今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

震災10日目

2011年3月21日

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人は誰しも現実生活におおかれすくなかれの困難を抱えている。
それゆえに、ひとたび目の前の危険が避けられれば、意図も簡単に注意はそれてしまう。
しかし状況は、まったく収束しているようには思えない。地震の事だ。
* * *

収束して見えるのは、「自分」が、平時とほとんど変わらぬ仕事をし、食事もし、雨風寒さをしのげる屋根の下で過ごしているからかもしれない。
職場のテレビは徐々に通常放送に戻りつつある。うちにもテレビなんていうものがあったら、きっと地震の事を忘れてしまうのではないか。
恐ろしいことに「地震のニュースはあきたな」と思うかもしれない。被災地で愛する人を亡くし嗚咽する人をみても、なんとも思わなくなるかもしれない。

人間とはかように残酷な生き物だ。時として。

* * *
しかし
人間は残酷なだけではない。(はっきりいってよくわからない生き物だ)
「夜と霧」は人間の極限状態を描いている。ナチスの収容所において、強制労働すらできなくなった病人に、一日の食事である自分のパンをそっと置いておく人間がいた。人間にはそういうこともできる。

本能と理性の間に生きている生物。

* * *
さて
いま大事なのは
・油断をしないこと
・落ち着いてどっしり構えること
・冷静に、情報を吟味すること。
だと思う。

* * *
たとえば
買いだめや買占めなどはいまの空気では「悪」となっている。それはメディアによって形成された概念である。
買占めは略奪と同じだと。
手段が金か、力かの違いだと。
普段より買う量を多くしたりする行為は 不安に反応した、誰にも備わる自己防衛の本能によるものだとおもう。
* * *

節電はどうか。
毎日職場でも自宅でも電気利用はは極力控えているが・・・そもそも
電気が足りないと誰が言ったのか? 
東京電力管内の他の原子力発電所、火力発電所、水力発電所、すべての総発電量は、予想需要より大幅に余裕があるという試算は、ネット上で調べればすぐわかる。
計画停電は、実は原子力が生活に必要不可欠だというプロパガンダでないとだれがいえる?

* * *
極度の疑心暗鬼や不安は、ネガティブであり嫌われるが、
必要なことだ。

* * *
ついでに。
都内における大気浮遊塵中の核反応生成物の測定結果についてhttp://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/whats-new/measurement.html 

ことに15日のデータ。
当日は東京の大気に、「直ちに人体に影響のである値ではない」と数値ばかり公表されていたように思う。
自分が思うに、放射線も危険だが、放射性物質を体内に取り込んだ場合、はるかに危険だと思う。
ヨウ素の半減期が8日。セシウムは30年。体内に入って蓄積された場合二つは別次元といえるくらいひらきがある。このことはあまり報道されていない。すくなくとも、「直ちに人体に影響のである値ではない」ということばより。

* * *
今後の動向に注意しようとおもった。
(されたし と書いたら日記じゃなくなっちゃうね)

本当に「月は落っこちてこない」の?

2011年3月17日

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「過去から学び、今日のために生き、 未来に対して希望をもつ。 大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。」

  アインシュタイン

* * *

“本当に「  」なのか”

ここに世論や常識を入れ、アタマで変換してみることをお勧めしたい。思考の中断から逃れられる。

例えばそう ・月は落っこちてこない  というアタリマエ中の当たり前。常識のなかの常識を入れてみる。生まれてこのかた、疑いさえしなかったことを。



* * *


僕の場合は、馬鹿だから脳内で一回フリーズをおこした。


「ばかだなー 月は落っこちたことがないから、落っこちてこないのは当たり前!」

          ↓

「あれ、地球の重力でりんごは落ちるのに、なんで月は落ちねえんだ?」

          ↓

「遠く離れた月にだって、地球の重力が働くだろうに。その力が小さくても
いつか落っこちてくるはず!?」


混乱する。自分の信じていた世界の常識が一瞬で崩れ、不安になる。

それは自らのアイデンティティの崩壊の危機であり、それ以上に、次の瞬間月が頭の上に落っこちてくるやもしれぬ現実的な恐怖との戦いである。


しかし! そこで恐れてはいけないと思う。不安と戦い考え続る。

すると「月には遠ざかる遠心力も働いている」ということに気づく。

新しい可能性にちかずく。


* * *


いま、大災害にメディアの情報が、生死や生活を大きく左右している。

だが。その情報を鵜呑みにするも、根っから反論するのもだめだ。

情報の発信もとは重要じゃない。NHKでも、東大の教授でも、原子力の専門家でも、隣のおばちゃんが言ってることも。巷のデマっぽい噂も!!

すべて情報は「ありえる可能性がある」だ。

だからこそ、

“本当に「  」なのか”

に情報を当てはめてみる。それも常識っぽいものから!


例題:「募金・節電は被災地を救う」
   
   「ガソリンの買だめはとんでもない悪いこと」

   「道路の状況が原因で、支援物資の到達を遅らせている」

   「自衛隊は5万人動員されている」

 

何事も、最終的な結論は、他人ではなく自分で導くべきである。

そしてそれにもとづく行動には、責任を持つこと。

夜勤中…それも

2011年3月15日

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半年ぶりの夜勤…ひとり。
予断をゆるさない原発のニュース
横浜にも小さな余震。
定時巡回、動かぬお年寄り、額に触って生きているか確かめる。

東北・関東大地震

2011年3月12日

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0:30現在 90数名の確定死者と、200~300人の溺死者情報がラジオから流れる。


* * *
大地震による停電のため、16時に自主出勤。

* * *


自宅で普段から備蓄しているろうそくや、ガス缶とバーナー、LED懐中電灯、即役立ちそうなものを持っていく。

暗闇の中、介助におわれる。

「こんなことはありました?」

年配の職員に聴く。

「こんなことは一度もなかった」

ご入居のほうは、余震のたび怖がってもすぐ忘れてしまうものの・・・・・・

関東大震災や大戦中の灯火管制の話をしてくれる。


* * *

ろうそくの明かりのもと、早めの夕食。

どんなことがあっても、入居者を不安にさせない。それだけでなく、危険にもさらさない。

入居者がいつものように寝入ったあと、実家にバイクを飛ばす。
実家ではすでに電気は復旧し、祖母二人、母も大丈夫だった。


* * *

死者が、増えている。



神様。これは警告なのですか?

原2生活

2011年3月7日

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春に自動二輪免許を取った。
そして今日、新型のカブを納車した。

バイクに乗るなら250cc以上の普通自動二輪を勧められたが、原付にした。
原付2種は近年、高い環境性と経済性の面から車にかわる移動手段として見直されている。新型プリウスだって、原付の燃費には到底及ばない。

・税金も保険も原付並み
・車検がない
・燃費がいい
・駐車場代もいらない
・車より機動性が高い
・二人乗りできる

原付2種が自分の所得エトセトラを鑑みて相応だろうと、いかにも無難な判断をした。

ホンダのPCXとスーパーカブ110と長い時間、悩みに悩み。

カブにした。

そういえば、カブに乗りたくて、昔、日本郵便の採用試験を受けたっけ。

空冷・4ストローク・単気筒110ccエンジン
燃費 63.5km/L(60km/h定地走行テスト値)
もう、どこに行くのも、海を渡るのも、空を飛ぶ以外はこのバイクと一緒

      新しい道を子犬に
      憶えさせるみたいに
      この車に僕らの街を
      憶えさせに出かけよう
      初めての雨が降った後は
      空も街も未来も
      全部まとめて一緒に
      磨いてまた輝かせよう

バイクは、乗りこなすことによって、持ち主との相性を高めていく。

これからよろしく。

三浦海岸

2011年3月4日

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三浦のバイクショップまで。二輪の免許もとったし、もうすぐ暖かくなるので50cc→110ccのカブに乗り換えを検討中。

ある料理研究家の残された手記より

2011年2月26日

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「今後の小麦価格上昇する今という、これとない機会に際して。
私は覚悟を決め、ここに、秘伝のレシピを公開したい」

by .kokia.
Japanese translation rights arrangeed with the Author

* * *

以下、訳文。


このレシピは完全にオリジナルであり、おそらくは世界中の誰も知らない。


それがかりそめにもあなたの未熟な生活経験から、誇張に聞こえるのなら、いいかえよう。すくなくとも、私が生きた24年間、このパスタの味に勝る味を再現したパスタを食べたことがない。


それの味を忠実に再現する方法を、もし一人の利己的な人間が独占するならば、少なくとも関東近郊の小麦を主たる原料にする外食産業は、致命的なダメージをうけるであろう。パート社員はクビになるかもしれない。正社員でも、来夏のボーナスはカットだろう。サイゼリアとか。

* * *


しかし、そんなことは許されない。そのために、あえてこのパスタの調理法を、速やかに全世界にむけ、公開しなければならない。

いつの時代も重要な発見は、わずかな時間差においてなされるものだからだ。そしてそれが、かつてダイナマイトのように戦争のため、あるいは平和のために利用されるかは、発見者の意思と行動力に大きく関係する。

神に誓って。私はこの料理法を、善意ある温厚な市民のために役立てたい。


* * *

料理研究家としてのこれまでの人生を告白しよう。


私は親を棄て、恋人も棄て棄てられ、仕事も棄てつつ、しかしして、これまでの人生の大半を、このパスタの研究に第一をおき、費やしてきた。極寒期にもしぶとく生き残るゴキブリと闘いながらこの狭いアパートにおいて。

しかしながらそんなことよりも、このレシピを公開することにより、業種を理由に、所得をに制限された一人暮らしの人間の生活を救うことのほうを私は選んだ。それは私個人というより、なんらかの神がかった意思を感じて。


* * *


料理名

「具なしパスタ」

パスタは500g 97円の商品名:地中海パスタ。どんな安いパスタでもかまわないということだ。しかし、この価格で入手できるのは今のうちまもしれぬ。

これを主食とすると、米より、芋より安い。


材料は、ほかにマヨネーズ、ニンニク、サラダ油、塩コショウ、コンソメである。


通常この材料だけでパスタを作る場合のやり方は、万人ほぼ同じである。

「ゆでたパスタに、ニンニクを刻んで油でいためたものをまぜる」という。
しかしそれでは、この「具なしパスタ」の10パーセントの味も表現できない。

ポイントは普通にゆでたパスタに、ニンニクを別の形で調理したものを加えることである。


サラダ油を100ml空ビンにいれ、それに細かく切ったかつぶしたかニンニク2~10粒をいれ、湯煎をかける。<アホエンオイル>。ニンニク由来のアホエンという物質は油になじみ、なおかつ100℃を越えると、理論的に地球上では破壊されてしまう性質を持つので、通常の料理方法ではほとんどど生成されない(アホエンオイルと検索して調べれば大体このとおり)

ゆでたパスタにそのアホエンオイルと、塩コショウ、マヨネーズ、コンソメを加えれば、それで完成である。


これを読んでいても到底その味を想像することはできない。
実際に作ってみなければ!

栄養価はジャンクフードであるが、空腹を水意外で満たすカロリー補充という点においての食事を余儀なくされている諸君にとっては、さほど重要なことではないだろう。

付言するとアホエンは記憶力をたかめ、認知症すらを予防するという可能性が近年、世界中大企業のゴキブリのいない研究所で証明されつつある。

なにより、この料理は、お金がなくてもできる。

ガス代がきになるなら、パスタはゆでるのではなく、必要最低限のひたひたの水で茹で、水をすべて蒸発させてしまえばいい。

* * *

信じるか信じないかはあなたしだい。これを知ったら長期保存の点でも優れたパスタを買いだめしておくことをお勧めする。

この味は、あなたの主食を変える可能性を持っている。

この食料価格高騰の危機に果敢に挑み、乗り越えるあなたを私は信じている。

osousiki

2011年2月24日

あなたは死んだ。
私はあなたの最後の将棋相手。そしてあなたが最後に負かした相手。
あなたは昨日死んだ。
海の見える綺麗な病院で。
最後の写真をとったのは私。最後に話した他人も私。最後に花をあげたのも私。
最後に関わったにんげんが、僕なんかで。申し訳ない気持ちがいっぱいだけど、できるはんいで精一杯やったんだよ。信じてよ。

なにもわからなくなり、体も動かなくなっていくあなたは、もういない。

介護は機能向上だとか自立支援の仕事だけではない。

確実に沈みゆく夕方の時間を、隣で一緒に過ごすのも、また介護の仕事だ。

話したがりや

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月夜のみみずくのこれまで、すべての記事は、要約するとこうなる。

「ああだった。
こうだった。
こんな気持ちになった」


みみずくは話したがりやで、秘密とか、いわなくてもいいような話まで、全部、話したい。三日坊主の自分が、こんなに長いあいだブログを続けていられるのは、話したがりやだからだったと気づいた。

カウンセリングと同じように、みみずくは感情を言葉に書き起こすことで、脆い精神の安定をはかる。心の均衡を保つ。


誰に読んでもらうためでもない月夜のみみずくのひとりごと。

気持ちの整理箪笥。

感情の冷凍庫。

あるいは焼却炉。

辛かった、悲しかった、嬉しかった、溢れる感情のすべてをここに書き込むことで、心のなかに相手の話しを聴ける余裕を作れればいいと思った。

衝突

2011年2月23日

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悪口を書きたい。 ある特定の人の! 仕事の!

こうかくと、たいていの人は眉をひそめる。

だが、自分はいい人間ではないので、悪口を言いたくもなるし、悪態もつきたくなる時がある。

もう、その人の事を、できる限りの醜い言葉で、さんざんけなしてやりたい。反論もできなくなるくらい、いい負かしてやりたい。

それこそ、何のために今まで勉強してきたか? それは、道筋だった完璧な論理と、緻密に練られた感情的な言葉で、その人と戦うためだと思えるくらい。

* * *
争いごとは嫌いだった。

世の中のあらゆることは白黒ではなく。灰色だ。どんな揉め事の原因も、どちらか一方にあるということはない。相手にもあるし、自分にもある。

自分は、いつも先に、自分の非を認め、謝って事を収めようとしていた。

あるいは、その人とは相性がよくないということで、近づかないでやり過ごす人間だった。

今回はもうそんなことは辞めたい。

自分が正しいと思ったこと、考えたことはを貫きとおしたい・・・・・・

* * *

でも、たいていそんなときは、相手もそう思っている。

* * *
どんな嫌で嫌でたまらない相手でも、同じ釜の飯を食らい、おなじ風呂に入り、一緒に飲めば、一週間で分かり合えるのに。

社会に出ると、そうはできない。どうしても敵ができてしまう。

お互い、事情はあるのに。

分かり合えない。それが哀しい。



* * *

翌日。

昨日の話はそれでおしまいのつもりだった。

上司にも今回の件は相談するつもりはなかった。

今日出勤すると・・・相手から自分宛のクレームの電話が・・・

クレームといってもサービス利用者からではなく、いわば協力関係にある側の人だ。

そして電話した上さらに、夕方職場に会いにくるという。僕と、職場の責任者に苦情を言うために。相当、怒っている。

* * *

上司からの事前のアドバイスは、とにかく相手の言うことを聞き、もう一度、謝れとのこと。

事情だとか、正しいとか間違っているとかではない。相手の怒りを買うまでに至った対応がミスであると!

確かにそのとおりかもしれない。

* * *

上司は、握りこぶしを見せた。

「たとえあなたが、ふざけるなこのやろうと思っても、先に自分の否を認め、謝ること」

「この手で何度壁を殴りつけたか」

そういいつつ僕のフォローだけでなく、ちゃんと相手のフォローもしていた。

「たばこ吸ってちょっと話そう」

* * *

昨日まで問題を一人で抱え込んでいた。

今日、問題が悪化した。

でも気持ちを聞いてくれる人が周りにはたくさんいた。

それが嬉しかった。

* * *
相手は、涙ぐみながら(自分にはそう見えた)、呼び出すつもりはなかったといって、帰っていった。

あなたは悪くない。

そう、あなたは悪い人ではないんだ。

また日々の仕事を続ける。

くしくも、今日、特別養護老人ホームへの異動が決まった。

すれ違い

2011年2月11日

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遅くに仕事が終わり、横浜の西口に向かう。
ネットで知り合ったある人に会って話をするため。

休日前の街は、遅い時間にも関わらずとても混雑していた。
改札の柱の下で、車椅子に乗ったその人はいた。

相鉄の二階の改札の外を出ると、エレベーターはもう時間外で使えない。

駅員に頼んで、ホームをとおり、構内のエレベーターを使って私たちは1階におりた。駅の外を出ると、階段や段差、点字ブロックなどで、路面はでこぼこで、それはとにかく人ごみで。僕はあらかじめ行く場所を調べておかなかった自分を後悔しつつ、連れ添った。

スタバで二時間くらいか。話をする。
その内容はとにかくとして。

当たり前のかもしれないが、人の一生は、「分かれ道」があってそのどちらかを選ぶことによって決まるだけのものではない。もっと些細なことで、生き方は修正され、目に見えないなにかによって導かれていく。

例えばそれはコミュニケーションだ。たった一時間の会話が、たとえ何年かして、その話の内容すらも忘れてしまったとしても、無意識に働きかけ、自分の軌道に働きかける。

つながりのないようなことが、つながっていく。
会うはずのない人が、めぐり合う。

不思議なことだ。

生き方を決めるのは自分だとみな思っている。それは間違いではない。だが、思っている以上に、目に見えない何かに動かされている部分がある。

それは人によっては神、というのかもしれない。

介護福祉士国家試験

2011年1月31日

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今日は介護福祉士の国家試験の日。

いま介護福祉士の実務経験者ルートの受験資格が議論になっている。

自分はまだ、実務経験2年目なので、受ける資格はないけれども。

* * *

今年の試験、すなわち今日の試験までは、実務経験を3年もつ人はそれだけで試験を受けることができる。

だが来年から、受験資格に、さらに「600時間の養成施設での研修」が追加されるらしいことは以前からわかっており、ヘルパー同士でたまに噂となっていた。当然、現在仕事をしながら、介護福祉士を目指す人には、この追加事項は、相当な重みをもつ。


有識者と現場での間で、激しい論争が繰り広げられ、このたび「450時間の養成施設での研修」が義務化される見通しが強くなった。

それも3年間の猶予期間がつく。

誰だって試験のハードルがあがるのはいやだ。ほっとしたのが正直な感想だが、将来介護を生業とする人間の評価を高め、労働環境をよくするには、一見ばかげた法改正の意図も理解できる気もしなくはない。

* * *

よく介護福祉士の同僚のおばちゃんが、業務をめんどくさがると、「先輩、たしかぁ、介護福祉士でしたよねー?」と冗談をいう。

資格があっても、なくても、実際やっている仕事にほとんど関係しない。資格なんて、肩書きに過ぎないともいえる。


・・・それでいて軽視できないもの。それが資格だと思う。実際なければできない業務があるし、資格がなければ、学ばないこともおおい。人間は怠け者だから。

* * *

そういえば、教育の世界では、免許をとって、一人前の教師になるのはさらに少なくとも10年かかるといわれていた。


だが10年たったって本当に一人前といえるかは怪しい。

一番大切なのは資格ではない。反省し向上できるか、だと思う。

ろうそく生活2

2011年1月27日

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先ほど、ろうそくはすべて燃え尽き、ろうそく生活は3回目の朝日をまたず、終了した。オール電化はリスクが大きすぎて考え物だという結論、そして電気でだけではない、毎日無駄にしているものや時間に気がついた。

いま朝の5時前。LEDのともし火が、冷たい光を放っている。
          
                * * *

ろうそくも燃え尽きたが、自分も燃え尽きてしまいそうで、怖い。

悪夢を見た。秋から辞めていたたばこもまた吸いはじめた。お酒も胃薬もそれはしこたまと。しょうもない失恋と追加された連日の勤務も重なって精神がおかしくなりそう。あと一日でいい、休みがあれば大丈夫なのに・・・。

処理能力には個人差がある。そして自分のそれは低いとみていい。いますぐ、すべてから手を抜かなければ・・・サボるのだ。全力で、怠けよう。大丈夫、たいていのことは、あとで取り返しがつく。

昔の自分だったら頑張り続けていた。それは結果的にそれは得策ではないと知っている。

仕事を回避できないとしたら、残す手は一つ。
休日。そう今日を使って、効率のよい休養をとることだ。それも睡眠をとる以上に、鬱積したものを吹っ飛ばすなにか方法があるはずだ。

免許を発行しに行こうか? 二俣川の免許センターの意地のわるい警察官は休日にふさわしくない。

好きな音楽を聴こうか。お茶を飲もうか。たばこも吸っちゃおう。節約はやめて、自分の好きなものを買おう・・・・・・なにもほしいものはないけれど。

いま一番ほしいものがあるとすれば、人。
話を聴いてくれる味方。
話を聴いてあげられる人。

社会全体、孤独にまみれている。人はいるのに。どこもにぎやかで一見するとそうとは見えないけれど。

身近にいる一番大切な人に会いに行こうか。
そうだ、会いに行こうよ!
          * * *

そう、これを読んでるあなたもね。

ろうそく生活1

2011年1月25日

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もろもろの事情があって、昨晩から電気が使えない。


仕事から帰って、ろうそくに火をともし、寝るまでの時間をすごしている。


水道とガスは、生きている。だが、たとえガスが通っていても、電気がないことには、風呂に湯をはることはできない。湯沸かし器は、電気を使って作動するからだ。こんなあたりまえのこと、電気がとまるまで気がつかなかった。

洗髪は、水でいいとして。からだは、ガスコンロと鍋で湯を沸かし、タオルで拭く。この時期、水風呂は考えられないから。

別に一人暮らしの家計が苦しいわけじゃない。ただ、ここではいいずらい事情があって、電気が使えないのだ……


パソコンもバッテリがあるが、インターネットには接続できない。ブログを更新する携帯は、電池で充電するか、外で電源を探さないといけない。


冷凍庫の食品もさすがにもう溶けてしまっただろう。今晩は、それを食べる予定。


LEDのヘッドランプがあるから、必要ならばそれを使うが、ろうそくだけで部屋はほのかに明るいので、さして使うこともない。


この生活がいつまでつづくかわからない。何日もつか。いまのところは大丈夫……


知らす知らすにライフラインに依存してきた自分、いつまでもつか…

今日こそは!

2011年1月23日

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絶対うかってやる!

あなたに伝えたいこと

2011年1月22日

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あなたに伝えたいこと。

いまはもうここにはいないあなたに。そう、あなたに。

私、以外のだれか、といえばいいのかもしれない。そう思えるほど、

だいぶ、時間がたったね。

* * *

あなたに伝えたいこと。

そう今日の晩の満月とおなじように、明け方には誰にも見送られず、消えた、あなたに。

伝えたいことがある。

生きていくことの計り知れない喜びと、哀しみを。
今日この日のささやかな喜びと、哀しみを。

あなたがもっと生きていれば、きっと同じように感じたであろうの数々のことを。

死という言葉をあえていいかえるのなら、あなたは、記憶のすべてを封じ込められ、あるいは封じ込め、人生の最良の日の記憶と、深くそれは深く傷ついた日の記憶を、無意識に再現しながら生きているのだろう。雲のなかで。

* * *

あなたがあなたでなくなる前、私は出会った。

いまのあなたは言葉を失い。感情を失い。人を愛することも愛されることもしない・・・

あなたの家に大切にしまってある、金色の折り紙に書かれた一通の手紙。それがあなたを知る私にとってのすべての手がかり。

* * *

あの日、高原の森の中の、何千年を生きた樹木の傍らで、陽だまりが、あなたの顔を明るく、明るく照らしていた。


気付けば、もうすでに私は、あなたの年を越えてしまいました。
でも、あなたを越えられる日は、いつくるんだろう?

心の中の醜い自分

2011年1月18日

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悪いことをしようとした。
しかけて、気付いた。

自分が常に善人ではあるとは限らない・・・
悪いことをしている時、このことには気付かない。

* * *

新聞を見る。

毎日のように、社会的に信用が高い職種の人が、犯罪を犯し、逮捕されている。一日のうちに信用が失われ、人生を0からやり直す人がいる。

窃盗、強盗、詐欺、恐喝、売春、横領、薬物・・・

* * * 

我々は罪を犯したいから罪を犯すのではない。心の弱さ、孤独の寂しさ、人生の悲哀をまぎらわすため罪を犯す 

遠藤周作の言葉。

試験に落ちたこと、受かったこと

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昨日は、普通自動二輪の卒業検定。

結果。パイロン接触で、終了。

しかもスラロームで! クランクでも急制動でもない、スラローム。教習中は一回も失敗したことがないのに・・・


検定員は事前説明の教室からやたら威圧的だった。それに押された感があった。


もともと緊張症で、卒業論文の中間発表の時、頭が真っ白になってなにもしゃべれなくなったことがある。


「駄目かもしれない」そう思った時は必ず失敗する。プレッシャーに人一倍弱い。

そういうことがわかっただけでも、二輪免許を取ろうとしてよかったと思う。


* * *

いいこともあった。勤め先の常勤登用試験に受かった。秋から二回の論文と面接を切り抜け、やっと結果が伝えられた。

昨年の10月付けで、採用してくれるという。


コンビニ店員並みの給料が改められ、時給制は月給制にかわり、去年の夏の分からボーナスももらえる。

でも、誰にも言わないがあまり嬉しくない。

僕は一人だし、お金には困っていない。

正規職員でも、世の中の平均に比べれば、低い待遇であること。

それより、そういうことを誰にも、報告できないこと。


* * *

自分は、小学校の教員になろうと思っていた。

でも、現実にうまくいかないことが多すぎて、諦めた。

諦めの結果が、いまだとしたら、それは喜ぶべきことなのか?

* * *

いまの仕事は世の中で必要不可欠な仕事だ。

だけどそれに誇りをもてないでいる自分に最近気がついている。

小さくなった彼女

2010年12月28日

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今日は、ユニット長の運転で、同じ系列の特養にいった。「ちょっと寄ってコーヒーのましてもらおうぜ」ということで。




足腰、元気なばあちゃん2人と入ったばっかりのばあちゃん乗せて。



そこには、半年前、うちから引っ越した、みんなからみっちゃんとよばれる、小さなばあちゃんがいた。のってきた車は夕方の送迎に使うデイサービスの借り物なので、時間がかなり押していたが、ユニット長がいいよ!といってくれたので、逢いにいった。



半年振りにあった彼女は、特養の広いフロアで半分泣いていた。徘徊する彼女は転んだばっかりなのだという。



下を向いている彼女に近づいて、いつかのように英語で話しかける。









「Hello? How are you?」



「…… 」



「アーユーオッケー? 大丈夫?」



「イエース」(蚊のなくような声で)



「よかったねみっちゃん、きれいなとこすんでるね」



「うん…」







驚いたのは、一緒にきたばあちゃんが、彼女のことを思い出し、名前をよんで、手を握って、泣き出したのである。もう忘れているのではと思っていた。





ユニット長が、俺のこと覚えてる?ときくと



「覚えてるよ」。







聞き取れないくらいの小さな声でそういうんだ。





たくさんの老人の中で埋もれそうになっているけれど、ちゃんと僕はあなたのことを知っています。

老人、若者、こども

2010年11月12日

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今日は休みであったが、なんかへんてこりんな一日だった。

昼間は肺炎で入院したおじいさんの見舞いに行く。壁に「〇〇様はミトン可だが抑制は禁止」という張り紙があった。チューブや点滴をつけられていたが、熱も下がり元気そう。しかし認知が進み会話は半分も成立しなかった。

まえに肺炎で入院していたときは暴れて四肢を紐で縛られていたというから、ちょっと心配していたが。拘束もされず静かに寝ていらしたので安心した。

そして何回か息子の名前を呼んでいた。

それをみた反対側のベットの、比較的元気なおじいさんが僕に話しかけてきた。僕のことを見舞いにきた息子と思ったらしい。「いいねだんなは、見舞いに来てくれる家族がいて」

僕は肉親ではなく、ただの職員だが、ただ笑ってうなずくだけにしておいた。

バラの鉢植えを置いて帰る。
           
 ***

夕方は、職場に顔をだして、管理者や、上司に明日の昇進試験で提出する論文を添削してもらう。働き盛りの大人たち・・・・・・

 * * *

暗くなって、リサイクルショップにいき楽器を見ていた。すると小さな女の子が、一人でやってきて人懐こく話しかけてきた。天使みたいな子だった。その子は僕がするように、弾けもしないギターの弦をぽろんぽろんはじきながら、なぜか僕にまとわりついていろいろ話しかけてくる。

子ども「ひなっていうの」  「ふうーん」
子ども「これ小さいね」      「うん、かわいいギターだね」
子ども「ひなはこれ弾けるんだ」    「へえ、すごいね」
子ども「ひなはこんなオレンジ色が大
好きなの」    「そう、きれいだもんね」 
「お父さんお母さん一緒なの?」     子ども「うん」


人生の夕刻をとうに迎えたおじいさん、働き盛りのお父さん、そしてこれから生きていく小さな女の子。

同じ時代を生きて、たまた出会いすれ違っただけなのだけど、どうして皆、こんなに親しく、いとおしく感じられるのか。