切羽詰っているとき、一人電話相談をする。
相談相手も回答者も自分という・・・
パーソナリティ
「はい、今週もやってまいりました。人生相談。このコーナーでは、心理学者であり、精神科医であり、また作家でもあられる、 川獺(かわうそ)が、皆さんの心の悩みを解決します。川獺先生は、現在、精神病院の医師として勤務する傍ら、自らもアルコール中毒症と戦っておられます。」
カワウソ
「はい、よろしく。多少ロレツガ回りませんが」
パーソナリティ
「では今週の相談者からの電話に切り替えます、月夜のミミズクさん、どうぞ」
ミミズク「こんばんは・・・」
カワウソ「はい、こんばんは。どのような御相談ですか?」
ミミズク「あの、試験がせまっていてプレッシャーに押しつぶされそうなのです・・・」
カワウソ「ほう」
ミミズク「このままではいけないと・・・」
カワウソ「ふむ」
ミミズク「一週間後なんですが、でも自信がなくて・・・」
カワウソ「どのような試験ですか?」
ミミズク「とある会社の採用試験なんですが。面接も心配なんですが、もう一つ、模擬プレゼンというものがあって。」
カワウソ「何を売るんです?」
ミミズク「はい。それが・・・ 子どもたちに“夢”を売る商売なんです」
カワウソ「ほう、それは珍しいビジネスですな」
ミミズク「限られた時間のなかで、子どもたちの興味と感心を持たせ、購買意欲の向上につながる話をしなきゃなんないのです」
カワウソ「まず聞きたいことがある」
ミミズク「はい」
カワウソ「あなたには売るような”夢”があるのですが?」
ミミズク「・・・・・」
カワウソ「ない?」
ミミズク(小さな声で)「あります・・・・・・でもそれが、なんなのか、まだはっきり言葉にできなくて」
カワウソ「あなたの中で、いまだはっきりとした形になっていない」
ミミズク「ですから、僕は、この試験が心配なのではなくて、受ける資格があるのかどうか、悩んでいるみたいです」
カワウソ「なるほど、お悩みが具体的になってきましたね。それで?」
ミミズク「それでって?」
カワウソ「あなたは試験を受けるんでしょ?」
ミミズク「はい」
カワウソ「だったら受ける資格があるかないか考えないで、残された時間を、あなた自身にある力を表現するための準備に当てればよいです。その会社があなたの力を大丈夫と思えば、大丈夫なんです。使い物にならないと思えば、落とすだけです。あなたが決めることではない」
ミミズク「そうか」
カワウソ「結局、悩んでいる様に見えて、答えは決まっているものです。悩みとは、ためらいに外なりません」
ミミズク「そのとおりでした」
カワウソ「ためらいは、障害です。早いうちにぶっ潰さねばなりません。自分の力を飾らず、ありのままを表現できるよう願っています。そちらのほうが大事で、試験の結果など、考えなくてもよろしい」
ミミズク「わかりました。」
カワウソ「そもそも、夢なんて自分が抱き、実現していくものであって、売るようなものではないのですから。試験はあくまで、形式にすぎないということを、申し添えておきます。」
今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2010年7月29日
2010年7月26日
昔、日本は遠い南の海と空に出ばって、世界を相手に戦争をしていた。
戦後40年以上たってから生まれたみみずくにはそれは、知識であり、実感を伴った体験ではなかった。
しかし最近、認知症高齢者に、あの戦争の存在を感じざるを得なくなってきた。
みみずくの祖母は子どものころ戦争を直に体験した世代だ。グループホームではその祖母より年上、大人として戦争に巻き込まれた年代の人もいる。
一対八。大胆そんな男女比。女性が多いのは、生物学的な要因だけではない。夫を戦争で失い、戦争未亡人として、焼けの原から一家を支えた女の、想像を絶する努力、苦悩。
「助け合って生きてきた」
それだけではあるまい。
「自分」と「家族」が生き残るためには綺麗事だけでは済まされなかったと思う。貪欲さ、浅ましさ、狡さ、生き残るための武器だったのではないか?
配られた均一の茹でトウモロコシが他の人より小さい!と激怒した事のことを前回書いたが、その行為の背後には、いまいったような時代や束縛があるのではないか……
2010年7月15日
みみずくのいまの介護は「役者」だ。
例えば……ここは家なんだ という雰囲気を守るために……
「ただいま帰りました」
と出勤をし、
「出かけてきます」
で退社する職員がいてもいいと思う。グループホームはご入居者にとって本当の家なのだから。
しかし……世の中はおそろしいもので、数少ないが、"役者にならない"職員もいる。演技はなく、心から、無条件の愛情を注ぎ、人生の先輩(ご入居者)に対する尊敬を片時も忘れない……
こういう仕事をしている職員には頭が下がる思い。この福祉の仕事の境地なのかもしれない。
さて。
告白するが、みみずくは
あのくそ爺 くそ婆 とこっそり思う場面が、一日数回ある。
認知症のお年寄りは、人間の醜い性質が顕著にあらわれることがある。ときに理不尽で、自己中心で、それは、仮の話として、均等に配られた三時のおやつのトウモロコシに、
「周りに比べて小さいではないか!馬鹿にしとるのかぁ!!!」
と怒鳴ったり拗ねたりするおばあ様がいたりすると、
口には出さぬが、「なにお、このゴーヨク婆が!」、とヒヨッコのみみずくは思う。
けれど、そういう 怒りのエネルギーが、あること自体が素晴らしい、と嬉しそうに語る職員もいる。
そういう考え方かたができることに、みみずくは頭が上がらぬ。
2010年6月7日
2010年6月4日
20時就寝のはずが、0時前にやっと、最後の人を寝かせ…………ひといきつくまもなく朝食の準備をしていると、がさこそ音が……
音をたどり居室へいくと
「こんちわ」
み「まだ夜中ですけどね……」
寝る気配もなく。部屋に放置しておくと、壁の電源が壊されたりするばかりでなく、感電されるおそれもあるから仕方なくリビングへお連れする。
申し訳ないが、車椅子のフットレストをつけ、布団をかけておく。法律上禁止されている「拘束」にあたるが、安全上、やむを得ずということで。(みみずくはひとりでこの方を含む九名に、生きて朝を迎えさせる義務がある)
み「はい、おはようございます」
後日記;安全上、やむなくというのが拘束する上での一番のいいわけであり、それは介護者中心の理由であることは頭でしか理解していなかった。もっと別な方法があったはず。少なくともそれを考える余地はなかったのか、と反省している。
複数のセンサーが暗闇のなか煌々と光っている。鳴ればかけつけ、鳴らなくても物音がすれば駆け付け、物音がしなくても気配さえあれば駆け付け、失禁の時は洗濯機をまわし、徘徊の時は一緒にそって歩き………………
ああ、もうすぐ3時になる。
ちなみに1時から4時は夜勤者は仮眠とされており、給与はでない。
後日記:この記事を読んでみみずくに失望したかたもあるかもわからない。でも、間違いなく、そのとき思ったことを書いた。この日記では飾ったり嘘を書きたくない。後日記事のひどさに削除しようかと思ったが、みみずくの影の部分も、残しておくべきと思って残しておくことにする。
2010年5月31日
今年も、山梨の北杜市で、小さな森のコンサートが開催されました。
地域の作業所や授産園、社会福祉施設で働く人たちが集まって、出店を出したり、演奏したり。
前日の夜、仕事をおえ、かずきさんに新宿から車に乗せてもらい、久しぶりにシュラフとウクレレを持って、みみずくも参加。かずきさん、ありがとうございました。
山梨はまだ、春という感じで、新緑が鮮やかで、それだけで嬉しくなりました。
コンサート中、自然に人がステージの前に集まってきて、自然に輪ができて、音楽の力って改めてすごいなって思います。みみずくは、コンサートの司会をさせてもらったのですが、思わず、前に出てきて踊っておりました。
こんな機会なんて、なかなかないです。
小さな森のみなさん、今年も素敵な企画ありがとうございました。
2010年5月26日
朝〜夕方 ヘルパーの講習そのまま夜勤に突入。
しかも20時までいてくれる遅番さんが、訳があるのかないのか、疲れているのか、とにかくあまりにも仕事をしないので、少しいらいらしていた。
台所には昼間の職員さんが余らせていてくれた夕飯。本当はいけないのだけど……
二つ足して足したら0。
感謝されたり反対に死んでやるなどいわれたり、時間はかかるがなんとかなるはず……
全員の入床を確認したら、センサー3台に耳をすませつつ、タバコを一本吸ってからの業務をこなし始める。
なにも起こらない 静かな夜であれと 祈りつつ……
猫ちゃんに別れを告げた。
月夜のみみずくに相方は重荷だった。
友だちに戻った。
* * *
以下本文とは関係ないリンクです。
ペットと人間のかかわりを綴ったドキュメンタリーです。
http://www.youtube.com/watch?v=LOSoFSAxDyc&feature=related
2010年5月24日
夕方暗闇ゴミ捨て場で、手袋をしながら、なくなった「義歯」をさがしていた。
ここ数日、薬は切らしていないのに、憂鬱な時間が(精神的に苦しい時間が)多い。
職場のおばちゃんが緑茶がうつの予防にきくってTVでみたって教えてくれた。
少し調べてみた。以下そのページへのリンク。
http://www.rda.co.jp/topics/topics4573.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%B3
http://blog.kenko.com/nakayama/2004/11/post_9585.html
たぶん、つづく
2010年5月20日
オイルもバッテリもプラグもなにもかも異常なし
。
近所のバイク屋にいったら、エンジンを分解されたあげく、見積もりなして一万円を取られた。もちろんばらばらなまま。
エンジン内部が破損しており、手のほどこしようがないという。あまりのショックで抗議すらできずとぼとぼ押して帰る。
そして今晩、新しい中古のリトルを割と安く譲ってくれる人の元に電車で向かっているのだが…
追記:新しいリトルカブは順調に始動し外装も綺麗で、今日から仕事場へ向かうために使い始めた。
黄緑が壊れたカブ、銀ブラウンが新しいカブの写真。

2010年5月17日
親友がブログで自分を最低だといっていたから、「月夜のみみずく」+「最低」で検索してみた。
2007.10.03
こんな私をどう思いますか?
外には鈴虫の音、窓から吹き抜ける風に秋の深まりを感ず。書物を片手にしばし学問の世界に身を任せ、ふと窓の外に目をやると、ああこれが中秋の名月か、うす雲の中におぼろげに輝き・・・・・・
あ、電話が鳴っている。これは彼女からに違いない、「今すぐ逢いたい」 おおよそ内容は見当がつく。そう直感して、、、そう直感して、、、ん? あれれ?
ふと我に返る。 外から聞こえるのは、どっかの部屋で飲み騒ぐ男たちの叫び声、ないしはマージャン牌のガチャガチャという音。窓のから吹き込む冷たい風はタバコのヤニの香りで部屋をいっそうかき乱し、数学の問題集にもともと素養のない頭は疲れ果て。ふと窓の外を見やると、月の影カタチすらみえぬ。むしろもう新月だ。それだけならまだしも、ぶんぶんと窓を開けた瞬間、進入してくる蛾やら蜂やら蝿やらやら。
・・・・・電話は確かに鳴った。内容は要約すると「遊んでないで、勉強せい、帰ってこないと、どうなるかわかるな、覚悟しろ?」 実家からである。 あー? それになんだ、だれだ“彼女”って? おまえは何様じゃ。戯けたことを言っるヒマがあったら、数学の問題を解け。なに? 二次関数の解の公式? おぬしはそんなとこまで忘れ朽ちたか!!!(答弁)それでも昨晩は机に向かったのだ。そうしたら、飲み会に引っ張られ、それでもだ、今日という今日はは2時間机に向かったのだ。そうしていると、昔の悪い癖、普段はなんもやる気がないのに、この場に及んで本が読みたくなったり、絵を無性に書きたくなったり、なんか飲みたくなったり食いたくなったり、風呂にはいりたくなったりするのである。
結局、欲望の思い浮かんだ順を逆にたどり(それも忠実に!)風呂にはいって、飯食って、画材をあちこちから引っ張り出してきて机の上に広げたまではよいものの、いっこうに絵どころか落書きすら書かず、気づけ最近食堂で拾ってきたテレビなんかを見てほくそ笑んでいる自分・・・・・・
最低だ。
僕はまっとうな人間になれない。
これはエジソンだかソクラテスだか、荻生徂徠に言わせるところの<たい落>だ。ええい、「タイ」の字まで忘れてしまった。
アナウンサー:「ええ今月のラジオなんちゃって電話人生相談は、長野県長野市の<月夜のみみずくさん>から、自分の部屋で
勉強が手につかないというご相談です。ははあ、これは大学生さんからですかね。ねー、最近の大学生は、ちっとも勉強しない。私なんかの頃は自分で学費を稼ぎ、これでもかというくらい苦学しましたけれどね。」
月夜のみみずく:「僕は意思が弱いのです」
アナウンサー:「意志が弱い、なんでもこういって言い訳するんですよね、口だけでなにもやらない人間は。おまけに<意志>という字も間違えてる。どうでしょう、先生、ご回答をお願いします。いやくれてやってください。」
心理相談家:「うーむ。処置なしですね。はい、次の相談は?・・・・・」
季節の移り変わりに伴い、かようにして僕の精神状態は不安定である。最低な私、最低な僕、時にはそう思えるくらいが、普通だと思う。
2010年4月27日
もっと書くべきことがいっぱいあるのに……
またもやパキシルを切らしてしまった。時間が合わず病院にいけない……
パキシルを切らしたあと必ず起こる禁断症状。離脱症状といえばいいのか……頭に電気が走るように、シャリシャリ音がでる。体が絶えず痙攣し、鼓動がおかしい。
ささいなことでも涙が止まらず、感情が閉塞的になる。
悪夢をみた。
僕は、スカイダイビングをしようとしている。インストラクターに、防寒着をつけられる。
何の間違いか、僕はこの時点でヘリから突き落とされる。
高度数百メートルの大気に僕は放り出され、ぐるぐる回転している。
落下していく僕にヘリの中からインストラクターが叫ぶ「すんません、まだ肝心のパラシュートつけてませんでした!」
死に物狂いでインストラクターがヘリから飛び出し、落下していく僕に近づき、パラシュートを装着させようとするがうまくいくはずもなく。
みみずくは平然という「いいんですよ、慌てないで。僕、生きることにそんなには未練ないですから……」
自然とこんな言葉が出て、自分でも驚く
霧に包まれた視界のなかで、眼下に森が見えてくる。
僕は落ちていく……
「それより、あなたが致命的なミスをして、僕を殺したことを、どうか重荷にしないで生きてください」
夢のなかの意識が途絶え、現実に目覚める……汗が…止まらない。
2010年4月25日
今日は……予定なら猫ちゃんとの散歩の約束の日だった。
猫ちゃんとみみずくは 八重桜の咲き乱れる頃、つまりごくごく最近、お付き合いを始めた。<彼女さま>とかくのが恥ずかしいし、慣れないので<猫ちゃん>と書く。
みみずく23年間の法則は突然の彼女の出現によって、覆された。
まさか、みみずくが誰かを好きになるなんて。好きになるだけでなくて、お付き合いするなんて。考えても見なかった。夢想はしたけれど、いつも寂しかったけれど、そんなことはもうないと、諦めていたのに……
さて……
今日は二回のデートだった。猫ちゃんも働いているから、なかなか会えない。この日を待ちわびて、みみずくは働きに働き、猫ちゃんも楽しみにしていてくれた。
空は晴れ渡り、みみずくは考えごとで徹夜の朝だった。
猫ちゃんから、待ち合わせの直前になって電話が……
猫「ごめんみみずく、今日、行けなくなった・・・」
み「(……行けなくなった!?えっ??えっ??×△◇○??)」
急にかわれない仕事がはいったという。
僕は電話を切る。
一瞬でも疑った僕を彼女は許してくれるだろうか……
もう一度電話がかかってきた。
猫ちゃんは泣いていた……
いままで一人で虚勢をはって生きてきたみみずく。
猫ちゃんはそんな僕に突然舞い降りてきた天使。
それも不器用で世界一愛くるしい……
2010年4月24日
みみずくも数回だけ、イベントやキャンプに参加したことがあり、今年の5月30日は、………なんとコンサートの司会の役を仰せつかってしまいました。
何百人もくるだよ!?
みみずくがしていいの?みみずくにできるの?
僕はいったい……!?
頭はいま真っ白です。
とにかくやることだけが決まっている……
……先ほど、小学校の演劇の舞台の天井で照明をいじっていたら、転落、いきなりライトを浴び、隣の女の子の踊りを見よう見真似で、「練習しないでごめんね」といいわけしつつ冷や汗たらたら・・・でたらめに踊り、そのあとマイクをもって司会をしている夢をみた 汗
どえりゃーことだよ
これは、いったい・・・
木の実の森
http://www.kinominomori.com/
大学の先輩が描いた絵本のページもあります。 http://www.kinominomori.com/mizugaki2009/book1.pdf
追加報告します。
2010年4月14日
こんばんは。
今日の仕事が終わりました。就職して以来いちばん長い日でもありました。
昨日今日、職場で僕は大きなミスをし、その対応に早朝から追われていましたが、誰一人責める人なく、逆に励まされ、本当に申し訳ない気持ちと、こういう職場で働けていることに感謝しています。
さて、ですけど。あなたと最後に会ってから、早いもので2年が過ぎます。こうしてあっという間に人の一生の時間は過ぎてゆくのでしょうか。それはわからないけれど、僕はなんとか、一人でやっています。これもあなたのおかげです。
こうして手紙を書いているうちにも、親しい友だちからメールが来たりして、筆をとめてしまいます。
僕は前ほど、あなたのことを、そう頻繁には思い出さなくなりました。あなたが消えてからの夏、親しい人にタロット占いをしてもらう機会がありました。そうしたら、、「一人の女性の存在が、あなたに大きな影響を与えている」っていわれてそのとおりだと、びっくりしたものです。でも今は、ときより、あなたを感じ、思い出すくらいです。だからって寂しがらないでね。僕はずっとあなたと一緒にいますから。。
去年の秋に、一人暮らしを再開したんですけど、新しいアパートの一室に、まっさきに飾ったのが寮祭の時の写真です。善光寺の参道を、雑巾がけして、そのあとに「電車ごっこ」をした時のだよ。僕は映っていないけれど、その写真ではあなたは紐で結ばれて、みんなと一緒に笑ってる。茶色のおおきいマフラーをして、両手は前でつないでいる。朝日が、顔を照らしていて、みんな幸せそうな表情をしていてね。僕の一番好きな写真です。写真の前においたハイボール、飲んだかな。最近、はやっているらしいよ。僕はすぐ自分のを飲んでしまって、あなたのを飲んでしまうけれど。
あなたがお酒が好きだったかどうか、飲める人だったか、それすらも全然知らないほど、藍さんのこと、知らないんだ。だって一緒に住んでいたけれど、たまにしか話さなかったから。お互い・・・・・・いやあの頃の・・・・・・いまもそうだろうけれど・・・・・・「家族」はみんな夢に向かってまっしぐらだったし。忙しい毎日だったもんね。
僕は、好きな人にしか、手紙やメールをよこさない。僕はあなたが好きでした。あなたにとって最期の大晦日も、一緒に事務室で飲んでいましたよね。そのとき、いうべきいわないべきか迷っていたんです。いまだからいえることだけどね。
そのあと僕は、苦しかったです。信州の自然は、いっせいに芽吹く頃だったけれども。病院に通って、入院して、それが地球上での、僕と君との最期の隔絶。
あなたは死後、お父さんや、僕の前に、何度か形になってあらわれてくれたね。千葉の森の中で、深夜、あなたの話をしていて、きっと蛍になったんだって・・・そうしたら、本当に蛍が一匹、僕の頭の上を通り過ぎていきました。・・・・・・僕は想像します。僕たち人間には想像もできないような、生き物たちに囲まれ慈愛に満ちた美しい世界に生きているのでしょうね。
きっとそうだと思います。
東京は昨日、何十年ぶりの降雪を記録したそうです。これが最後の冬だと思います。これから、あなたの住んでいた信州の高原でも、一気に雪解けが始まるのでしょう。いつか一緒に筍をとりに行った日が懐かしい・・・・・・・あのときは厳しい季節を乗り越えた新緑がみずみずしく輝いていました。世界中が幸せであるような気持ちでした。
そういう僕も、初めての職場で、初めての春を迎えています。小さなグループホーム。なんとか、という感じで、まだまだ頼りない存在ですが、ようやく誰かの支えになれていると実感がわいてきています。
そして、あなたと過ごした日々が、本当にごくわずかなものだけれど、いまの僕を大きく支えてくれてる。ありがとう。
教師になる夢はまだまだ叶えられません。でも、あなたの思いをついで、少しでも今の世界がよいものになるように、小さな喜びを糧にして、働いていこうと思います。
本当にありがとう。
また逢いましょう。いつでも、逢える、のだから。そうどちらかが望めば、ね。
僕たちをそっと見守っていてください。遠からぬ将来そのうちまた逢える日がくるまで。
2010年4月12日
みなとみらいの某有名ホテルにて……
日本一の社会福祉法人を目指すと意気揚々の挨拶。みみずくのように、末端の介護現場で働くものから、理事長、はてまた政治家や医師、銀行の頭取、地元の有力者が顔をそろえていた。
少なくとも、給与の低い分、ビールをしこたま呑んで穴埋めしようと企んでいたら、なかなかどうして、新入社員の演奏あり、政治家の出馬協力要請あり、職員の表彰あり、拍手をする時間の方が長くなってしまった。
ジョッキは片手でもたねばならないが 拍手は両手を使うので 呑めない……
これは誤算であった。
たぶん法人で一番、闘志のない職員はみみずくだと思った。
民間企業には向かない。
2010年4月7日
弄便(ろうべん)とは、自分の排泄物を、手でつかんで、もてあそぶこと。
弄便という行為だけをとらまえると明らかに異常な行動です。しかし、認知症の高齢者は無意味に便をいじっているわけではないのです。誰でも、オムツに排便すれば気持ち悪くなります。気持ちが悪く不快になればオムツをはずそうとするのも当然です。きちんとオムツをはずして、処理ができれば問題がないわけですが、これがうまくいかずに手や衣類、寝具や周囲を汚す結果となってしまうわけです。いわゆる弄便の動機は健康で正常な日常生活行動ですが、この目的をうまく達成できない日常生活行動障害といえます。このように、問題行動の多くは、目的をもった正常な日常生活行動ととらえることができます。したがって、認知症高齢者はその目的をうまく達成できない日常生活行動障害者と定義できるわけです。この弄便を防ぐために、上下つなぎ服を使用する場合がありますが、正常な日常生活行動を抑制する身体拘束にあたると思います。弄便や不潔行為は汚れたらすぐに変えてあげれば防げることですので、その工夫をすることが第一であり、安易に抑制をすることは介護の放棄であり人権侵害にあたると考えます。http://www.chihou.net/kaigo/care/mondai/home.html「認知症ネット」より部分引用
ようするに認知症が進むと、それを便とは理解できない。
みみずくが初めてその行為をみたときは複雑な心境だった。もちろん汚いと思ったのは、正直な思い。だってふつうそんなもの触らないもん。そのあと絶対だれにも非難させないぞ!という気持ちになった。
弄便をさせたのは介護するものの責任。 本人はすでに失禁をしていて、それを介護者が見逃していたからだ。
オムツが汚れたから、その不快なものを、取り除こうとしている。当然の行い。ただしその方法が障害によってわからない。
汚物が手について、それをきれいにしようと壁や布団で、拭おうとしたり、恥ずかしいから箪笥にしまったり、それが便であることも忘れれば、食べ物と誤って認知することもある。
問題は実はそのことではない。
そのあと便まみれになった机と椅子を 消毒している際に 他のかたが 近寄ってきたのだ。
みみずくは手をだして、「現場」にその方が入るのを制した。弄便をみたことで、変わる人間関係があってはならないと思ったからだ。 これをきれいにして差し上げるのは、介護者のだけでよい。
翌日。近づこうとした方は みみずくの制止した訳を気にしたよ、と大きな声でたずねてきた。食事中だった。みみずくは混乱した。先輩職員に目配せする。(紙に書いて渡したら?)
“失禁して・・・です”
その方は煮え切らないみみずくを怒った。
「はっきりそのときにいってくれればいいに!」
板ばさみの状態とはこのこと。
何が正しいのか。
桜がさいたとはいえ、寒空のなか、庭を駆け回って。
子どもどうしってすぐに仲良くなれるみたい。
ベランダの洗濯バサミをみて唖然……
雑草がぶら下げられている。
なんでも、干してからスープに入れて食べるんだとか。
遊びは、なんでも意味があるし、それが大人になっいく勉強になっていくんだと思う。
2010年3月24日
最近ニュースで連載が終わったときいた「かわぐちかいじ」の『ジパング』を見つけてしまった。http://www.youtube.com/watch?v=hYts2YRgiT0
閑話休題、ようするに、休日は、その「ジパング」を読みふけってしまっておわったのだった。内容が第二次大戦なので、かつて日本史専攻だったが、頭の悪いみみずくは一冊読むのに2時間かかった。三冊読んで、いま、ぐったりとしてしまった。むかし寮に、漫画部屋と称する、居室をまるまる漫画で埋め尽くした部屋があった。歴代の先輩たちが、おそらく後輩のためにおいていったのか、あるいは引越しの際に捨てていったのか、とにかく、そこには床から天井まで漫画で埋め尽くされていた。
そこでたまたま揃っていた(たいていは各巻ばらばらに天井から床まで散っている・・・)「沈黙の艦隊」を読み、かわぐちかいじの描く絵が好きになったのだか、さいきんまたYOUTUBEで「ジパング」をみつけ、ちょっと興味を持っていた。
一人暮らしを始めたころから、うちには昔からテレビがない。
だから、たまに映像?が観たいときは、朝までかけて、とことん観る。
こんな感じで休日は終わったが・・・それがでも、ドクターのいう休養なのだろう。
三週間……
薬も切らしたし、いこういかなきゃと思って、いかなかった。
病院にいく。
「あなた直す気があるのか」と主治医からいわれるのが怖くて、遅れるたび、ますます足が遠のいていた。
薬は1日に飲むべき量を2日にわけて飲んでいたので、まだ、鼓動がおかしくなったり、めまいというような心臓離脱症状?はでていないけれど…
「いまは大丈夫でも、また波が来るから、仕事を減らし、なにもしない日を作ってもいいよね」
先生は優しかった。
1ヶ月分の薬をいただく。
さてさて
「今日はマンガでも読んで、ひたすら、ゴロゴロしよ……」
そう思って古本屋にいったのだが……
2010年3月17日
強欲な人をいさめるために「あの世にはお金も何ももっていけない」とよくいうが、最近みみずくは、
「あの世どころか!」
と思う。
「あの世の手前まで持っていけるかどうか」
自分が自分をはっきりと認識できなくなった時から、人はもう、何も持てないと思える。
だったら余計なものは持ち歩かない方が賢明だとも。
……Mさんはもうだいぶまえからボケてしまった。そしていまはボケボケになってしまった。言葉が悪いなら、認知症の末期を迎えた……持ち物はおろか、家族の名前、自分の名前すら覚えてはいない。
みみずくが言う。「シャンプーしますね」
その人は笑顔で聞きかえす「サンプン待ち、し、ます?」
「顔洗って下さい」といえば、便器の水をすくおうとするし、「これ美味しいから食べて」といえば、みみずくの口へ入れようとする。
みみずく「あったかいいうどんと冷たいうどんどちらが好きです?」
「そうね、やっぱしあったかいうどんの方が好きだね」
みみずく「冷たいうどんとあったかいうどんどちらが好きです?」
「そうね、やっぱし冷たいうどん」
「あっちいってみてきよ(こよ)」といってはカーテンを引きずりおろし、「こっちいってみてきよ」といえば台所の洗いものを、ゴミ箱にいれ……
人形をもてば、服をぬぎおっぱいを飲ませようとし、座布団をもてば背中に背負い、あやしたり……
やることなすことがすべて、トンチンカンなのに、一生懸命、母親の時代に戻り仕事をしようとするMさん……
そんな状態が不幸か?
とんでもない!!
名前を 忘れても 会いにきてくれる人、名前を呼んでくれる人、住んでいる場所は常に心地よく、お風呂にも入り、ささやかながら美味しいものを食べ……ゆったりしながらニコニコつながらない会話を楽しんでいるのだから。
自分が幸せかどうかは自分が決めるものだが、みみずくからみる限り、Mさんはピンピンコロリに勝る幸せな余生を送っている。
今日みた光景は職員みんな、あっと息をのんでしまった。
前傾斜(自然と体がまえのめりになってしまう)方のとなりに座っていたMさんは「どっかわるいの?」とおでこをささえて持ち上げていたのだ。
人はいつしか心だけ持っていくんだと思った。
やがて体すら置いてゆく日がくる……その心、どんな心にするかは、自分の生き方しだいである。
2010年3月12日
まだ雛だった。
ペットショップに行って、介抱の仕方を聞いたり、スポイトで、鍋で煮た粟粒を餌付けをしたり。いろいろあった後のことだから「生きていてほしい」その一心だった。
実家の窓際に置いていたら、明け方、外から聞こえるメジロの鳴き声に応じて、ないていたので、僕は反射的に窓をあけた。
すると、飛べないと決めつけていた雛は、飛びたち、ないていた成鳥のとまる電線へひとっとび。頼りない羽ばたきで……
彼らは会話していた。 一列に並んで。雛を真ん中にして。
職場から自宅は、かなりの距離があったので、あれは血のつながらない、親鳥のつがいであることは間違いなかった。 信じられないことに!
きっと僕が、数年前から庭の梅の木で、餌付けしていたつがいが、みみずくの拾った、ひとつの命を救ってくれた。
そう信じている。
あれから半年。彼らの音沙汰はないけれども。
2010年3月8日
って時々もらしていたお年寄りが、今日の夕方、
「もうちょっと生きてみたい」とつぶやいたのを、みみずくは聞き逃さなかった。
3日連続で別々の子どもが来訪してくれた後のこと。
どんなにサービスのよいグループホームでも、親しい人と一緒に生活できればそれに越したことはない。でも、現実、それがかなわないことが多い。そんな時、最大の励ましは、肉親の思いやりなんだと思う。
疲労を忘れて、QOL(生活の質)の向上ため昼夜働く。それでもかなわないのが、肉親の力。
みみずくは、もし、老いたとき、だれかそばにいてくれるのかな・・・・・・
2010年3月2日
春の本格的な訪れ。
そして長い冬の終わりでもある。
冬の間に力を温存して、花を咲かせるものもある。力尽きてしまうものもある。年間でもっとも自殺者が多いのも、この3月だ。
そんなニュースを複雑な思いで聞いている。
明日は雛祭り。
生まれてきたことを皆に祝福され、幸せを願われたのなら、大人になって誰も知らずに死んでゆく人がいるのは、悲痛の限りだ。
この人間の世の中はどこも歪んでいる。
その歪みを直す、そのために僕は働けるか。
2010年2月28日
http://www.youtube.com/watch?v=wVTLhcTAnvw
予告
みなとみらいのワーナーマイカルシネマズ で映画を観た。
「ラブリーボーン」・・・この邦題は、ボーンは「骨」であるのか「生まれる」なのか最初わからず、まぁさかいくらなんでも「骨」ではないだろう。
そう、勝手に決め付けていた。「よくある恋愛映画の類。ラブリーなんとかってことは、要するに恋愛のなにかだ」、そうみみずくは思った。
上映が始まってしばらくして、実際のストーリーは、最悪で悲惨なものであることが予想された。14歳の主人公スージーが、連続少女殺害犯の男に目をつけられ、殺され、ばらばらにされてしまうという、阿鼻叫喚の実写と展開。
「これほど観て落ち込む映画もない・・・」・・・直後の感想はそうであった。そして今日という日にこの作品に出会えたことの意味を考えざるを得なかった。
というのも、映画を観たのはみみずくひとりではなくうら若き、年下の女性が隣にいたのである。
下調べもなく映画を観た。 グロテスクな作品だった。それはようするに致命的であるように思えた。
もはやこっちがコメディの主人公だ。
けれども、帰り道、一人でとぼとぼ歩いて帰る道のり、思い返せば、見ごたえのある作品だったと思い返す。主題は、「猟奇的殺人」だとか「推理」ではない。主人公は、死にながらも生きていて、天国まで浮遊するあいだ過去を回想する。そのあどけない主人公の美しくそして明るく描写された「死後の世界」からの声に、作品は救われている。
死後の世界からの声、みみずくはそれを実体験として持っていた。だから本当は、生と死の越えられない壁に対峙して、叫び涙する、スージーと父親をみて、隠しつつ涙が止まらなかった。
目をつぶりたくなる残酷さだった。犯人も醜悪、最悪を演じきっていた。しかし「幸福 」だけでは、作品にはならない。
2010年2月21日
ひんやりとしたアパートの一室で、自分の生い立ちを示すダンボール4箱をクローゼットから引きずり出す。
小学校の連絡網に始まりわずかな中高の記録、大学、寮で過ごした日々の写真…
記憶から確実にきえはじめている。必死にダンボールを抱えこむ。これが燃えたら、自分はいなかったも同然……。
一匹の蝶の羽ばたきで、世界が気象攪乱することもあるが、一匹のみみずくの鳴き声は、闇夜に吸い込まれていく。
あなたはなんの為にそこにいる(存る)のだろうか。
みみずくはなんの為に、ここにいるのだろうか。
果てしなく深い海溝……
2010年2月18日
それがなくなりつつある。
今日は5連続勤務の4日目。20時のタイムカードを押した後、もろもろの混乱があり、暗い庭を回ったり、警察を呼ぶよばないの問答をしたり、なだめたり、激怒されたり、結局、もう帰るのが面倒くさくなり22時過ぎくらいまで、職場にいた。サービス残業というのだろうか。
たいして仕事はしてないし、うちに帰っても寒いだけなので、落ち着いてからは介護本をよんでいた。
守秘義務を気にしてしまうと、何もかけなくなってしまう・・・
認知症の面白い仮説がある。(ナオミ・フェイル「バリデーションセラピー」)それは、人が人生の異なった段階を生きていく時に、それぞれの段階で解決しなければならない課題があり、それを解決しないまま人生の最後を迎えることがある。再そのような人は4つの解決のステージを迎える。
1 認知の混乱
2 日時、季節の混乱
3 繰り返し動作
4 植物状態
今晩一人の方が突如(前触れもなく)、混乱し、目に入るスタッフを強盗や暴漢とののしり、寝ている人の部屋のドアをたたいてまわった。「助けて逃げなくちゃ!」「警察をよばなくちゃ!」
就寝時間をすぎ、静かになったホーム全体が騒がしくなり、数人の人がおきてこられたりして・・・
昔、肉親に億単位の詐欺にあったという彼女の過去は知っている。その最悪の状況がよみがえってくるのだろうか。どうすれば、その棘にさされた過去を乗り越えることができる?
2010年2月14日
雪の降る横浜まで、ヘルパー養成の実技講習に参加した。
教室には高校生から還暦を迎えたひとまで、異年齢のひとたち20人ほどが集まっていた。
スキルアップのため、転職のため、実母の介護のため……さまざまな動機の方たち。
介護現場で働くひとも中にはいて、職場から助成金をもらってきたひともあった。
みみずは自主参加だから全額自己負担だったけれど、もう一度介護の基礎を勉強したいと思い参加してみた。
初日の午後はインスタントシニア体験。白内障ゴーグルをつけ、からだ中におもりをつけ、耳栓もして……ゴーグルから見る世界はぼんやりと黄色の光につつまれて、くらいところだと、ほとんど何も見えない。
販売機でジュースをかわなければならなかった。でも手袋をした手では小銭がうまく財布から出せず、それよりも後ろに別のひとがならんでいたので、焦りは相当なものだった。
バリアフリーにかんして、エレベーターに車椅子用のボタンがあることはよく知られているが、そもそもボタンのランプが光っていないと、どこを押せばいいのか見えない。
エレベーターには鏡がついていることがあるが、あれも実は車椅子のかたが背後を確認するためのもののようだ。
ビル入り口にちかいエレベーターは、普通のエレベーター、奥はバリアフリーのエレベーター。なぜ奥がバリアフリーなのかというと、ビルの裏てには駐車場があり、しかも段差がないため、車椅子利用のかたにとってちかいからなのだ。
健常者が知らない設計のさりげない工夫が街にはもっとたくさんあることを知った。
2010年2月4日
アバター
まったく内容を知らずに見たので衝撃的だった。
映像が幻想的でリアル、とにかくきれいだった。一コマ一コマがポスターになるくらい。
うまくことばにできればいいけれど、まだ見てまもないので、ことばにできない。
是非、おすすめです。
2010年2月2日
今日は北風吹きすさぶ、寒い1日だった。都心でも明日の朝にかけて積雪が予想される……
そんな1日、蒸気と湯気にめがけをくもらせ、たみみずく。風呂当番であった。
「いい加減コンタクトにしねえと……さて今日は…どなたを……」
……一週間入浴を断固拒否したAさん。
目に入るものすべてをいじりつくすBさん。
そして、最早アルツハイマーが進みことばを話せなくなり辛そうなうめき声ばかりあげている半寝たきりのCさん。入浴は機械やリフトなどつかわず、素手で、イスから体を移動させ湯船に浸かっていただく。転倒リスクも高く、一瞬の気のゆるみが命とりになるから必死だ。
さて、いつものようにCさんの入浴介助をしたとき、大発見があった。
それは 童謡を耳元で歌うとその間だけ目をパッチリあけ、うめきが消えるということ! 苦悶の表情が消えること!
しかも確実に反応がある。
大発見したみみずくは、入浴中ずっと、歌っていた。
「しょ、しょ、しょじょじ、しょじょじの庭は、つ、つ、月夜だみなでてこいこい♪」
すると。
ほんの数秒、Cさんは、右手で拍子をとったのだ。
さらにさらに小さな小さな声で「アリガト…」
意志疎通が出来たかもしれないことを、みみずくは嬉しく思った。
以上、最近あったことで一番よかったこと。
2010年1月22日
みみずくの夢は不思議なものが多い。
最近の夢。
犬たちが住宅地の中を西の方角に走っていく。五十匹いや100匹、野犬なのか飼い犬なのかわからない。
天災の兆し。
僕は勘が働き、家族に知らせる、今すぐ西の方角に逃げて!
家族は相手にしてくれない。みみずくは避難装備をかき集め、一人西へ向かうことにした。
何日か歩いたあと、ゆっくり大地が揺れた。東の方向から煙が上がっている。
2010年1月14日
今朝、みみずくの法人の本部である特養がフジテレビで紹介されていた。はなまるマーッケトじゃなくてなんていう番組だったかわすれたが。
ポリシーとして高齢者を拘束しない法人と、転倒防止のため拘束してほしいと希望する家族のやりとりが主な内容だった。
拘束とは、なにも紐で縛り付けたり、独房にいれたりすることではない。
例えばミトンという指のない手袋をつけて指の動きを封じたり、弄便といって自分の排泄物を触るのを防ぐために、つなぎの服を着せたりすることも拘束にあたる。
ふつう車椅子の足の部分にフットレストという足おきがあるが、これを倒したままでも拘束にあたる。
拘束をすることは、介護とはいえない。しかし、拘束の反対すなわち自由にさせることは、とてつもない負担を介護者に与える。
かなり近い将来、拘束しなければ手におえないと言われる日がくるかもしれない。人口に対する高齢者の割合は毎年、確実に増大している。
生命ばかりが重視されていて尊敬が無視されていてはいけない。人間は心臓が動いているから生きてるんじゃない。
2010年1月7日
2010年1月3日
今日は年があけて初めての休日だったが、職場でお寿司をごちそうなった。お客様がきていたので、こっそりお盆をもってベランダから抜け、事務所で一人で食べた。味がしない。
ちょっと情緒不安定でもあった。
午後は、あまり気が進まなかったが、両親、祖母、いとこへのお年玉をもって、2ヶ月ぶりに実家帰りを果たした。
社会人一年目の封筒は軽かったけれども、祖母は大喜びして泣いた。母は元日から愚息の夢をみたという。そこまで心配かけていたかと、申し訳なくと思う。あえて2ヶ月連絡をよこさなかった両親の思いに帰り道、涙する。確執みたいなものがあって、こちらからも音沙汰なしであった。
馬鹿な子どもですみません、と思え、涙がとまらない。
誰にも話していないが、最近の精神状態についてちょっと書き残しておこうと思う。
じつは、年末から忙しくて病院にいけず、またいくのも面倒で、またもや抗うつ剤を切らしていた。12/12くらいから薬を飲んでいない。いけないと思いつつ、病院は年末年始の休みに入ってしまった。
前もそうだったが、薬を切らすと、なんだか、もう長く生きられないようなひどく重苦しい感覚に陥る。人に会うたび、どういうわけか、これを最後に会えないような妄想を抱いてしまう。
たわいのない会話をしていても、それをすごく重く感じてしまう。まるで<その人が死んでしまって、その人のいない世界でテープに残されたメッセージを聞いているうな感じ………>と書いてわかる人がいるだろうか。
しかも、それが"薬の離脱症状としてそう思える"だけではないような気がしてしまうからなお怖い。そして辛い。
"実際、だれだって今日遭ったうちの誰かと、もう二度と会えない可能性を秘めている。だれだって、今日温かくても、明日の朝には冷たくなっていないとは限らない"
こうみみずくの素寒貧な頭は警告してくる。病的で、滑稽ですらある超マイナス思考だと思う。非現実ではないが、限りなく非現実に近い。
思ってしまうのは仕方ないこと。病気だか離脱作用だか知らないが、みみずくの無意識かなにかが発する正直な感覚。内なる声、と書くと怪しい宗教みたいだが。
であるならば。
後悔しないよう明日も精一杯、最善を尽くして人と関わろう。
そう思えば、済むこと。
2010年1月2日
2010年の初日の出は、ホームで利用者さんたちとみた。
僕がこのかたたちと同じ年齢になるのは2070年以降。数字で見ればあっという間ではある。
今年のみみずくの目標。
〇ヘルパーの資格を4月までにとる。
〇職場での勉強会をつづける。
〇夏の教採試験に再挑戦する。
○北欧かアジアへ飛ぶ。
〇分野をこえた人間関係構築。
〇磯釣りを極める。魚のさばき方を学ぶ。
〇脱精神薬
なんだか芯が通っていないようだが。
来年まで無事に生きていますよう。
2009年12月31日
紅白歌合戦から年忘れ日本の歌にチャンネルを変える。台所の死角から……
紅白紅白と嬉しそうにしていたおじいちゃんが、EXILEが終わるころ無口になってしまった為。だんまり黙ってしまったのである。だんまり……石のごとく黙ってしまった。
まるで時に置き去りにされたかのように。
これも介護だ。元日も朝五時から戦う。
2009年12月26日
生後1ヶ月ちょいのモカという子犬がきていた。
夕方コタローという去年まで子犬だったお隣の山の犬さんがやってきて仲良しになっていた。
夜も更けてモカが寝ているのに、小屋のそばまできてじっとすわっている。今晩は家に帰らないの?
犬にも友情があるんだね。
夕飯も終わり、台所で洗いものをしていると五分おきに話かけてくださる方がいる。「今晩、こちらに泊めていただけるの?」と。
み「はい、大丈夫ですよ、泊まって行ってくださいね」
「お部屋はあるの?」
み「はい、ちゃんと一番奥の部屋が○○さんのお部屋ですよ」
五分後…
「今晩、こちらに泊まるの?朝はいくじ?」
み「はい、安心して泊まって行ってくださいね。朝はだいたい6時くらいです。」
「そしたら帰るの?」
み「天気がよかったら帰るかもしれません」
「ありがとう」
五分後……
「お兄さん、今晩はあたし泊めていただけるの?」
み「もちろん大丈夫ですよ。存分に泊まって行ってください」
「お部屋はあるの?」
み「はい、○○さんのお部屋はね、奥にあるから寝るときにご案内しますね!」
「お世話になります。あたしここが悪いから、ごめんね」
み「いいえ。またわからなくなったら聞いて下さい。」
家はないので帰ることはできないし、家に帰れば幸せとは限らない。
こんな会話を何回も繰り返し、消灯の時間がくる。さあみみずくも帰って寝るかな……
すると別のかたが部屋から服を着込んで、出てこられる。
み「あら、××さん、そんなに着込んで暑くないですか?」
「大丈夫。あたし今から帰るの」
み「あらら。あれま。こんな遅くに帰っちゃうんですか。」
「すぐ近くだから」
さっさと自分でフロアの鍵をあけ、エレベーターで降りようとする。
み「暗いし玄関もしまってるかもしれないので、僕も一緒にいきます」
クリスマスの寒い夜、こうしてみみずくは××さんと手をつないで建物を二周まわる。別のユニットにもいく。そこの夜勤者さんにたしなめられたりする。
なるべく話題をそらせ……
み「寒いからレモンの紅茶でも飲んでいきませんか?……はい、どうぞ」
「すごくおいしい、ありがとう。でも帰らなくちゃ」
さらに夜の庭を雑談しながら一緒にまわる。
み「うーん、どうも門があいてませんねぇ。安全対策ですねぇ。明日の朝、あけてもらうことにして、今夜は××さんのお部屋に泊まっていかれたら? そうだ! それがいい! そうしましょう!」
「そうね…」
この仕事をしていて、だいぶ腹のすわった演技ができるようになった。警察を呼ばれるまえに、たしなめることができて、ほっとする。
こうしてクリスマスは残業で終わった。
神に感謝。
2009年12月20日
2009年12月11日
眠い眼をこすり、バイクでいつもの坂道をかけあがっていく……間に合うはずであった。
半年残業はしこたましても遅刻はしたことのないみみずく。
がしかし。今朝は遅刻した。
というのも通勤途中の通り過ぎる景色のなかに、ふりかえざるを得ない何かをみた気がしたからである。
(んんん???)
(人だ)
(だれ?)
(どこかでみた気がする)
(あ、あ、ありゃ帰宅願望の激しい隣の棟の○○さんがひとりで、歩いとるよ!)
それは通常、有り得ないことであった。 なんてこった。
前にこのかたは過去、事務の姉ちゃんを"職員"と信用させ、門の外に出ていってしまい一騒動になった。鵜呑みにしてしまった事務も事務だが、本来自由に外出できるのがグループホームの望ましい姿ではある。
バイクを停め、五十メートル坂を下り みみずくはそのひとのもとに走りよった。
案の定、「あそこはなかなか返してくれないんですよ」「いまうちに帰る途中です」
みみずく、ひとまずホームに連絡、上司に「連れてかえってきなさい」との命をうける。
かといって強引に連れて帰ることもできず、パーソンセンタードケアとつぶやきながら、一緒に坂を下っていったのであった。
つづき
み「○○さん、えーと、やっぱりこっちの方に行きますかねぇ?」
「そうだねえ、娘が先にいってまってるからね」
み「おちかくなんですか?」
「ここは私の散歩道だったから」
み「・・・・・・」
ついて行くとなんてことはない、人里離れた山奥でもない、交番でもない、本当に娘の家についてしまった。
「ああ、○○の人? ごめんね、荷物持って先きちゃった」
電話
上司から「ああみみずくくん? タイムカード書かなくていいから戻ってきて。娘さんと一時帰宅したんだって」
み「・・・はい・・・では、業務に復帰します・・・」
信用してよかった。連れて帰ってこなくて良かった。
2009年12月9日
教育のすそ野は大学でかじったが、こちらも山頂はまだ深い雲に覆われている。
テキストもどっさりとどいた。
教員免許状はクローゼットにしまってある。残念だが、いつか使う日もこようくらいの気持ちでいる。
職場のほうでも、自主的な勉強会にはいってみた。
人間、生きている間は勉強……
2009年12月8日
昨日おととい長野に住んでいた寮の一年に一回の寮祭にいってきた。
行くのやめようと思いつつ、ひきかえそうと思いつつ、夜おそくついて、懐かしい友だちにつぎつぎにハグされ、ああ、やっぱりいってよかったと思う。久しぶりに、ふられたりもした。
今朝は仕事中家賃の未払いの電話を受けてから沈みっぱなしだった。
気合いを入れなおし残業して専属夜勤でもできなかった一人を寝かせた。
だいたい手をにぎって、鼓動とおなじリズムをきざんでいればどんな一人も寝てしまう。
こうされればみみずくだってきっと寝てしまう。僕は、簡単でもおいしい料理しか作らないし、自分がしてもらいたいことしかしない。
2009年12月4日
今宵は満月を少しすぎたオレンジ色の月輝く夜。月夜のみみずくは満月の夜に使い切った羽をやすめる頃。
(この月を、どのくらいの人が、どんな思いでみているのだろう)
(あの人はみてるだろうか。かの人はみてるだろうか)
走馬灯のように、みみずくのかつて瞬交わった人々の姿がこころに浮かぶ。小さなこころに、風に消えまいとする灯火のように………
細胞の死、すなわち人は時間を経て老いてゆくもの。その月日はあっというまに過ぎてゆく。一度限り与えられた生命。日々の暮らしだけで終わってもいい。毎晩疲れて眠ってそれだけで手一杯でもいい。
けれども。けれどもだ。ほんのすこし少しでもいい、毎日余力を残して、すこしずつ貯めて、いつか、いつか外にむけて発せられれば。
きっとわたしの、あなたの、月夜のみみずくの生涯が、もっともっと色づくはず。
2009年12月2日
ロールプレイでお年寄りと介護者になりきり、その方の本当の気持ちをみなで話しあってみたり、高齢者虐待、身体拘束について学んだり。
介護福祉や認知症の世界は奥が深い。
尊敬するケアマネの先輩はこれ以上ない学問の場といっていた。
今日まで自分流だった。今日から、勉強すべし。
2009年11月30日
みみずくの住家は、ここ朝比奈は山に南北囲まれた小さな町。けれど、真ん中に主要道路が通っているから静かでない。
このあいだ信大時代の親友、関東に就職した親友から「土日の遊ばない」というメールがあったのがきっかけで半年ぶりに千葉の山へ行った。みみずくが気のゆるせる、数少ない女友だちからお誘い。
その子をつれて、去年、頭狂った、みみずは、半期休学し、病み上がりで、横浜に戻った。そのとき高校生だった耳がしていたボランティアで知り合った画家のSさがさそって下さった千葉にの山に行った。
仕事の合間の2日だけの休日に付き合ってくれた親友に感謝。そこいら街中にはいない、タフな女の子。金脈はしらないが人脈ある友だち。
久しぶりに一緒にいて言葉にならないけれど、すごくあったかい気持ちになれた。
2009年11月18日
相模湾と富士山が見渡せる。
十数年ぶりに、お年寄りたちをつれて訪れた。
サルもアヒルも変わらない。
子どもの頃の大好きだった場所。
たしか崖っぷちから並んで立ち小便をしたっけ……。
2009年11月15日
ミクロの世界で、生物の営みの根幹を支えているいきものたちは人間の暮らしをささえているもの。人間の腸にはも数億という細菌が共生している。そうきくと、みみずくは目に見えない不思議な生き物をもっとしりたくなったのであった。
……今日は仕事帰りに850円で中古のヨーグルトメーカーを買った。わずかな電力で一リットルの牛乳パックを、常時30℃前後でたもてるという代物である。
いまは明治乳業のL21乳酸菌を種にヨーグルトを作っている。作り方は簡単で一literの牛乳に市販のひとかけら「プロビオヨーグルト」をいれて、一晩温めるだけ。翌朝には固形のヨーグルトができている。
ヨーグルトならなんでもいいのだが、明治乳業のLG21乳酸菌は、一時期話題になって、胃癌の原因となるピロリ菌を減らす効果があるというので、いまはそれを種にしている。
カスピ海ヨーグルトやケフィアヨーグルトはかつて話題になったが、市販のヨーグルトに含まれる菌で簡単にヨーグルトを作ることができるのは案外知られていない。
牛乳がヨーグルトになる魔法をぜひおすすめしたい。
2009年11月14日
写真はここから一番近い海、金沢八景。もうひとつはアパートから見える山。
朝比奈切り通しの近くです。
蛇口をひねれば水がでます。電気もあります。プロパンガスもあります。
当たり前のようですが、職場の七十すぎの大先輩は、鎌倉に家を自分で立て、水は湧き水をつかい電気もなく石油ランプで暮らしていたそうです。
そういう話しをきくと、このアパートは味がないようにも思う。
いつかみみずくもお金をためて山あいの土地を買い、仲間と家を立てたい……そして森と畑と動物にかこまれれて暮らしたい。
まず最初の目標はヘルパーの資格と障害児ヘルパーの資格をとること!
そのあと海外に飛ぶ。カンボジアや、北欧の国の福祉について見てきたい。
教員になる目標はひとまず保留です。まだ、自分の勉強が足りていないのを痛感するからです。
中身のないまま、世界も知らぬまま、子どもに授業はできない。
何年かかるかわからないけれど、ここの町を新しい出発点にして頑張る。
2009年11月5日
夜中、思いだされる無名の人々……
大阪発出雲行き夜行列車で同伴した、住む最愛の人にあいにいくという中年男性。みみずくはこの人から貰ったカレーパンを食べ、その後食中毒を起こした。
シャッターがしまった深夜の千葉駅。体を売ってその日ぐらしをしているという女性。「女はいいですね」とうっかり失言し、お詫びにシャッターごしにピースを渡した。
電車の中でこれから先輩を殺しに行くといっていた兄弟。兄は根性焼きだらけ。車内で雪合戦をして別れた。電車に乗って殺しに行くというのが田舎だと思い。
屋久島の縄文杉の近くの非難小屋で泊まるといいはるみみずくを、凍死するから止めなさいと止めた元自衛隊のお兄さん。
「もー人類は木星につぃたよー」としか、いわない、かつてなにがあって精神を壊してしまったのか。
満員電車でスーパーカップ5つを袋にぶら下げ周囲の人の視線もくれず至福の表情で食べはじめた男。
公園で小学生のみみずくあいてに自転車のチェーンを振り回し、「彼女用」の二台目の携帯電話をもつ若いセレブホームレス。芋飴というのをくれたが毒がはいっていないか心配でみみずくは気づかれないように吐き出した。
数学の試験中、失禁した隣席の友達。お茶をこぼしたのだといっていた。
修学旅行のバスのなかでもよおしたがバスを止められず、しかたなくペットボトルにしたクラスメートもいた。どうやって入れたのか、諸説あった。
病室で桜のスケッチをしているとおもむろにはいってきて花をパクッと食べてしまった小さいおじいさん。機嫌がいいときは「かぼちゃーかぼちゃーかぼちゃー」歌っていた。
印象が強くて死ぬまで忘れられない。
2009年11月3日
引っ越しのたび無駄なものにかこまれて生活していることがわかる。
要るものはほんのわずかばかり。ほとんどはココロの隙間を埋めるため広いあつめたガラクタ?
職場で毎日ティシュをあつめ、小さな布袋にぎっしりつめている老婆と私は似ている。
がらくたは捨てさり、新しい生活が始める。ここで心機一転、古い生活にけりをつける……
2009年10月30日
みみずく父「印鑑、薄くていいんだよな?」
みみずく「だめでしょ!」
一ヶ月の交渉を経て、みみずくの親父より、家出の許可が下りる。実印をうやうやしく頂戴する。その際の父の御言葉。
父「この狭いアパートで一生暮らして、つまらない人生を送るんだな」
みみずく「・・・・・・」
うまれてこのかた3回目の引越し。予定通り、来月早々に、引越しをする。
「あたらしい塒」 それだけで気が休まる。一時的であっても。
家賃は35000、しかして月収の四分の一。みみずくの職場の社会福祉法人に土地を分け売った、大地主の所有するアパート。地主は近辺の山を所有し、アパートの隣の地主の畑を登っていけば、職場に着く。
* * *
先が見えない毎日をなんとなく生きている気がする。上司から、嘱託勤務を勧められる。パート、嘱託、社員・・・・・・名もなき一社会福祉法人で一生を働くことをちょっと想像できない。
みみずくは教員免許を持っていて、それをとるために大学にいった。行かせてもらったといえばいいのだろうか。目標を持っていた。
いまはといえば・・・何も考えずにはじめた仕事を、何とはなしにしている。給料は安いが養うのは自分ひとりなので生活には困らない。
* * *
介護の仕事は、顧客の見える一対一のサービスで、そのやりがいは感じやすい。仕事も、有機的な暖かさを持っているし、きついといわれる割には精神的な負荷は感じない。実績はあまり評価されないが、どの職員も、最大限の努力と愛情を注いでいる。
認知症のケアは、一瞬一瞬の場面が大きい。なにもかも直ちに忘れられてしまうから、その一瞬、どうその人を輝かせるかが本領である。教育とは違って、人を育てる過程を支えるのではなく、人が死んでいく過程を支えていくこと、社会を支える不可欠な仕事である。
けれども、といえばいいかだからどうした、といえばいいのか、先が見えない日々に不安を感じる。一流をめざしていったであろう、高校時代の仲間の顔が浮かぶ。
月夜のみみずくがぽつねんと一人、ろうそくの光を放っていて、
近くにはだれもいない。
ふっと消えても、変わりの光はたくさんある。
世界はたいしてかわらない? 無力感。
そう思ってしまうと何をするきも失せてしまう。
思わないようにこらえている。
2009年10月27日
早朝五時から、毎日、親戚、近所の人、スタッフが交代で、一人の徘徊する入居者につくようになって一ヶ月あまりがたった。みみずくも、月数回、休みの日の早朝に入っている。食事につくまで、この人につきっきりで見守りをする。外を歩き回ったり、事務所で絵を描いたりする。
精神科医の投薬により、暴言暴力はなくなった。夜間もなんとか練るようになった。しかし、早朝目覚め、元気よく歩き回るこの方を、この時間帯夜勤者ひとりではとても見きれない。夜勤者はほかの8人の起床介助、排泄介助、排泄介助から食事の準備まで、短時間でひとりでこなさなくてはならないためだ。なにが起こるかわからないこの職場だが、なにも起こらなくても怒涛の忙しさである。
介護度は3である――もっとも介護度の高さと対応の難しさは関係しない――したがって、この人に適した特別擁護老人ホームに申し込んでも、なかなか入れない。待ち200番台という。
これから冬にかけてますます厳しくなる早朝、ただでさえ交通の便の悪い山の上のグループホームに通ってくれる一般の人はなかなか見つからない。
親戚も、これ以上スタッフの負担が増えることを望んでいない、といって代わりの人は見つからない。
山積する問題は、現場の数人の職員で話し合いを重ね、解決していく。上からの助けを待っていても来ない。
今回の話し合いでは、いい案が見つからなかった。
2009年10月22日
若年性アルツハイマーで介護度は5、うなるばかりで言葉が話せない方の排泄介助をしていた。いつものように。
車椅子でトイレまで行き、そこからトランスして便器にうつすのだが、そのかたは、かろうじて立つ力があった。しかも今朝は珍しく多幸表情を見せていた。
み「○○さん、立てますか」そういっていつも手を引き立ってもらうのだが……
「たてません。」
み「!」
久しぶりのことばにびっくり。
つづいて電話がなった
「電話。」
みみずくはこんなに言葉を聞いて嬉しく思ったことはない。
五年まえは、自由に歩き、毎日でかけ、普通のご飯を食べていたらしい。介助もほとんどいならかった。しかしアルツハイマーの進行が早かった。
たったこの二言をきいただけでみみずくは元気になった。希望が湧いてきた。
2009年10月17日
来月からこの山の麓に引っ越す。職場は山のうえにある……
朝五時九時の超早番勤務を終え、神経科へ。
ことあらましを涙ながら報告する。
また同じクスリが処方されるだけなのだが。
この先生は増やせといえば増やし減らせといえば減らす。なにもアドバイスはくれない。たった五分たらずの会話で三百点の精神療法にあたる。
馬鹿げている。
もう1年以上たち、このクスリは止めたいので減薬を急ぎたい。
世の中の犯罪者はけっこうな割合でこれと同じクスリを服用している。
レインボーブリッジをくぐろうとしたハイジャック犯もたしかパキシルではなかったか?
帰りに、右折禁止場所を右折、張っていた警察ににつかまる。罰金五千円。今日は朝から働いた分は全部宙にきえた。
2009年10月16日
抗うつ剤のパキシルを切らして一週間がたち……
休みがとれずなかなか病院にいけない。
急に止めては危険だと聞いている。離脱症状らしきものがでてきた。
体が数秒ごとにびくっとけいれんする。電気が体を流れている感じ。
あと、些細なことで悲しくて涙が止まらない。馬鹿みたいだが、職場の植木の花をみただけで切なくてだらだら涙を流している。
はたから見れば馬鹿みたいだが、悲しいから仕方ない。
またなにを見ても、明日地球が終わるかのような漠然とした恐さを感じる。あるいは死後の世界をさまよっているような、取り返しがつかない悲しい孤独な感じ……
すべてはSSRIの離脱症状だと思われる。
どれだけ日常のみみずくの人格が、このくだらないクスリに支配されていたかがわかる。
くだらない1日3錠のクスリがみみずくの精神の一方を支え、一方を侵している。
2009年10月13日
……醜いことはまだまだいっぱいある。
若年性アルツハイマーで言葉もほとんど話せくなったご入居に みみずくはいつものようにミキサー食の食介をしていた すると……
「あら、あのひとはスプーンで食べさしてもらってるよ。……かわいそうだねぇ」囁きが聞こえる。
みみずく
(あなたもウンコは漏らすし!!毎日下着を濡らすだろうよ!!)
こころのなかでそう思ってしまった。
なんてこった…
ああ…なんてことだ
すべて老化と脳の萎縮がもたらす行いならば、万人にむけていっておきたい。
誰しも、自分が確かな自分でいるうちに、よくよく次のことを考えておくべきだ。
自分は、美しく老いることもできるし、醜く老いることもできる。
今日は6連勤の第一日目、しかし慣れない家政婦が入ったり、なんだかんやで、時間までに仕事が終わらずなかなかどうして……きつかった。
認知症で、笑顔をふりまき徘徊するお年寄りからは、励まさることが多い。
トイレで
「○○さん、お腹に力入れて!ぐーっと」
「"ぐー"」
「えーと、ごめんなさい……"ぐー"っ言うんではなくて、こうぐーって力入れるんです"ぐぅーぐーぐー"って」
「"ぐぅーぐーぐー"」
「……でないかい」
「ええ。でないんですよ。ここんとこにね(肛門をさし)、割り箸が二本はいってるんですねぇ」
認知症もいろいろで、なかにはやっぱり疲れてしまうものもある。
四六時中まわりを監視して他人へ嫌みや悪口をいったりする方。性格の悪さが老いて全面にでてきている。
普段は丁寧でやさしいが、時々目つきがかわり、まるで違う人になったように暴れまくり叫びまわる人もいる。(みみずくのいった精神病院でこれくらい暴れれば保護室へ監禁される)
排便の介助などは、プライドにさわり、人によってはいやがられる。介助中に罵倒されたりもする。こうしたときは頭でわかってもどっと疲れてしまう。
……家族もだ。毎日のように手伝いにくる家族もいる。たまにしかこれなくとも、悩みぬき向き合っている家族も多い。ろくに来ないし、必要なお金も惜しむがいうことはいう家族もいる。
要するに問題があるからこんなグループホームが必要ないのである。
たくさんの善と悪がひしめき合って。人間の美しいところと醜いところがむき出しになって。
醜さだけに目がいってしまうと、この仕事はまず続かない。
明日も気合いを入れて頑張る。
自分のために。
2009年10月8日
去年の冬に植えた善光寺菜。
春種をとって箱にしまっておいた。
それがきょう、台風が通りすぎたあとの日差しをあびて芽をだした。日いっせいに。
蒔き主がどれほど酷い今日だろうが、彼らには関係ない。
このうちいくつがまた同じように花をさかせる前に、虫にたべられるか、寒さに枯れるか、日照りに枯れるか。
密集して芽ぶいたもの、ふたばが白く元気がないもの……
こうして不平等からはじまり、拡散し、また新たな平等の一点に凝縮する。花をさかせ実を結ぶ。
宇宙の道理の縮小版。
人間はどうか?
生まれながらに欠けているぶん、誰かにあいたくて、何かにあいたくて、生きてる。
病院から帰った夜、二次試験の結果を渡され、両親と面談。成績は1500数人中、限りなく最後だった。体調不良かなにかで棄権したひともいるだろうから、不合格者のなかで最低点をとった。
それよりも、衝動で大量のパキシルと精神安定剤をのみ、タバコを飲んで死んでしまおうとした月夜のみみずくにはもう、受ける資格はない。大勢の人に迷惑をかけた。生きることを放棄しかけた……
最低1ヶ月の断酒と、家族の縁をきらないことを条件に、家をでることになった。
この3日間でなにが起こったのか自分でもわからない。
こんなことになるなんて、考えてもみなかった。
気がつくと警察官二人に抑えつけられていた。
兄がが通報したよう。
僕はさんざん暴れ、あげく、風邪薬をビンごと飲んだ。
救急車にのせられ、それから覚えていない。
次に気がついたのは、このまえ見舞いにいった、病院のベッドの上だった。
致死量の二倍のタバコものんでいた。
活性炭のどろどろした液体をのまされ、そのまま寝たか気をうしなった。
いま家にいる。仕事もはじめて休んだ。そのまま入院してればいいのに、と兄がいった。
2009年10月6日
帰宅後、不合格を責められ。しばらくはなにもいわず聞いていた。でもやっぱり耐えられなかった。親が許せなかった。机をあしげりでひっくり返し。母につかみかかる。父と祖母がとめる。
「ででいく!」
部屋にもどり。パキシル14錠、テシプールあるだけ。レキソ十錠、あのひとがそうだったように安ワインで飲みくだした。あのひとはそれを吐いて切腹して死んだ。
タバコを紙ごと四本たべた。致死量は二本ときいている。
死ぬだろうか。
死んでいい。なすべきつとめはなした。
こんな役立たず死ねばいい。死ね。
僕は、多くのひとを助けた。だからもう役割は果たした。いま死んでもいい。
寂しい
「いつまで、ここにいられるのォ?」
月夜のみみずく「いつまでもいて、いいんですよ」
「だってコレ、かかるんだろぉう……おれ、財布わすれてきちゃった……」
みみずく「大丈夫……○○さんは昔、いーっぱい働いたから、そっから少しずつ引かれてんの。ここは安いし、お金は大丈夫」
「でも仕事しないで、世話になってばっかで、これからどう生きればいいのぉ?」
み「うーん……」
94歳からの質問。
み「○○さん、じゃあ、ここの職員になるってのは? 時給は安いけど」
「力がないからだめだぁ」
み「じゃあ、頭をつかって何か仕事を……」
「頭ないからだめだぁ おら百姓の子だから」
み「あ、じゃあ、野菜をそだてましょう! 」
「スイカなんていいなァ2つくらいはなるかなぁ」
み「スイカ?今年は下の階でスイカ作りましたよ。でも二階じゃどうかなぁ。いま秋だから秋まきの、なんかないでしょうか」
「大根か。でもおれ、百姓だとも手伝いしかしてない」
み「ようするに菜っ葉系ですね!!!できますよ。
失敗しても、春は菜の花」
かくて不安は解消でき、ひとつ、仕事ができた。
本日、職員全員出勤で回転ずし企画とミーティング。
毎日、介護職のやりがいや厳しさ、奥深さを知る。具体的な問題が山積している。
ここのグループホームの状況は、本来あるべき姿から変わり、現況は特別養護老人ホームに近いらしい。開所五年で、人は変わり、多くが変わった。
そんな忙しい時期、明日の午後に、教採の合格発表がある。受かれば来年から教員に挑戦してみようと思う。だめなら介護の資格をとってスキルアップを目指そうと思う。
実はみみずく、これまでの人生大きな試験に落ちたことがない。しかし今回はてごたえなし、厳しい。
しかしどちらに転んでも事前に道は用意してある。むかしは<落ちたら終わり>と思うような性格だったからうつ病になった。
いまはたとえ落っこちてもこんな風に思うようにつとめる。
「試験に落ちたら半分は、試験官がそのひとの魅力を引き出せなかったわけであり、大粒のダイヤが入った原石を捨ててしまったようなもの。惜しいことをしたものだ。はっはっは」
「五カ年計画。今年は下見、来年はおためし」
「受かるまで、ほかの教師が知らぬ世の中を知る貴重な時間」
そのくらいに思っていた方が打たれ強い。
まるで、落っこちるのを願っているみたいだ。
2009年9月25日
昨晩は初、一人夜勤であった。 PM18:00~翌AM08:30
まだ暗い四時、センサーアラームがなり、お一人が元気よく徘徊しはじめる。その音に気がつき、もう一人が失禁しながら廊下に飛び出してきた。
みみずくしかいない。助けはよべない。
排泄介助をし、廊下からトイレまで点々と尿の池を雑巾で譜拭いていると今度はいつもはなかなかおきない二人も起きて・・・
5時、非常階段からあがってきた職員はこうこうと電気がつき、テレビを見ながらお茶をすすっているご入居の姿を見て唖然としていた。
(この先輩職員は一番初めに起きてきた徘徊するおばあさんと朝の4時間を一対一で付き添う「バイト」をしているのである。みみずくも月三回入っている)
さて、戦場はあっという間にすぎ、日の出までにはほとんどの方の起床介助、着替え、排泄介助を終わらせてしまった。後は夜中に作っておいた朝食を配膳するだけ!
料理も最近は、知っているものなら何でもできるような気がしてきた。ハンバーグだとかピザだとか作ったことのない洋食も、適当にコツを教わって作ってしまった。天ぷらもカリカリに揚げられる。魚だって包丁さえ研げていればさばける。
ホームヘルパーの資格はお金で買うかみきれ、職員はいう。
もぐりの介護職員、月150時間(プラス20時間+アルバイト16時間)働いて、給与は年金やなんかを引かれて十五万にとどかない。
2009年9月12日
昼、いつものように、x等で一番介護度の高い方の食事介助をしてた。完全ミキサートロミ食。
はじめはいつも通りだった。
しかし次第にいつもと比べ様子がおかしいと気がついた。
なにかがちがう。
体温計を出した。(いま思えば賢明な判断だった)
8度を超えていた。
リーダーに報告。
体温はみるみる上がり8度五分に。サチュレーションも70パーセント台になった。
リーダーは経験からまよわず救急車を要請した。
救急退院は意識を確認するため「手を握ってください」といったが、発話もままならない認知症、それは無理なことだった。
救急車のなかでは40度をこえ、嘔吐もあったらしい。
診断では誤嚥性肺炎…食介にミスはなかったはずなのに……みみずくの行為が、この人を死なせるかも知れない・・・
……思いがよぎる。昨晩となりの棟で一人が肺炎で亡くなられた。
今年で三人目だ。
顔なじみのあった職員は悲しんでいる。みみずくはよくわからなかった。九十を超えての死は、厳かなことではあるが悲しいこととは限らない。ましてやめでたいことでもない。
同じ命でも生きたくても耐えられなくて死んだ、いまはみみずくより年下になってしまった先輩を思う。
あのとき心臓がやぶれるくらいつらく重くて……もし身代わりできたなら、何度も思った。
いい人ほど死んでいく。優しい人から死んでいく。神様みたいな人に限って早く死んでしまう。
これほど無慈悲なことはない。これほど無慈悲なことは……
2009年9月11日
みみずくは、4ヶ月目にして認知症の介護に、はじめて先輩から"向いてる"といわれた。
……下の世話からなにからなにまで、別に大変とも辛いとも汚いとも思わない。不思議なことに、なんの抵抗もない。要介護度がいくら高くても。
両腕が排泄物まみれになっても、生物学な危険については知っているから、別になんとも思わない。漂白剤とエタノールがあれば、全く大丈夫……
思いだすと、はじめての排泄介助や食介は高校生の時、ボランティアで老人ホームの仕事をやった。生きずまって苦しいときたまたま見つけた。
いま、非常勤なので給与は少ない。まともに生活できないくらい。しかし少ない分、入居者と家族の負担も少ない。ここのグループホームは、恵まれた環境にありながら横浜市の助成金もあり、格安の部類に入る。一次入居金50万円。月かかるとしても最大10数万円。市でももっとも安い部類に入る。
民間の有料老人介護施設ならば入居金1000万などざらだなのに。
それに比べればここは、安くて、住みやすい。職員も優秀。
みみずくはそこ今日も明日も働く。
樋口了一
「手紙 ~親愛なる子供たちへ~」
年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのまま私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴紐を結び忘れても
あなたに色んな事を教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずに聞いて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の暖かな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ 消え去っていくように見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひとときに 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ足も弱り 飲み込むことさえ出来なるかも知れない
足も衰えて立ち上がることすら出来なくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ
http://www.youtube.com/watch?v=VIys43kR5S0
「償い」
作詞・作曲 さだまさし
月末になると ゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに
必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった
仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと
飲んだ勢いで嘲笑っても
ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり
僕だけが知っているのだ
彼はここへ来る前にたった一度だけ
たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ
配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影に ブレーキが間にあわなかった
彼はその日とても疲れてた
人殺し あんたを許さないと 彼をののしった
被害者の奥さんの涙の足元で
彼はひたすら大声で泣き乍ら
ただ頭を床にこすりつけるだけだった
それから彼は人が変わった
何もかも 忘れて 働いて 働いて
償いきれるはずもないが せめてもと
毎月あの人に仕送りをしている
今日ゆうちゃんが僕の部屋へ
泣き乍ら走り込んで来た
しゃくりあげ乍ら
彼は一通の手紙を抱きしめていた
それは事件から数えてようやく七年目に初めて
あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り
「ありがとう あなたの優しい気持ちは とてもよくわかりました
だから どうぞ送金はやめて下さい
あなたの文字を見る度に 主人を思い出して辛いのです
あなたの気持ちはわかるけど
それよりどうかもう あなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」
手紙の中身はどうでもよかった それよりも 償いきれるはずもない
あの人から 返事が来たのが
ありがたくて ありがたくて ありがたくて ありがたくて ありがたくて
神様って 思わず僕は叫んでいた
彼は許されたと思っていいのですか
来月も郵便局へ通うはずの
やさしい人を許してくれて ありがとう
人間って哀しいね だってみんなやさしい
それが傷つけあって かばいあって
何だかもらい泣きの涙が
とまらなくて とまらなくて とまらなくて とまらなくて
http://www.youtube.com/watch?v=7-G1jyF5PF4
2009年9月6日
○○福祉会××とかかれた一台のリフト車が首都高を走る。日曜の夕方。
東京 日本の首都。世界の主要経済都市。高層ビル群、はりめぐらされた地下網……羽田空港、品川、銀座。江戸城の皇居。無数の立体が近ずき遠ざかり。
一度も降りない、止まらない。車のなかから景色眺める。
自分の生きた年月より遥かに若い建造物。
2時間弱の間で横浜の最南端から都心を往復したあと、まるで何もなかったかのように帰宅し3時のお茶を飲む。
飲み終わる頃には半分くらい忘れている。夜にはまるで覚えていない。
2009年9月4日
コンソメパンチ様
ご心配をおかけしてしまったようで申し訳ございません。後日、ぐーすか。あの晩はすこし神経が高ぶっていたようです。睡眠障害とまではいきません。また、幸いにしてか不幸にしてか、現在も精神科に通院しているので、不調があれば相談できます。
さて、文面に「何も解らなくなってしまった人は…」とあります。それはいつも思います。今日90歳を迎えたおばあさんは、ご飯をお出しするとと必ず「料理屋さんにいったみたいだよ」と何回もいいます。「みんなにいろいろしてもらって幸せだよ」と何回もいいます。ドキュメンタリーを作るとして、こんなシーンだけを切り取ってつなげれば「ほほえましいもの」ができます。
ほほえましいけれど、ドキュメンタリーとしては嘘だし面白くもない。
現実は、このおばあちゃんは小さなことに固執し、愚痴だとかや嫌味もそれ以上に何回も何百回もいいます。まるで姑が嫁をいじめているようにきつく、毒々しくいいます。そんな生なましいシーンを適度に(笑)加えて初めて味のある映画ができると思います。
どこまでが紛れもないその人なのかか、どこまでが認知症なのか、素人目では判断がつきません。まして幸せかどうかなんて、わかりはしない。
不幸でないことが幸せなら、衣食住が与えられているここの住人は、「幸せ」だとみみずくは思う。しかし「親族から見放されて」という条件なんかがついたりすると「不幸」なのかなとも思う。わからない。
認知症であれ、精神障害であれ、さらには健常なのひとであれ、他人の立場からすれば幸せにもみえるし不幸にもみえる。ただそこで大事だなあ、と思うのは、たとえ認知症や老化が進んで言葉すら発することが困難になっても、その人の表情の微細な変化やささいなしぐさで、感情や意思は読みとれるということです。「幸せ」かどうかはわからなくても、悲しいとか寂しいとか、うれしいとか楽しいとか調子が悪いとかいいとか、快適か不快かはわかる。
それを頼りに介護していくほか、ないのかもしれません。
2009年9月3日
朝から夜まで働き、鉛のように重く疲れきっているはずなのに、もう五時間たつ。寝返りをうちはじめてから…
(なぜ 眠れない…!?)
(眠れないなら、思いきって本を読むなりすればいいのに、眠ることばかりに神経を使った……だからどんどん眠りから遠ざかっていくんだ……)
闇のなか、無意識に自分の生きてきた道のりのあら探しをしていた。そうしていると、同じように眠れず、病院から脱走することを考えていた病床の自分と重なっていった。
(あのときの不安の底に、また、陥るんじゃないか)
背筋がぞくぞくする……
怖い。
となりに誰かいる?
だれもいない。
いま誰の為に 生きてる?
はっきりしない。
死ぬことより、いま生きてることがはるかに怖い……、そう思える夜だった。
精神的な休みが必要だ。
2009年8月30日
明日企画されていたその名も「x棟すし祭り」は、台風11号の直撃が予想されるため影響で中止となった。残念半分、ほっとしたというのが偽りのないみみずくの気持ちである。
予定では、x棟のスタッフ総出で8人の入居を、リフト車をつかい街の回転寿司チェーンにお連れする、という大企画。
大企画と書いたが、認知症をもつ8人を、しかもほぼ寝たきりに近い方を含む8人が外食に出かけるというのは、当たり前のようで、とてつもなくオオゴトである。
バリアフリーが進んでいるのは公共機関施設。グループホームの外へ一歩でれば、そこは健常者の闊歩する社会。「お年寄り」「高齢者」ならとにかく「+認知症」の現実は、知られているより知られていない。映画やドラマ、フィクションではない。現実である。
さて、そもそもグループホームから入居者が揃って外にでること自体、なかなかないことだ。
人権侵害なんてまさか言われないだろうがホームは、フェンスと鍵のかかった門に閉ざされている。万一、徘徊を見過ごし外に出られたら命に関わるからである。
しかし、かつての職員はすごいもので、かつてディズニーランドまで出かけた話を聞いた。高齢者福祉パスを提示して長蛇の列をスルー、先頭にたったものの、とうのご入居は「こ〜ろ〜さ〜れ〜る〜」と大パニックに陥って大変だったという。いざアトラクションに入るとけっこう楽しまれていたとか……その後ホームで長寿を全うした顔の知れない一老婆の話を聞いて、余生にてそんな体験ができるということは奇跡であるとみみずくは思った。
回転寿司ごとき、まだまだかもしれない。
この「すし祭り」。誰も楽しみにはしていない。話しても五分後には忘れてしまうから。しかし大切なのは、<<外にでて皆と寿司を食べる瞬間の幸せ>>だと思う。
忘れることはそれほど重要なことではないのかも知れない。
明日は、出前で"すし祭り"だ。
2009年8月27日
夕方、交通事故にあった祖母の見舞いにいった。大腿部損傷、肋骨にひびがはいっていたものの口数は多く元気そうであった。幸いである。
ブロック注射なるものが効き、大手術は年齢的にリスクが高いことから見送りになったとの由。
事故当時、祖母は青信号を横断していた。そこへ右折の車が進入し、衝突。
バス停にいた目撃者によれば、加害者は高齢者で、事故後しばらく車の外にでてこない。救助要請もせず、血だらけの祖母に対して土下座をして謝っていたので見かねて119へ連絡したという。
交番の目の前であったが警官はおらず、遅れてやってきたらしい警察の調書は住所も名前も間違いだらけ、いい加減極まりないものであった。
みみずくの叔父が警察に電話し、事故にあたった警官は定時にさっさと帰宅し、担当者がいないので対応できない旨を聞き激怒。あなたじゃ話にならない、と巡査部長まで呼び出し謝罪させていた。普段ユーモア溢れる穏やかな叔父の戦う姿を見た。
今月はみみずくの周囲でいろいろことがありすぎた。気づけば 秋もちかく、虫たちの鳴き声が聞こえる。
こんな夜半は信州に帰りたいと思う。楽しかったり、悲しかったり、さまざまな思い出が蘇ってくる。みんな、いま元気にやっているだろうか。
2009年8月26日
先日保護したメジロのヒナは朝日が昇るとともに藤かごのなかで元気よく鳴きだした。
それを聞きつけたメジロのつがいが網戸のすぐ近くまで来てさえずっている。まるで雛に話かけるように。みみずくが以前庭で餌付けして可愛がっていたつがいかどうかはわからない。
みみずく、大空に向かって網戸を開け放つと、三匹は一斉に飛び立ち、電線にとまり、ぴーちくと会話を交わしていた。
そしてどこかへ飛んでいった。
我が子として、育ててくれるのだろうか。そう信じたい。鳥にも愛情がある。
ヒナが戻ってきて欲しいという寂しさ半面、これで良かったと思う。
こうして一匹の雛の命は助かった。
みみずくはまたひとりになって、網戸を閉め、仕事に向かった。
2009年8月23日
社会福祉法人は、利益を上げることはできない。利益は社会に還元しなければならない。そのため国からの助成があり、つぶれないイメージがあるが実質は企業と何ら変わりない。いつ経営に失敗し倒産するかもわからない。
何人かの職員が法定時間を超える勢いで労働していたるため、(実質は休憩時間がほぼなく、ボランティア残業をする人もあり、既に超えていると思われる)、今月末はみみずくが交代して埋めて働くことになっている。
タイムカードに退出記録をつけたあと、猛然と昼間の介護をつづける夜勤者さんがいる。もちろん昼間は無給料。連続、二十時間働いていることになる。神様だと思う。
みみずくでさえひかえめにいって、8月中まともに休めた日は1日もない。過去精神面で失敗しただけに、自分を崩壊させる臨界点を越えないよう、ギリギリの線引きをしている。
幸い夜は眠れる。主治医は睡眠時間だけは削るなといわれており、眠れなくなったら、辞めるつもりであるがまだ大丈夫だ。
世の中で介護の労働環境は厳しい方に入るとは思うが、世の中をあまり知らないので、比べようがない。これまでみたもっとも大変な仕事は、みみずくの教育実習の指導教官であった。毎夜徹夜で、時に教室に泊まりこみ、研究を半ば強いられていた。すべてが必要かは疑問であったが、その教師の熱意たるや、これも神様であった。
さて、来週に迫った選挙でなにが、かわるのか。どこに投票すべきか、同年代には真剣に考えて欲しい。
2009年8月22日
「(うちのグループホームに)空きがあるから入ってもいいよ」とみみずくの先輩職員。
丁重におことわりする。
なぜって? 身内の介護には、なぜか自信がないのだ。
夕方、調理担当でひとり台所でてんやわんやしていたら(・・・九人のご入居に三人職員がいるのに、その場にいたのはみみずく一人。タバコ休憩の二人の職員に声掛けする。「ちょっと1人では見切れないので!!!!(新人残して二人同時に休憩しないでください!)」 調理しながら、九人全員に目を向けることはできない。視角的にも、心理的余裕においてもみみずくには見ることはできない・・・
それはさておき、夕食後リーダーがベランダに小鳥の雛が落ちていのを発見した。
部屋の中にいれると、突然飛び立ち、冷蔵庫の下にもぐりこむ。三十分ライトで照らして探したがみつからない。冷蔵庫の下はかなり暑くなっている。ご入居優先であることを気にしつつ、日勤のタイムカードを押していることに自信を持ち、みみずjくは救助に当たる。よく猫ちゃんが木にのぼったままおりられなくなり、レスキュー隊がきたりする映像をみるが、小鳥はどうか。夜勤者の女性と、「さすがに救急車は呼べないと」いう話になり、リーダーが奮闘、冷蔵庫をもちあげ救出とあいなった。
そうしてこの小鳥さんは、いま うちにいる。帰り際ペットショップのお兄さんに相談してみた。メジロのようだ。野生なので飼うことは罪になるらしい。 けれども親切に、餌づけの方法を教わった。教えてもらった方法で粟粒を煮て、食べさせいまは、みみずくの部屋ですやすや寝ている。まんまると。
かわ。いそうだから外に逃がせばと、多くの職場の人はいっていた。しかし外に落ちているこの子は猫に食べられるかアリにかみ殺されるかのどちらかであった。自然の摂理とはいえない。ここは住宅地の密集したコンクリの街である。その影響はないとはいえない。
この子は生きそうだ、とみみずくは思った。
森へ帰れるように、自律できるまで面倒をみよう・・・
「ここはミキサー食も作れるわけだし、小鳥の介護もいいんじゃない?」「もってかえってペットショップでみてもらって。お金は分担で払うから」と夜勤さんはいった。優しい人だと思った。優しい人は、かならず人一倍つらい経験をもっている。みみずくはそう思う。
かくてみみずくは、この子の保護者となった。
2009年8月21日
石川町のみなと総合高校にて実技試験。中華街のいりぐちにある。
ピアノだと思っていた。試験はオルガンであった。ペダルを上げ下げしたら音がでなくて頭まっしろ。ありゃ音量調節のペダルだ。あっというまに試験終了。ほかの受験者はみなうまかった。すべて男。
水泳。無事反対岸にたどり着く。
午後は場所をかえ個人面接。事前に書く面接カード、部活のところに合気道とかいたのはいいが誤って「実績」の欄に(途中で師範に暴言をはかれ半年で挫折)と余計なことをかいたいた。
ユーモアで通したつもりがつっこまれる。もしそれが学校の上司だったらあなたはどうするの?
もっともな質問に納得。試験官を誉めるべきである。どっちが面接者だ。
そのほかモンスターペアレントの対処、事故対応、大なわとび大会足を引っ張り仲間から阻害されつつある女の子の対処をロールプレイングするなど。面接室で子どものなかに入ってなわとびをする教師の仕草をしてたら、面接官は口をあけてみていた。直後説明をもとめられたのはいうまでもない。
集団面接ではくじで模擬授業者が決まるものと思っていたら、全員であった。テーマは 1日本語、2ボランティア、3住居 三分構想でなにができる? みみずくは日本語を選択し二年生国語として「敬語」の授業をしてみた。
集団面接で保護者が試験官の女性二人が入っていた。厳しい目つきで怖かった。真剣なのはわかるが、にこりともしない。この人こそモンスターではないかと疑ってしまうくらい冷たい感じの人だった。個人的な感想であるが。
その保護者のひとりから全員に「自分の授業に得点をつけるとしたら?」きかれる。
みなは<七十点>以上をあげた。みみずくは<二十点>とした。たかが三分、なんの教材準備もしないで、七十点の授業ができるものか。もしできるなら、誰だって教師になれる。みみずくはひねくれ者だった。
しかし周りの受験者はみないい人で親切かつ話やすい人たちであった。このなかで誰かが落ちるとは思えないほどみな堂々としていた。
みみずくは、今回は受からないと思うが、どっちにしても彼らが教師になれば、日本の教育は安泰だ。
面白い1日だった。
明日から仕事。
2009年8月20日
職場を離脱し10キロはなれた病院へカブで向かう。
血だらけだが意識はあり、骨折もなく。不幸中の幸い。良かった……
明日は試験だが、うちはいま混乱している。
2009年8月19日
今日も介助、介助にあけくれる。介護などといえば生易しい。一歩間違えれば転倒、すなわち死。目を離せない戦場である。法定の「一時間」の休憩時間は権利だが、よほど図太い人でなければ権利を履行することはできない。そういう職員は、しかしここにはいない。みなタイムカードを押したあと、一時間でも二時間でも残業するような、人たちである。
明後日は採用試験二次。なにも準備していない。ピアノもまだ引けていない。隣接するデイサービスにピアノがあるが、8時すぎても会議をしているので使えなかった。今年の試験は無理そうだ。一次を通っただけで、奇跡だったんだ。
しかし、夜帰宅して過去問をちら見する。<「福祉と子ども、高齢者」について述べなさい>
……高齢者ってなんだい? 自立しているお年寄り?それとも要介護5以上で認知症かつ精神疾患、慢性的な病気を抱えるお年寄りのこと?
夏休みでデイサービスにくる職員の子どもは、控え室で任天堂DS、公文式ドリルをほうりなげ、駄菓子を食べている。
なにもいわなければそのままだが、声がけすればちがう。小学一年の女の子に、庭にさく花を摘んで花瓶にいけて、あのおばあちゃんに渡してといえば、そうしてくれる。
そうしたときの顔は恥ずかしそうで、でも嬉しそうだった。
そんな現実を面接で聞かれて述べたとして相手はいわば教育官僚。専門家であるとも、介護の経験はない。
模範回答なんていえない。模範回答をいえばうかる試験なんて受けたくもない。
ずっといまの仕事をつづける。
2009年8月17日
盆をすぎた。迎え火も送り火も、墓参りも何一つできなかった忙しい夏だった。
横浜でも虫たちの合唱がはじまる季節に入る。
鈴虫松虫の音を聞くと、信州の学生寮で過ごした秋の夜半を思いだす。
あっという間の秋をすぎ厳しい冬に入っても、いくつかはまだ生き残り、そんな彼らは切ないくらい美しく鳴き、冷気のなか澄みきったその音色は幽玄ですらあった。
去年のいまころは、権堂にある古い喫茶店で働いた。お盆中はあの世からの常連客もいっぱいいるらしく、店は静かでも賑やかであった。あのとき流れていた昔の映画のサントラがいまも耳に焼き付いている。お客様は風俗店で働いていると思われる中国人が多かった。
一年たって、今日も明日も、仕事場に通う毎日。コーヒーは結局いれられなかったが、介護や料理は少しずつ要領よくなってきた。
2009年8月11日
2009年8月6日
教員採用試験 一次は合格とのこと。
あ〜一夜ずけでうかってしまった。 21日の試験に備えて電子キーボードを買って練習しなくちゃ。
明日は長野味噌川でサマキャン。 子ども12人のリーダー。4日間。
新しいx棟での3日目の仕事。介護度の平均は3~4。
大学で教育学を学んだが、介護学は未知の分野。
認知症のご入居者が不穏になるとき発する言葉は、3通りある、そう今日は実感した。
ご入居「今晩ここに泊まっていいんですか?」
ご入居「こえから私はどうすればいいの?」
ご入居「娘(息子)は大丈夫? ウチが心配だ」
<現在への不安>、<将来への不安>、<過去への不安>だ。
認知症は、手っ取り早く言うと脳が萎縮していくこと。一分前にいったことを忘れる。子どもの名前も忘れる。満腹も忘れる。おしっこをするのも忘れる。何かを探し徘徊する。物を壊す。壁のコンセントからなにからなにまで。
老いれば、どんなに優秀な人であるとも、どんなに実績を上げた人でも、認知症になる可能性はゼロではない。あなたもだ。
「帰る!帰らなくちゃ!」もう何度もいわれ、
みみずく「いまは雨がざあざあ降ってるから帰るのは大変だよ」
みみずく「夕ご飯を食べてから帰ろうね」
みみずく「ここが〇〇さのおうちなんだよ」
みみずく「僕がずっといますから、安心してね!!!」
嘘をつく。だます。致し方ない。それが、しかし、この方たちの幸せにつながるとだと信じて。
いま、みみずくがやっていることが、間違いではないという確証がある。
それは、一人も例外はない、「笑顔」を見せてくださること。























