてしまう。
以下はあくまで空想の話として。
* * *
一件目
おとといある介護者は、
入居者に雑用を頼まれ居室に入ったわずかの間に、
別の人が立ち上がり、ばったりと転倒し頭部を強打、場所は不明だがどうも臀部あたりを打ち付けた。
過去に転倒があり、リスクが高いならば、必ずマーク(常時見守り)をしたのだが、異動してから得た少なくない情報では、すくなくともその人のリスクは予測が困難なものだった。これは言い訳だ。
明朝出勤の看護師に再度のボディチェックを申し送ってその晩日付が変わる頃帰ったが、事態は危惧すべき最悪の事態、すなわち救急搬送され入院と手術となった。
事故のあとこきあに引き継いだ夜勤の人はさぞかしいやみを言われたであろう。
「この病院にまともな医者はいないのか」
「○○を呼んで、文句をいいつけてやる」
ひょっとしたら平手打ちもばしばし食らったかもしれない。
特別養護にお金を払って入るということは、お金で介護の困難を委託するということだ。対応が極めて困難な利用者がいて、はじめて経営が成り立つといわざるを得ない。
さて事故現場にいた発見者はその介護者であり、責任を負わなければならない。当然のことだが、施設内の報告書をはじめ、行政にも届出、ミーティングの議事録など、とても業務内では終わらない仕事が、うわづみされる。
原因と対策は無数に挙がる。
しかし、それを煮詰めて煮詰めて、最良の事故報告書をかいたとて、
結局福数人を一人だけでで見ることに限界があることに、
触れる人はいないし、それは、責任転嫁のいい訳になってしまう。
仕事が増えることが不満なのではなく、
人を転ばせ、その人の歩く能力を永遠に奪ってしまうかもしれない恐怖と重圧・・・
だれしもがが、同じ状況にいたら、同じ事故は起きたと、なぐさめの言葉をかけてくれる同僚がいるのは救いだった。
だが、その場にいたのは紛れもないその人ひとり。じぶん。
介護の仕事において、過失によって人を殺すこともある。何千万円という賠償責任をおうことも実例として身近にある。
しかし、せめて休日返上して見舞いに行くことしかできない。
* * *
二件目。
今日、早朝から通常業務と、加えて昨晩の事故処理に追われて、ようやく帰ろうとしたら、すれ違いに「こきあさん、今朝Aさんの入れ歯入れましたよね」
?
こきあ「入れたと思います…(断言できないが95%くらいの確率でまず間違いなく自分が入れたと思います)」
義歯は見つからなかった。職員7名が二時間かけてありとあらゆる場所を探した。
「最後に義歯を見たのはあなただよね。あなたが来てからほんとトラブル起きるよね」
そういわれると責任は自分にあるらしい、ないしは負うべき運命にあることが感じられた。
集積所に出したごみを漁る。
生ゴミにまぎれている可能性が高いので、同僚は生ゴミを漁る。
自分はこれで義歯がみつからんければ、いよいよ自分の責任だと思い、
転倒の件もあって心苦しかった。
何かあるたびに自分の過失にされるのではないか・・・
同僚が手をつけず去っていった袋を見る。
手のつけられなかった、汚物の入った袋を一つ一つ開けていった・・・
* * *
汚物とは排泄物である。オムツであるとかそういった類の。
汚物といえば上品だ。相当の言葉をつかうと、過度の下剤投与によってもたらされた下痢便の山、うんこまみれのごみの山である。便を処理することは介護職にとって日常茶飯事であるが、無秩序に集積された便の山を相手にすることはそうない。
ここで気づいたのは、ハエは、汚物の袋よりも生ごみの袋のにおいをかぎつけ集まってくるということだった。確かに栄養学的に見れば、排泄物より、台所の生ゴミのほうが、消化吸収されていない分栄養価は高いはずだ。自然のことわりである。
どのくらい時間がたっただろうか。
義歯は見つからなかった。
異動してから間もないのに、早くも3件目の事故異常事態報告書の構想を練る。
* * *
別に疲弊しているわけではなく、むしろ、単調な業務や、おとといの転倒事故にに比べれば、気が楽だ。
けれども憔悴していた。ここ数日働きづめであったから。
帰宅してまもなくして、電話が鳴った。
* * *
同僚「あったよー」
こきあ「あった?」
同僚「袖の下にはいってた。みたんだけど確認しきれてなかったみたい」
「それはよかったです、はい本当に」
* * *
教訓。
1 経験から入れ歯紛失事件は、当事者から半径1メートル以内で見つかる可能性が90パーセント、初期段階でそれに気づかず、多大な時間を浪費するケースが90パーセントということ。
2 毎回比較的初期の段階でゴミ漁りをするが、それは、収集車に持っていかれるという最悪の事態を想定してのことだと思われるが、過去の事例から、ゴミにまぎれる可能性は、非常に少ないということ。
3チームワークにおいて事故の責任が一人になることはありえない。責任は全員にあり、最終的には上司や管理者が負う。しかし当人は自責の念に駆られることが多いので、もし仲間が事故を起こしたら、全力をもってその人を、フォローする。
仲間が責められていたら、自分にも責任がある、といいたい。
2011年5月4日
社会に出て3年目の春。
職場も変わり、規模も人数も増えた会社の中で働いている。
社会福祉法人といえど、その中身は特殊ではあるが会社組織であり、
みみずくのような介護職にも、介護にとどまらず、様々な雑務が加えられる。
そしてその3年目の春に思うことは、仕事が・・・介護という仕事が、人間関係というつまらないもので、ますますやりづらいということだ。はっきりいって、仕事を辞めたい。現実は辞められないのだが。
今日は月一の全職員のミーティングの日。
休日の人間も出てこなければならないが、前の職場グループホームと違うのは勤務時間には該当しないため、給与は出ないという暗黙のルールがあるということ。私服で参加する人がいるのはそのためだ。世間一般で介護の世界、とりわけいまの会社の労働環境がどうかなんて、他の仕事をしていないからわからないけれど、控えめにいっても悪いほうの部類に入るのは確かだと思う。
さて。その会議の議題の一つに、利用者の物品購入における際の領収書の切り方、処理の仕方の説明があった。
簡単に言えば本来事務がやるべき仕事が、人件費をケチっているため、介護職がこなさなければいけないということだ。
その手続きはとても煩雑で、長きに渡って2人の事務職から説明がなされたが、その二人の説明のやりとりに、唖然としてしまった。
これまで勤めていたおばちゃんが、説明しようとする。隣の新しい事務職のおっさんは、話が途中なのに口を挟む。マスクをして、腕組みをしているはげたおっさんである。二人とも違うことを言う。おばちゃんは、男事務の「それはまだ正式に決まっていないことだからと」口を挟むと、おっさんは
「黙って!」
「ちょっと黙れ」
などと強引に自分本位の説明をする。
事務といっても、介護職より地位は高い。組織では幅を利かせている。
学校の授業にたとえれば、二人の教師が生徒の前で意見の相違でけんかしているようなものだ。
直接介護という仕事を一緒にしない人間でさえこうである。
* * *
現場で一緒に勤務する人間にも、やりづらい人間がたくさんいることに、一ヶ月目にして気づき始めた。(Iあるいは自分が他の人にとってやりづらいのかもしれない)
そしてそれが、いま一番の辛い。こんな仕事いつか辞めてしまいたい、と毎晩思う。
絶対負けない、毎朝つぶやいて出勤する。
絶対負けない。
・・・・・・
けれども負けそう。
ある夜勤の日。夜勤は2ユニットを一人朝まで見る。特別養護の9人と、ショートステイの8人との、排泄介助(おむつ交換や転倒リスクの高い人の手引き誘導)、不穏な人への対応、見守り、巡回、日中の様々な記録の取りまとめ集計入力、起床介助などが主な仕事だが、ナースコールは同時に鳴り響き、動態センサーも鳴り響くし、不穏な老人は17人の状況関係なしに罵り、平手打ちを食らわせる。
しかしそれはもうGHで経験したこと。仕事であり、多少あたふたはするが慣れている。
問題なのは朝の早番との引継ぎだった。
一方的な罵声で、引継ぎとはいえないかもしれない。
「まだこれだけしか着替えてないの!」
「さっさとこの机の上の書類かたづけてよ!」
要するに夜勤業務と早番業務の間にある仕事が残っていることを怒った人がいた。自分と同じく異動になってここにきたが、自分と違うのはさまざまな施設を経由した経験豊富らしい人だということ
(弁解するなら以前、その人が夜勤のとき、早番できたみみずくは誰も起床介助をしていなかったが、黙って仕事をこなした)
それにとどまらず、その早番は、みみずくの仕事がまるでぜんぜん終わっておらず、さっさと帰ったように、他の職員にいいふらした。(言い訳なのかもしれないけれど、別の業務で、勤務あと二時間職場にいた。)
その批判の言葉は、別のあまり信頼していないユニット長を通して告げられた
「あなたはコミュニケーションがうまく取れない」というおまけつきで。
いい人なののだ。真面目で。勤務年数は同じ。年も同じ。正社員で入ったか、アルバイトで入ったかの違いで、彼女は自分の上司だった。
コミュニケーションがうまく取れない!?
「前のグループホームがどうだったか知らないけど、ここはここなので」
それは確かにそうだ。郷に入れば郷に従えというのだろう。
しかしおかしいことは山積で、あなたは何のために介護の仕事をしているのか、と思う。
コミュニケーションが取れないといわれてしまった。
そういわれてみると
どんな気持ちがするだろうか。
暗雲が立ち込める。
味方もいるが明らかな味方はいない。
絶対負けない。
自分もまだ足りないところはたくさんある。
それを修正しつつ、
この施設の悪しき慣例を全部ぶっ壊してやる。
たった二年の。それも大卒の新入社員で構成された施設で、(業務だけが仕事で、ボランティアでくる人間は厄介で、それにしては緻密な記録を要求する)たとえ悪く言われても、自分の正しいと思ったことは、遠慮なくさせてもらう。
自分は間違っているだろうか。
2011年4月22日
お元気ですか。
前にお手紙を書いてから、だいぶ季節が通り過ぎてしまいました。
家の裏手にある小さな山を見たり、今日のように穏やかな天気の空を見上げるたび、向こうで暮らしていた日々の事を思い出したりします。
御無沙汰していました。
おかげさまで私は元気です。
仕事だけの毎日で、体も心も疲れはて帰ってくると、無性に信州に帰りたくなる気がします。また向こうで、親しい友だちに囲まれて、夢に向かって切磋琢磨したり、時には挫折したりと、みんなが励ましあって一生懸命だったあの時が、どれほど貴重な時間だったか・・・残った仲間も一人二人と寮を去り、今年の3月、最後の同期が卒寮したようです。
近況をお知らせします。
自分は、卒業してから、ずっと非常勤で勤めていた社会福祉法人に、昨年の秋から正規で働くことになりました。教員免許は当分の間、押入れにしまっておくことになりそうです。
いままでは、グループホームといって、認知症の方を専門にした小さな職場で働いていましたが、4月からは、特養老人ホームに異動になりました。未知の職場で、こなさなくてはいけない最低限の業務をこなすだけでいまは精一杯ですが、これからもっと経験をつんで、その方の人生の最期を輝かせられる太陽のような介護士になりたいと考えています。自分が老いる日に備えて。
教育が朝の仕事だとしたら、介護は夕方の仕事かもしれません。それも時計の針は3時をとうに過ぎ、赤い西日が山肌を照らすような時間。時間は違うけれども、そんな人生のある時間に、直接人に関わる仕事という点では、似ているのかもしれません。
* * *
これから、本格的な夏が来て、農家はいっそう忙しくなりますね。
地震があって、食べ物のありがたさを痛感しています。日本の飽食は当たり前ではなく、人間によって作られたもので、それを左右するのは自然であり、神であり、揺るぎやすいものなのだと。日々の食卓を支える農家の方に、支えられていることを思います。
横浜でも、わりと鎌倉に近い田舎なので、近所に小さな農家があります。去年は職場に庭があったので入居者と一緒に夏野菜を育てましたが、今年は畑を貸し出しているので、夏に向けて自分用に野菜を育ててみようと思います。猫の額の土地ですが。
同じ福祉業界で勤めあげ、退職後に電気もガスも水道もない山でヤギを飼いつつ自給自足を目指している知人がいます。素人には難しいことですが、でもその方は、本当に楽しそうです。
取り留めないことをたくさん書いてしまいましたが、皆さんにお世話になったこと、それが、自分の支えになっていて、いつも心の中にあることをお伝えしたかったので、久しぶりに手紙を書きました。
お二人ともどうかご自愛ください。そしてとりあえずノブキは、まあさえないですが相変わらずなんとかやっているようだということを、彼女とハナによろしくお伝え下さい。
それでは、また。
2011年4月11日
音にいざなわれるまま、一度も入ったことのない経路から東朝比奈の森へ。
整然と林立する杉林、やわらかい土の感触、参道からはずれ笛を吹く孤高の老人。
森の中に入ると、ここが街中とは思えない。
信州の深い森を思い出す。どこかが違うけれど。
2011年4月2日
常勤になったため、新年度の1日から、新しい職場。
トンネルを1つ越えた、一年前にできた特養だ。
しかしこの特養、みみずくのイメージを覆した。
1 “地域密着型”特養 9人9人9人+ショートステイ+地域ケアプラザ
2 上司が同い年 スタッフは経験1、2年の新入社員が9割
3 管理者着任予定は夏以降
4 夜勤一人で2ユニット
5 フロアに、FMを流す。
6 TVで流れるのはMステ。
グループホームでは考えられない革命的事象だ。
要するに、ここは法人に入職した正社員だけの教育機関だった。
しかししかし教育する人材がいなかった。ほぼ素人だけで手探りの介護。それで現場が回っているというのは驚異だ。
しかも割と利用者は落ち着いている。
認知がないためか? それとも慣れているのか? そういえばこれまで認知症以外の老人と接してこなかった。
わからないことが、山ほどある。
2011年3月28日
グループホームでの勤務も残り2日となった。
一部屋、空ができ、そこに福島から被災した方を受け入れる方向で話が進んでいるよう。
各地の避難所において、認知症のかたは、そして介護をする人の試練は、想像を絶するもの・・・
季節の変わり目でさえ、不穏や周辺症状の原因になることもある。
まして、過酷な環境においては・・・だ。
* * *
停電があった日、夕方暗くなるリビングで、あえて入居者をあつめ歌をうたった。懐中電灯とろうそくだけでは足りないので、クリスマスに使う電池式のイルミネーションをかき集め、あちこちに設置した。
「クリスマスみたいね」
それで、落ち着いた雰囲気が出て、無事に就寝介助まで終えることができた。
隣のユニットは、しかし、大変な不穏の連鎖が始まっていた。
「何で電気がつかないの!」「テレビがみたい!」怒りと不安の大爆発。
地震があったことも、なんで停電してるのかも、わからない入居者が半数。
* * *
一過性の停電だけで、こちらはあの状況。
被災地では、紙おむつがない、汚物を洗う水もない。ただそれだけの条件でも、自分だったら、途方にくれてしまう。
* * *
東日本大震災:新潟で避難の62歳女性凍死 道に迷い?* * *
2011年3月28日 18時11分
28日午前8時半ごろ、新潟県田上町の林道で、震災で被災し同町に避難していた福島県富岡町の無職女性(62)が死亡しているのが見つかった。新潟県警加茂署によると、女性は認知症の症状があり、道に迷ったとみられる。死因は凍死。
同署によると、女性は27日午後、家族と共に移ってきたばかりだった。到着の約30分後、家族が目を離した隙(すき)に避難所を出たらしい。警察や消防団員が捜索し、約900メートル離れた林道であおむけで倒れているのを見つけた。富岡町は原発から20キロの避難指示圏に含まれ、女性は震災後4カ所目の避難先だったという。【塚本恒】
http://mainich i.jp/se lect/to day/new s/20110 329k000 0m04003 9000c.h tml
60台ということは、おそらく若年性アルツハイマー病。
認知症の方は、24時間体制の見守りが必要だ。
徘徊が施設内を越えると、そのリスクは未知数で、命を落とすかたもある。
街中で警察に保護されれば幸い、山林に迷い込み、出てこられなくなり体力を消耗し凍死してしまうこともある。
受け入れを、関東以南の福祉施設は判断し実行しないと…
2011年3月26日
認知症対応型グループホーム。
みみずくにとって最後の大仕事が今日終わった。一ヶ月にわたり、27人全員を救出する入念に計画をたてた避難訓練。
震災のため、監督する消防士こそこれなかったが、職員も揃いあとはその手順どおり避難すればよかった。
が。
予想外に訓練開始直前のみみずくの説明中に、参加者どうし議論がわきおこり、形ではなくもっと現実的な避難のありかたが検討された。
だれも口にしない。
だが、だれしもが、先日の地震のことを考えていた。
訓練は現実のためにあるという、当たり前のことを、だれもが、身に染みて感じていたように思う。
* * *
情報を閉ざせば世界は黙する。
だか、現実は同じ夜空のもとで日本中が混乱している。一万人が死んだ。まだ何千人が瓦礫のなかかもしれない。故郷をおわれ、見知らぬ土地に避難するバスで涙をながす人の姿も……目にうかぶ。
被災地から離れた人びとは、冷静なのか、現実から目を逸らせているのかわからない。ただ気休めていどの自己防衛をしたあとは、ネガティブな情報を語るのをやめ、前向きに必死に平常を戻そうとしている気がする。
まるであしたにはなにもかもが元通りになるかのように。
しかし、そうはならない。元通りの同じ世界に、戻ることはできない。これから先に用意されていない未来があるだけだ。
不幸と悲しみを乗りこえ、これまでのありかたを修正し、日本が生まれかわる日がいつくるか、いまは語れない。
だからといって、未来が悲観的だとは決まっていない。それは、これから作るものだ。訓練ではない本番に遭遇し、生き残った、生かされた全ての人が。
2011年3月23日
みみずくは専門家ではないから、意見や推測を述べることはできない。
そしてあらかじめ恥を忍んで言うと、今日、衝動的に浄水器を買ってしまったくらいである。(備蓄は地震前からしてる) それが、これから水道水に含まれるだろう、放射性のヨウ素やセシウム、まだ公表さていないストロンチウムやプルトニウムを除去する根拠などないのに。そしてここは横浜だ。
しかも用心深いみみずくは、震災以来、飲用には浴槽にためた水を使っている。
まあ過剰反応とも思う。
こんな調子のみみずく。
* * *
だが、できれば多くの人(大人よりも子ども!)に5年10年に後悔して欲しくない。
だから、自分のブログに限って書くことを許して欲しい。
みみずくがむかし松本に住んでいた。
ここの市長は、かつてチェルノブイリ原発事故で放射能汚染に晒されたベラルーシで5年半医療活動をした人で定例記者会見のムービーがあるので、時間がない人は17分以降から見て欲しい。
放射能汚染について。内部被爆、食物連鎖にもちゃんと言及して私見を述べている。政府の立場からより市民の立場にちかい、さらに実体験に基づく意見を述べている。いろいろな情報を見たかぎり、みみずく的には一番、説得力があるので紹介したい。乳幼児、妊婦はとくに。
http://vod4.city.matsumoto.nagano.jp/teirei20110322n.wmv
2011年3月21日
人は誰しも現実生活におおかれすくなかれの困難を抱えている。
それゆえに、ひとたび目の前の危険が避けられれば、意図も簡単に注意はそれてしまう。
しかし状況は、まったく収束しているようには思えない。地震の事だ。
* * *
収束して見えるのは、「自分」が、平時とほとんど変わらぬ仕事をし、食事もし、雨風寒さをしのげる屋根の下で過ごしているからかもしれない。
職場のテレビは徐々に通常放送に戻りつつある。うちにもテレビなんていうものがあったら、きっと地震の事を忘れてしまうのではないか。
恐ろしいことに「地震のニュースはあきたな」と思うかもしれない。被災地で愛する人を亡くし嗚咽する人をみても、なんとも思わなくなるかもしれない。
人間とはかように残酷な生き物だ。時として。
* * *
しかし
人間は残酷なだけではない。(はっきりいってよくわからない生き物だ)
「夜と霧」は人間の極限状態を描いている。ナチスの収容所において、強制労働すらできなくなった病人に、一日の食事である自分のパンをそっと置いておく人間がいた。人間にはそういうこともできる。
本能と理性の間に生きている生物。
* * *
さて
いま大事なのは
・油断をしないこと
・落ち着いてどっしり構えること
・冷静に、情報を吟味すること。
だと思う。
* * *
たとえば
買いだめや買占めなどはいまの空気では「悪」となっている。それはメディアによって形成された概念である。
買占めは略奪と同じだと。
手段が金か、力かの違いだと。
普段より買う量を多くしたりする行為は 不安に反応した、誰にも備わる自己防衛の本能によるものだとおもう。
* * *
節電はどうか。
毎日職場でも自宅でも電気利用はは極力控えているが・・・そもそも
電気が足りないと誰が言ったのか?
東京電力管内の他の原子力発電所、火力発電所、水力発電所、すべての総発電量は、予想需要より大幅に余裕があるという試算は、ネット上で調べればすぐわかる。
計画停電は、実は原子力が生活に必要不可欠だというプロパガンダでないとだれがいえる?
* * *
極度の疑心暗鬼や不安は、ネガティブであり嫌われるが、
必要なことだ。
* * *
ついでに。
都内における大気浮遊塵中の核反応生成物の測定結果についてhttp://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/whats-new/measurement.html
ことに15日のデータ。
当日は東京の大気に、「直ちに人体に影響のである値ではない」と数値ばかり公表されていたように思う。
自分が思うに、放射線も危険だが、放射性物質を体内に取り込んだ場合、はるかに危険だと思う。
ヨウ素の半減期が8日。セシウムは30年。体内に入って蓄積された場合二つは別次元といえるくらいひらきがある。このことはあまり報道されていない。すくなくとも、「直ちに人体に影響のである値ではない」ということばより。
* * *
今後の動向に注意しようとおもった。
(されたし と書いたら日記じゃなくなっちゃうね)
2011年3月17日
アインシュタイン
* * *
“本当に「 」なのか”
ここに世論や常識を入れ、アタマで変換してみることをお勧めしたい。思考の中断から逃れられる。
例えばそう ・月は落っこちてこない というアタリマエ中の当たり前。常識のなかの常識を入れてみる。生まれてこのかた、疑いさえしなかったことを。
* * *
僕の場合は、馬鹿だから脳内で一回フリーズをおこした。
「ばかだなー 月は落っこちたことがないから、落っこちてこないのは当たり前!」
↓
「あれ、地球の重力でりんごは落ちるのに、なんで月は落ちねえんだ?」
↓
「遠く離れた月にだって、地球の重力が働くだろうに。その力が小さくても
いつか落っこちてくるはず!?」
混乱する。自分の信じていた世界の常識が一瞬で崩れ、不安になる。
それは自らのアイデンティティの崩壊の危機であり、それ以上に、次の瞬間月が頭の上に落っこちてくるやもしれぬ現実的な恐怖との戦いである。
しかし! そこで恐れてはいけないと思う。不安と戦い考え続る。
すると「月には遠ざかる遠心力も働いている」ということに気づく。
新しい可能性にちかずく。
* * *
いま、大災害にメディアの情報が、生死や生活を大きく左右している。
だが。その情報を鵜呑みにするも、根っから反論するのもだめだ。
情報の発信もとは重要じゃない。NHKでも、東大の教授でも、原子力の専門家でも、隣のおばちゃんが言ってることも。巷のデマっぽい噂も!!
すべて情報は「ありえる可能性がある」だ。
だからこそ、
“本当に「 」なのか”
に情報を当てはめてみる。それも常識っぽいものから!
例題:「募金・節電は被災地を救う」
「ガソリンの買だめはとんでもない悪いこと」
「道路の状況が原因で、支援物資の到達を遅らせている」
「自衛隊は5万人動員されている」
何事も、最終的な結論は、他人ではなく自分で導くべきである。
そしてそれにもとづく行動には、責任を持つこと。
2011年3月12日
* * *
* * *
自宅で普段から備蓄しているろうそくや、ガス缶とバーナー、LED懐中電灯、即役立ちそうなものを持っていく。
暗闇の中、介助におわれる。
「こんなことはありました?」
年配の職員に聴く。
「こんなことは一度もなかった」
ご入居のほうは、余震のたび怖がってもすぐ忘れてしまうものの・・・・・・
関東大震災や大戦中の灯火管制の話をしてくれる。
* * *
ろうそくの明かりのもと、早めの夕食。
どんなことがあっても、入居者を不安にさせない。それだけでなく、危険にもさらさない。
入居者がいつものように寝入ったあと、実家にバイクを飛ばす。
実家ではすでに電気は復旧し、祖母二人、母も大丈夫だった。
* * *
死者が、増えている。
神様。これは警告なのですか?
2011年3月7日
春に自動二輪免許を取った。
そして今日、新型のカブを納車した。
バイクに乗るなら250cc以上の普通自動二輪を勧められたが、原付にした。
原付2種は近年、高い環境性と経済性の面から車にかわる移動手段として見直されている。新型プリウスだって、原付の燃費には到底及ばない。
・税金も保険も原付並み
・車検がない
・燃費がいい
・駐車場代もいらない
・車より機動性が高い
・二人乗りできる
原付2種が自分の所得エトセトラを鑑みて相応だろうと、いかにも無難な判断をした。
ホンダのPCXとスーパーカブ110と長い時間、悩みに悩み。
カブにした。
そういえば、カブに乗りたくて、昔、日本郵便の採用試験を受けたっけ。
空冷・4ストローク・単気筒110ccエンジン
燃費 63.5km/L(60km/h定地走行テスト値)
もう、どこに行くのも、海を渡るのも、空を飛ぶ以外はこのバイクと一緒
新しい道を子犬に
憶えさせるみたいに
この車に僕らの街を
憶えさせに出かけよう
初めての雨が降った後は
空も街も未来も
全部まとめて一緒に
磨いてまた輝かせよう
バイクは、乗りこなすことによって、持ち主との相性を高めていく。
これからよろしく。
2011年2月26日
私は覚悟を決め、ここに、秘伝のレシピを公開したい」
by .kokia.
Japanese translation rights arrangeed with the Author
* * *
以下、訳文。
このレシピは完全にオリジナルであり、おそらくは世界中の誰も知らない。
それがかりそめにもあなたの未熟な生活経験から、誇張に聞こえるのなら、いいかえよう。すくなくとも、私が生きた24年間、このパスタの味に勝る味を再現したパスタを食べたことがない。
それの味を忠実に再現する方法を、もし一人の利己的な人間が独占するならば、少なくとも関東近郊の小麦を主たる原料にする外食産業は、致命的なダメージをうけるであろう。パート社員はクビになるかもしれない。正社員でも、来夏のボーナスはカットだろう。サイゼリアとか。
* * *
しかし、そんなことは許されない。そのために、あえてこのパスタの調理法を、速やかに全世界にむけ、公開しなければならない。
いつの時代も重要な発見は、わずかな時間差においてなされるものだからだ。そしてそれが、かつてダイナマイトのように戦争のため、あるいは平和のために利用されるかは、発見者の意思と行動力に大きく関係する。
神に誓って。私はこの料理法を、善意ある温厚な市民のために役立てたい。
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料理研究家としてのこれまでの人生を告白しよう。
私は親を棄て、恋人も棄て棄てられ、仕事も棄てつつ、しかしして、これまでの人生の大半を、このパスタの研究に第一をおき、費やしてきた。極寒期にもしぶとく生き残るゴキブリと闘いながらこの狭いアパートにおいて。
しかしながらそんなことよりも、このレシピを公開することにより、業種を理由に、所得をに制限された一人暮らしの人間の生活を救うことのほうを私は選んだ。それは私個人というより、なんらかの神がかった意思を感じて。
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料理名
「具なしパスタ」
パスタは500g 97円の商品名:地中海パスタ。どんな安いパスタでもかまわないということだ。しかし、この価格で入手できるのは今のうちまもしれぬ。
これを主食とすると、米より、芋より安い。
材料は、ほかにマヨネーズ、ニンニク、サラダ油、塩コショウ、コンソメである。
通常この材料だけでパスタを作る場合のやり方は、万人ほぼ同じである。
「ゆでたパスタに、ニンニクを刻んで油でいためたものをまぜる」という。
しかしそれでは、この「具なしパスタ」の10パーセントの味も表現できない。
ポイントは普通にゆでたパスタに、ニンニクを別の形で調理したものを加えることである。
サラダ油を100ml空ビンにいれ、それに細かく切ったかつぶしたかニンニク2~10粒をいれ、湯煎をかける。<アホエンオイル>。ニンニク由来のアホエンという物質は油になじみ、なおかつ100℃を越えると、理論的に地球上では破壊されてしまう性質を持つので、通常の料理方法ではほとんどど生成されない(アホエンオイルと検索して調べれば大体このとおり)
ゆでたパスタにそのアホエンオイルと、塩コショウ、マヨネーズ、コンソメを加えれば、それで完成である。
これを読んでいても到底その味を想像することはできない。
実際に作ってみなければ!
栄養価はジャンクフードであるが、空腹を水意外で満たすカロリー補充という点においての食事を余儀なくされている諸君にとっては、さほど重要なことではないだろう。
付言するとアホエンは記憶力をたかめ、認知症すらを予防するという可能性が近年、世界中大企業のゴキブリのいない研究所で証明されつつある。
なにより、この料理は、お金がなくてもできる。
ガス代がきになるなら、パスタはゆでるのではなく、必要最低限のひたひたの水で茹で、水をすべて蒸発させてしまえばいい。
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信じるか信じないかはあなたしだい。これを知ったら長期保存の点でも優れたパスタを買いだめしておくことをお勧めする。
この味は、あなたの主食を変える可能性を持っている。
この食料価格高騰の危機に果敢に挑み、乗り越えるあなたを私は信じている。
2011年2月24日
あなたは死んだ。
私はあなたの最後の将棋相手。そしてあなたが最後に負かした相手。
あなたは昨日死んだ。
海の見える綺麗な病院で。
最後の写真をとったのは私。最後に話した他人も私。最後に花をあげたのも私。
最後に関わったにんげんが、僕なんかで。申し訳ない気持ちがいっぱいだけど、できるはんいで精一杯やったんだよ。信じてよ。
なにもわからなくなり、体も動かなくなっていくあなたは、もういない。
介護は機能向上だとか自立支援の仕事だけではない。
確実に沈みゆく夕方の時間を、隣で一緒に過ごすのも、また介護の仕事だ。
月夜のみみずくのこれまで、すべての記事は、要約するとこうなる。
「ああだった。
こうだった。
こんな気持ちになった」
みみずくは話したがりやで、秘密とか、いわなくてもいいような話まで、全部、話したい。三日坊主の自分が、こんなに長いあいだブログを続けていられるのは、話したがりやだからだったと気づいた。
カウンセリングと同じように、みみずくは感情を言葉に書き起こすことで、脆い精神の安定をはかる。心の均衡を保つ。
誰に読んでもらうためでもない月夜のみみずくのひとりごと。
気持ちの整理箪笥。
感情の冷凍庫。
あるいは焼却炉。
辛かった、悲しかった、嬉しかった、溢れる感情のすべてをここに書き込むことで、心のなかに相手の話しを聴ける余裕を作れればいいと思った。








