今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

災害の予見

2009年7月23日

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嵐がくるまえに、動物たちは早々と退避行動にうつる。


近代以降、人間は、自然と隔離された、あるいは排除した生活のなかで、感性や感覚が鈍くなった。気象予報がいくら発展しても、それを生かすことができないために、毎年多くの人が亡くなる。

このたびの北海道トムラウシでの遭難事故は、危険の予兆がありすぎたのに、それを無視した、あるいは無視せざるをえなかったために、残念な結果となった。


どちらにしろ自然を甘く見過ぎてしまった結果だ。だれを責めることもできないが、だれかが責任をとるのがこの社会のきまりだ。


結果的に誤った判断をし、生きのこったガイドや企画会社の人たちは、今どんな気持ちでいるのだろう。また、自分が生きるために、力つきた人を登山道に置いていかざるをえなかった人たちは、いま、どんな気持ちでいるのだろう。


その場にいなければわからないとはいえ、極限状態に陥ったとき、はじめてむき出しになったおのれの本性に、このさき苦むであろうことは、容易に察しがつく。


みみずくだったらどうしていただろう。やっぱり自分だけ助かるべく下山するのだろうか?


あなたならどうするか。

さて、昨日の日食の際は、異様に鳥たちが騒いでいた。ここは横浜だが、やや薄暗くなった曇天の空を、カラスやキジたちが落ち着かず、不安そうに鳴いていた。庭に珍しくキジが舞い降り、周囲の様子をうかがっていた。まるで嵐か地震かが迫っているように、不吉な印象をうけた。


日々、身の回りの生命の変化に敏感であるべきだ。人間の感覚を超越した動物たちの予感と行動は、往々にして、人間を災害から助う。


このこともあわせて 頭に入れておかなくちゃいけない大切なことだと、みみずくは思う。自分も周りも助かりたいのであれば。

仕事雑記 グループホームのこと

2009年7月19日

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グループホームでの仕事は、掃除、洗濯、朝昼夕の調理、買い物などの日常的な家事援助をはじめ、バイタルチェック、薬の管理、服薬介助、排泄介助、入浴介助、更衣介助、簡単な処置、転倒の危険があるかたの見守り、水分摂取や食事摂取量、入居者の日常の記録、体操や音楽、簡単なレクをしたり、散歩などに付き添ったりと多岐にわたる。


週5勤務で1日あたり8時間労働だが、休憩の時間がほとんどとれないので、実際は9時労働ということになる。


介護度の高いかたが他所で入院しているため、ここ二週間は、それでも余裕があった。


入居者9対職員3人というのは、グループホームとしては恵まれた環境なのだという。三人いる職員のうち、例えば一人が調理、一人が入浴介助となれば、もう一人は動けない。一瞬目をはなすことが、転倒の危険につながってしまうからだ。


入居者の人権は最大限尊重され、決して拘束したりということはない。いわゆる認知症が重く、徘徊する人があれば、時間が許す限り1対1でそのかたの赴くままに付き添う。


また老人ホームによくある、幼稚園の壁面構成のようなものはない。入居者は子どもではないし、ここは一種の「家」なのだから。


みみずくがおりにふれて思い出すのは、地方の精神病院だ。そこはようするに鉄格子つきの姨捨山で、親族から見放された高齢者が薬づけにされて、拘束されたり、鎮静剤を打たれて窓のない保護室(むかしでいう独房)にほうりこまれたりしていた。たとえば明け方まで睡眠薬を深夜にばかすか飲んで、翌朝6時に起床し、半強制的に体操をさせられる。退院するか、死ぬまで、ずっとそうである。


それに比べれば、ずっとここは良い環境だし、そうでなければならない。

ジベタリアン

2009年7月18日

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深夜、あろうことかみみずくの住処の真下で、地べたに座った若い女たちがいつまでも、携帯片手にくっちゃべって、けたたましい笑い声をたてている。


犬は吠えまくっている。


明日は早番なのにうるさくて眠れない。


したがってみみずく、イライラする。


(ったくどこの親が教育したんじゃ。ハマの義務教育はそんなもんか。それとも、週末の深夜、住宅地のど真ん中でだべらなきゃいけないほど、日頃社会に抑圧されてるのか、云々)


夜中に騒がしいのは、おそらく一般人の多くがイライラを感じやすい状況であり、SSRIはこの際関係ない。


今日の読売新聞によれば今日いらいらしている若者が多いという。自他共に歪んでいる。

素行不良は恥の元

2009年7月17日

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ちまたでは「プリウス」などハイブリット車のエンジン音が静か過ぎて、逆に問題になっているというが。

みみずくは、音ではなく、排気効率が向上するという噂を聞き、リトルカブにメーカーの不明の「ボンバーマフラー」をとりつけてみた。


普通ならすとととと・・・・・と上品に走るカブが、


ぶぉ〜んずごばばば!」と始動加速し、減速すると「ヴォー〜ン」という低重音を響かせるようになった。うぬ、小気味良い…


原付のなかでも最も静かな部類に入るホンダ技研のカブが、マフラーを変えただけで、こんなにも豹変するとは…


しかしだ。多少うるさくてもそれなりの馬力や排気量があれば、まあ理解できるものの、みみずくのカブは排気量49cc、くたびれかけた年代車で低重音を響かせてひとり悦に入っているのはどうなのか。


さらに、こんな音を出して閑静な住宅地のグループホームに出勤したら、たちどころに、ご老人の二、三人が心臓発作を起こすばかりでなく、近所から苦情がきて、大変なことになると思い、手前から押して歩いた。


おまけに仕事のあと、キックペダルが干渉して 外してみたら元に戻らなくなり、スパナ片手に暗闇の駐車場で格闘。


帰りぎわの職場の人たちに「故障したの? おうちはどこ? 帰れるの?」と声をかけられ、大恥をかいた。


中身の無い見栄は はってはいけない。

かえるのしょんべん

2009年7月13日

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夜、庭で煙草を吸っていると、暗闇のなか、がさごそと音がする。


手のひら大の大きなかえる。ウシガエルか(後日、ヒキガエルの仲間らしいことが判明した)。数年前からどうやら同じ個体が住み着き、ここ数日 毎晩庭の同じところを一匹でうろうろしている。鳴かないところをみると、メスだろうか?


こんなところに結婚相手はいないだろうよ。仲介してあげようか?


それにしても実におまぬけな顔をしている。動作ものろま。持ち上げてもぼけ〜っとしている。


動物愛護法に反さない範囲で、ひっくり返してからかっていたら、ぴょーっと大量のしょんべんをしやがった。


かの有名な「かえるのしょんべん」……


そうこうしているうちに藪蚊に10カ所以上もさされ、退散。食われる蚊は、カエルに味方した。


まぬけなのは、こっちかもしれない。

横浜市教員採用試験 受かれば言わないあれこれ

2009年7月12日

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スーツ姿のうら若きオトコ・オトメが会場の大学を埋めつくしていた。そしてちらほら、中年男女の混じっていた。これが不況のせいでないとはいえない。

ライバルたちの様子を、ハゲタカのような目つきで伺う。おびえたねずみのように背中を丸めて。

……髪をいじくる長髪・ボサ髪の男がいると思えば、携帯と鏡を手ばなさない女、鳥の巣のような禿あたまをしたまるで寝起きみたいなおっさん……


みみずく(この人たちも、教師になろうとしているのかぁ…見た目で人は何割といったっけ……)

                       *  *  *

さて肝心の試験の内容だが、「教職・一般教養」、「専門教養」ともに、過去問の延長線上、つまりは際立つ問題もなかった。すべては知っているかいないか。暗記と忍耐の試験である。簡単ともいえぬ、難しいともいえぬ、河合塾の模試を受けているような感じである。唯一、お金がかからのが良心的といえる。

みみずくは、いつもはあたる第六感で、新しく小学校に導入されつつある「外国語教育」にヤマをかけ、前日にまる暗記していたら見事に一文字もでなかった。横浜は異文化交流の地ではなかったか!

最後の「論文試験B」


「反抗的な態度を示す児童に対する教師(あなた)の姿勢と指導を、<信頼される教師>という観点から述べよ」

というような、みたいな作文のような内容であった。


みみずくは

<……どだい教師も人間、たやすく信頼などしてはいけない……>
<……反抗は健全な発達過程上必要不可欠不可避なり……>


と書きそうになるのをこらえ、非現実な、しかしよくありそうな文章で紙面を埋めん、と四苦八苦していたら、校正する時間もなくなり、よくわからん文章になってしまった。


結局、

一番重要な姿勢は教師がまずが子どもを信頼することであるのであるのだ!」


などと、さも偉そうな台詞で締めくくったが、試験が終わってみると、なんだか自分がひどくつまらない人間に思えてきた。 「信頼」なんて……同じ釜の飯を食って、金タマみせあって、安酒のんで、翌朝ゲロはきながら試験をうけた友人くらいにしか見いだせない。

もしかしたら……いや、たぶん今年はダメだろう。

万一、受かったとしたら、この試験が一夜漬けで通れる程度のシロモノ。

以上、試験ができりゃこんなことは言わない、不遜きわまりない月夜のみみずくの愚痴でした。

横浜市の皆さん、こんなんですみません。努力します。

長野県庁での思い出

2009年7月11日

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大学在学中、公立小学校の理科の授業のサポートをする、理科支援員というのをやっていた時期があった。市内のいくつかの小学校に派遣され、予備実験や、授業者と協力をするのが主な仕事だったが、最後に行った小学校は、主に、「理科準備室」の整備整頓が仕事だった。


職員室にいくと、職員の椅子ピーチという名前のに猫が、居眠りをしていた。
クラスになじめない子どもがいて、仕事中なのに一緒に池でめだかを捕まえたり、準備室で、面白い実験をしたりして遊んだりもした。その子は、よく準備室に遊びに来るようになった。


しかし、うつ病がひどくなってきて、月夜のみみずくは無断欠勤をするようになってしまった。そうこうしているうちに、仕事の継続のため県の教育事務所に呼ばれ、気が重い中、県の教育事務所に赴いたのである。

そこで、面接をしたのだが、無断欠勤のことがやはり伝わっているようだった。当然、責められることは覚悟していたが、そういうことはなく、面接が終わった後、みみずくは、お昼ごはんをご馳走になったのであった。

そこで、事務所のひと(たぶんかなり職位の高い人?)が、カレーライスをおごってくれたのを覚えている。自分の知り合いにも、大変な時期があったが、今はなんとか仕事をしているから、あせらないで大丈夫、とみみずくの体調のことを、心配してくださったのだった。今度うちに遊びにおいでともおっしゃり、みみずくは恐縮してしまった。一介の教育大生にこんなにかまってくださる、教育委員会の人もいるのだと思っておどろいた。

たまに思い出して、受けた恩は、これから誰かに返していかなくちゃとおもう。


あすは横浜市の教員採用試験。

教員採用試験および尿検査についての考察

2009年7月10日

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あるひとが


「あたし、こんなに薬飲んで大丈夫なの?」


といったので


「僕は毎日この倍以上、飲んで、生きてます」


と答えた。


……類似体験は共感的理解に資する?


カウンセリングの基本をまる暗記中、こんなことを思いだし、勉強ははかどらない。
*********************


それはさておき、採用試験が日曜日にせまった。というより気がつけばせまっていた。


試験など、これまでごまんと受けてきたが、何度受けてもいやなものである。


みみずくけだし、尿検査みたいに、さっさと終わればいいのだ。受験者を列に並べて、その場で合否をだしてくれたらと妄想する。尿検査はインチキで容器にウーロン茶を入れても通るという噂もあるが、さすがにオレンジジュースや牛乳は通さないだろう。


試験も同じではないか!完全ではないのだ。受かってもダメな教員はいる。


だから採用試験も尿検査くらいの簡易かつ画期的な代替方法が見つかれば、いいのだ……


と、バカなことを考えつつ、一週間前から腹痛を起こしている。試験のまえに検査が必要かも知れぬ。

後悔のないよう生きたい

2009年7月9日

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週末の採用試験の準備をすべく、4日の休みをもらった。


今日はその貴重な1日目。なにをしたかというと、疲弊してひっくりかえって夕方まで寝ていた。これで受かろうと思っているからおめでたい。油断を通り越している。


噂によれば採用試験のために大学と予備校を往復したり(!)、一年がかりで通信教育を受ける強者もいる。地道に日常の隙間を縫って独学する者もいる。


みみずくは、山勘と短期記憶を駆使し、(二時間の筆記と論文試験に)、一夜漬けで臨もうとしている。


もしかしたらこうして一年、一年、遅れて行くかもしれない。


甘い考えかもしれないが、しかし遅れれば遅れるほど、別の世の中を垣間見ることもできる。それに教育も福祉も人対人の仕事と捉えれば共通点も多いように思う。自分の力を、人生の「後輩」か、「大先輩」に捧げるかの違いだ。


焦燥が、毎夜悪夢に表れる。抑鬱が波のように押し寄せる。


それでも、ちゃんと根付いている。だから後悔はしない。

七夕の夜

2009年7月7日

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乱れた文字で書かれた「資料」を見ると、その人の連れは死んだらしい。。


自らの心を、固い殻で覆い守るかのように、(老いたる身ゆえの)視界の淀みが、連れの幻を、みせる。白い、まぼろし。幻覚。


夕餉の支度のころ、小さな童が2人いる、連れも、近くにいるという。連れが口をきかないけれど、暗くなるまでに一緒に帰りたいという。


人間の五感が知覚できるのは 自然科学でわかっているだけの(数値で表せる現象の、あるいは波長の)、さらにそのまた一部だとすると、あながち幻覚が幻といいきれるのかみみずくはわからなくなる。脳の萎縮が、すべての機能の低下を意味すると……いいきれるのか。


本当のことは言えない。といって場あたりの嘘をつくこともはばかる。生活を支え、養護するのが、いまのみみずく仕事。安給料でも、契約でも派遣でも臨時でもなんでも、責任はかわらない。


誰の脳の機能も心臓の鼓動も、すべての臓器細胞もいずれは衰え、やがて死ぬ。恒久的に消える。生きている人でそれを経験した人はいないのだから、若輩者のみみずくは、体の一部になったり、話を聴いて差し上げることしかできない。

仕事雑記

2009年7月4日

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体と頭が少しずつ、仕事に適応してきたように思う。


ただ、1日数回、まるでフリーズしたかのように思考が停止する瞬間がある。情報がおおすきて、回線がダウンしてしまうような……


例えば転倒のリスクが高い方の介助は、一秒目を離すと、それが命とりになるる。一人で仕事をしながら複数人を見守るのは、かなり神経を張り詰めさせる。

また職場特有の人間関係もこれまたむつかしい。<注意>と<叱責>のことばしか発しない<怖い>上司がいたりすると、自分の不足を改めるのにはいいが、行き過ぎるとささいな失敗が怖くなる。そして仕事の基準がその上司のご機嫌にそうようになってしまったら、それはもう意味のある労働とは言い難い。


どんな仕事も始めは素人なのだから先輩のすべてのことばを受けいれるべきなのだが、やがてその矛盾や、自分の意見と食い違いを見つける、それを建設的に表にだせるか?


無益な争い諍いを嫌うみみずくは「頭を下げて秀吉になるのが長期的にみて得策か」などと腹黒いことを考える。そう考えたほうが精神衛生上よい。


今日の時点でみみずくが内心思うこと。


・「叱るのは、人に嫌われるから、誉めるより難しい」とは限らない。


・「叱る」ことも「誉める」ことも一長一短あり。

・叱られるのは、気分のよいものではない。(…当たり前か)


・熟練にもある欠点=熟練ほど失敗は少ないが、熟練ほど視野が広くなるが、死角に気づきにくい。


・素人にもある利点=視野は狭いが、見えている角度については、慎重になる。失敗も多いが。


・人の成長は反省をしなくなった時点で停止する。


・他人の悪口・不満をその人のいないところでいいふらす人は信用しにくい。本人の前でいうのは潔いが、火花は多少散る。

*以上のことは、自分も含めて誰しもにあてはまると思う。


・介護は、自分が将来介護されることの前だおし。


・記憶を失うことは本人にとって計りしれない不安である。が、自らを守るためにも働く。


・短命=不幸とは限らない。長寿=幸福とも限らない。


・人の尊厳は、どんなことがあっても失わない。

・「花を生ける」というすなわち「花を枯らす」。たとえそれが美であっても個人的には野に咲く自然の花のほうが好きだ。野花は種になるが生け花は、枯れて終わりである。花は自然科学的にいえば人間のために咲くとは言えない。子孫をのこすためだ。

オカリナ

2009年7月2日

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仕事場にオカリナをもっていったのが役にたった。


夕方の調理の間、「うちに帰る」「娘が心配」と 不穏がのしかかった部屋。みみずくも、調理を間違え、少しいらいらしていた。なだめすかし、つまりは嘘をつくことはいくらでもできるかもしれない……


思いだしてオカリナを吹いてみた。


「ゆうやけこやけ」
「ふるさと」
「なだそうそう」
「君が代」
「茶つみ」
「おぼろ月夜」


みみずくがここに少し似た、自分の意思では外に出られなぬ鳥かごのなかにいたとき吹いていた曲を、吹いてみた。金網の張り巡らされた屋上。そこから北西の空に飯綱という信州の名山が見えた。


一緒にくちずさんでくださる人たちをみて、あのときのことは、まったく無駄なことじゃなかったと思える。七十歳も年が離れても、共有できる文化があるということ。日本という国の文化に自然と感謝の念を抱く。

髪を白くし、腰をまるめて、自分の子どもの名前すら忘れて……


やがてみみずくもたどるであろう道を先に歩む先輩たちに、自分にあるすべての善きものを捧げたい。


明日からも、精一杯やらなくちゃ。

福祉の現場の活気

2009年6月29日

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現場で介護・家事援助にあたっている職員は、子育てもひと段落、あるいはだいぶまえにおわった女性が多い。


ことばは悪いか元気のよいおばちゃんである。冗談をとばしまくり、とにかく強い。なんでもでき、たいていのことはわかっている。


みみずくは経験の浅いひよっこで、頻繁に失敗をする。昼食の焼きそばを作っていたら「こんなのじゃ関西人に殺されるよ」といわれ、本当に殺される思いがした。


管理職から経験が浅い新入りだからこそ見える欠点があるといわれるが、とてもみつからないし、あったとしてもみみずくには口にできない雰囲気である。


入居者の一人がみみずくにぼそっと「あまり勢いがあるのもね……」と漏らし、味方を得た気がした。活気がないのは困るがありすぎると周りがつかれる。鬱病患者がテレビでお笑いなんかが流れていると死にたくなるのと似ていはしないか。
老いてなお求めるのは活気ではなく、平穏ではないか。


自分の足りないところは素直に認める。それでもなお、意見があるのだとしたら、それは伝えるべきだと自分に言い聞かせ、ため息をつく。


お腹がいたい。

久しぶりの夢の話2

2009年6月24日

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今日の夢は「教員採用の筆記試験」であった。


みみずくは、一番右奥の薄くらい机。

問題用紙が配られる。


開始直前になって、やっと試験監督が用紙をもってきた。バケツいっぱい分の乱雑な書類の山を渡される。


み「え……なんで?」


試験がはじまる。周囲の受験者は猛スピードで鉛筆を走らせる。みみずくは、書類の山をかき分け、一問目を探すが、みつからない。


焦りが頂点に達したころ、やっと問題用紙らしき紙を発見。


み「……9次関数……多次元ベクトル……洗濯機数と漂白剤の関係を数式で表せ……なんじゃそりゃああー」


ああ……きっとこれは受験者を惑わす、いじわる問題だ。飛ばせ。


次の問題は文章題だった。しかし1日かかっても、読み切れなさそうな分量。

み「悪夢だ!  これはなにかの間違いだ、さもなくば間違いのなにかだ


時間はもはや終わりに近づき、ほかの受験者は、もうときおわったのか、別の会場にいってしまった。


試験監督「そんな問題も解けないんですか」


み「……」

     * * *

夢は現実とごっちゃになって、なにをか知らしめる。

久しぶりの夢の話

2009年6月23日

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夢は精神衛生上のバロメーターだとしたら、今朝みた夢は まさにレッドゾーンだった。以下、夢の話。

大人たちがみみずくを囲んで、なにか怖いことをされている。罵っているように聞こえる。気がつくとガラスと血があたりいちめんに飛散している。誰もいない空きビルの一室。からだ中にガラスが突き刺さっていて痛い。どうやら僕は暴れたようだった。次に僕は<生まれたばかりの赤ん坊>を盗んできて窓から放り出す。要するに殺してしまった。しばらくして電話が鳴った。その子を生んだ母親からだった。「子どもがいなくなって心配だ」といった。自責の念で死のうと思い、エレベーターに乗って屋上を目指した。二十二階でエレベーターは停止した。故障したのだろうか。急に死ぬことが怖くなって、狭い箱の中でガタガタ震えだす。狂った己の頭のほんの一握りの理性も消え果てた。その時、どこからか「どんなことがあっても死んではだめだ」という声が聞こえた。

……ホラー映画作家にでもなれそうな内容だ。せめて夢のなかくらいゆっくりさせてほしいのに……スティーブンキングは毎晩こんな夢をみてるんだろうか。


神様、平穏が来ますように、そう願いつつ、いまから寝る。

畑ちがい

2009年6月21日

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黙秘義務があるから仕事場のことを書くときは、気をつけないといけない。けれども書きたいことがたくさんある。これから書ことは、実在ではなく、「仮に」ということで書かせていただきます。現実に起こったことではありません。


今日で四日目の仕事場。介護の技術はまったくの素人のみみずく。


仕事場の先輩「君、大学、何学部だったの?」


みみずく「…教育学です」


先「あ〜、ダメだ。教育なんて、人を'教える'人間が介護なんて」


み「……」

思わず、「はい!」と答えそうになる。確かに、たかだか四年の教育学部生は、福祉の世界にいきなり飛びこんできて、心がまえも技術という点もまるで、通用しない。たとえ「ケプラーの楕円軌道」を数式にあらわせても、おむつは簡単に変えられない。


たとえ「ゆとり教育」ついて一時間言えても、ゆとりをもって、からだを移動させることはできない。


畑ちがいの人間。


みみずくは叱られると気落ちはするほうだ。自慢ではなく小さなとき、誉められてばかりで育ったから。


けれど、いつもより引きずらない気もする。


根っこは違っても、お日様に向かって生えるのは同じ!


と自分にいいきかせ明日も頑張りたい。

「明日の記憶」

2009年6月19日

昨晩、映画を立て続けに二本、観た。ユングの共時性は科学的には立証されていないけれども、適当に選んで借りてきた映画が二本とも、みみずくのいまの大きな疑問と重なった。

それは「記憶の喪失」という問題。

1 アルツハイマー病になって、次第に現実から乖離してゆく妻を殺害した刑事。その真の理由を探ってゆく物語。記憶を失うことは魂が滅ぶことなのか……『半落ち』


2 大企業企業戦士がある日、もの忘れが激しくなり、それから少しずつ記憶を失っていく姿があまりにも辛い。けれども……『明日の記憶』


みみずく、珍しく、誰かに観てほしいと思った。でもうまく言えない。ぜひ観てください!


映画というフィクションではあるけれど、ふたつの作品とも、誰しもが直面する大切な問題を抽出している。人間の肉体は生まれて十数年成長し、あとは衰退してゆく。医学はそれを遅らせることはできても、止めることはできない。それを自覚することで、もう一度、自分の価値観を見直せるのではないか。

記憶を失うこと、いいかえれば脳が萎縮していくこと、その人の尊厳が消えていくこととは違う。

心臓が止まること、脳が死ぬこと、いまちょうど盛んに議論されていることだが、それはあくまで人間の作りだす基準に過ぎない。だから不確実だ。


確かなことは、人は死んでも、時に生きているときと違ったかたちで、またはそれ以上の影響を世界に与えるということだと思う。今日の自分のたったひとつの〈ことば〉でも、世界は変わる。たとえそれが目に見えない僅かにであっても、明日の世界は変わる。

写真は『明日の記憶』から 現実から乖離しはじめた主人公が、自らの意識と意志で、入所施設に訪れたところ。

植物も人間も

2009年6月16日

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朝、庭のトマトとジャガイモ、マメたちに話かける。その時、うっかり一本を折ってしまった。


昨日今日と9時間働いて笑って、走って、怒られれて、へなへなになって夕方戻ると、なんと!折れたトマトが再生してくっついていた。


み「なんともはや…」


生きるのに必死な姿をみて、負けられないと思う。

入社とタヌキ

2009年6月15日

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健康診断で心電図に「所見あり」だったためか、施設の上司に再度面接のため呼ばれた。


念のため朝いちばんで、もう一度、内科にいく。右心房かどこかを流れる電流が遅いのだという。よくわからないが、みみずくの鼓動は、人類のそれとちがう、波形なのかもしれぬ。心臓に関して 情報を得た得たみみずくは、万全を期したと思い、面接に行った。


しかし勘違いしていた。一時間ちかい面接でわかったのは、この法人が要非常勤といえど採用に慎重だということ。


社としての、介護の姿勢や理念も伝えられ、そして、みみずくの精神面を仕事をする上で、差し支えがないか非常に気にしていた。


「とにかく、3ヶ月の雇用で、適性をみます。」

み「誠心誠意頑張ってみます。しかしながら意に添えず、役立たなかったら、いつでもクビにしてください!」

こんなことをいう労働者はどうかとあとから思ったが、とにかくこんどこそ採用になった。

さて、夜、家族が寝静まってから裏庭にでて、いつものように天国の人たちに、報告していると、突然、それに答えるかのようにいるはずのないタヌキ(!)が近づいてきた。


よく、人生の節目の時に、みみずくはいるはずのない珍しい動物をみることがある。


明日からどうなるか。タヌキはクンクン鼻をならして、なにもしゃへらずどこかへ消えていった。

蟻のお葬式 逗子の海

2009年6月13日

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図書館の中庭で、学習指導要領の文章とにらめっこをして一時間。


こういった法律の文章は固い。固い文章は、記憶に残らない。何の味わいも、書き手の表情も見えないからだ。ましてや目的が試験対策の暗記となってしまうと、それは火星語と書かれているとしか思えない。


だれもが納得しそうな理念に紛れ、国家の戦略や経済界の企てのようなものが透けて見えるような気もする。 (最近、言い訳ばかりのみみずく・・・)


気がつけば目線は、〈膝元の文字の羅列〉から、〈足元の蟻の行列〉にうつっていた。


君たちは、何もしらない僕ら人間に踏み潰されて死んだ仲間を、一生懸命、本当に一生懸命、巣に運んでいるね。


それは、悲しい虫たちの葬列。

あ、いかん。このままでは来月の試験に受からず、こちらが社会に踏み潰され、くたばってしまう。すでに30日をきり、もはや手遅れともいえるか。

だけれど、今日はずっと昔住んだ、逗子の海を見にいった。すこし元気。

肺に影 頭に靄

2009年6月12日

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親不孝になりたいなんていっていた自分……いちばんの親不孝は親より先に逝くこと。


今日は朝はやくから健康診断の結果をもらいにいった。普段は能弁な内科医だが…。


内科医「血液検査その外は全く問題ないんですが……」


みみずく「やっぱり、ここですか?(頭をさす)」


み「あ、その、パキシルなんて劇薬を毎日飲んでるので……」


内科医みみずくの言葉を遮り、おもむろにレントゲン写真を取り出した。

内「はっきりいいます。ここに影があります、大丈夫だとは思うんですが、レントゲンだけはどうも……紹介状を書きます」


内「そこで改めてCTで精密に調べてもらって下さい」


み「(肺に影……再検査……煙草……肺ガン……余命……)」


じつは一年前、長野で入院したとき、やはり同じところに影があり、半年後に再検査を受けるよう指示されていたのを思い出した。


この日、ある男がカブにまたがり、レントゲン写真を抱えて、市内のべ4カ所の病院をさ迷った。診察費もなくなり、悲壮な顔はまさに病人であった。


結果は忘れた。
誰しも、一年先、いや、明日生きているのかだって不確定なのだ。

今日の夕方から施設で働く。

両親のとの口論

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父母に、施設で働くための保証人の印を押してもらう。


その間小言、文句、を絶え間なく言われる。そんなにだめ人間なんだろうか。そんなに家族に迷惑かけているのだろうか。まるで「価値のない人間は死ね」と言われているかのように聞こえた。なんでここにいる?
ともいわれた。


苛立ちがつのる。やるせなさも募る。けれども黙っている。印を押してもらわないと施設ではたらけない。


親には主に資金面(!)でこれまでずっと支えられてきているけれど、その分、束縛も受けている。


距離をおきたかった。だから長野に四年間いた。なのに不本意に帰ってきてしまった。


まだ自立できないことが、苦しい。


親不孝になりたい。

みみずくの信仰と宗教

2009年6月10日

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昨日の朝刊でふと目に留まった記事があった。


この五年間でタイからの独立を求めるイスラム過激派が、教職員を100人以上殺害しているという。今年もすでに5人が銃殺されており、現地では軍が教職員の通勤に護衛をつけるという非常事態が続いている。公立学校も二百以上放火された。


タイは仏教従が95%を占めるが、マレーシア付近の数県では、イスラム教徒がほとんどを占め、子どもたちに仏教の価値観を教える教師が過激派に敵対視されているのだ。

一方ではこんな記事も。長野県では有名だがラブホテルには謎の看板「宇宙なんとか学会」というのがある……要するに、宗教のお布施ということで収益を得て、脱税しているのである。ラブホテルと宇宙と、何の関係があるんじゃ。


神は存在しない。少なくとも人間のためには。
殺人の為に、私利私欲の為に宗教がある。


嘘だ。神など存在しない。少なくとも人間の思い描くような。


みみずくは、じつは信仰をもっている。それは科学だ。科学は科学でも核兵器を作るような応用科学ではない。森羅万象を探求する自然科学だ。


日本人は治安が悪いようで世界と比較すると、まだいいほうだ。監視国家のなかで国民は平和ボケしている。戦争や飢餓、災害、疫病の危機は間近にある。


みみずくの信じる「宗教」つまり自然科学の探求のさきに「神」がいるのだとしたら、「神」は間違いなく人間に天罰をくだす。迷惑なのは動物たち、外の生き物たちだ.

平穏な幸せ、と今週末からの仕事について

2009年6月8日

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歩いてもだめ、泳いでもだめ、呪文「寝るより楽はなかりけり」を呟いてもだめ……あげくの果ては寮の屋上から飛び降りる夢なんかもみた。しかも五階から落ちたのに、ちゃんと生きていた。


躁鬱病の北杜夫は娘との対談でそんなときは「ただじっとしていなさい」といっていた。確かにそれがいちばんなのだと思う。布団のなかでダンゴ虫みたいに丸くなってひたすら、じっとしている。何時間も。トイレくらいいくけれど。


そんなこんなで2、3日、寝ても覚めてもぐったり病んでいたが、いまは、こころ穏やか。


なぜ?


波がある。


あまりに苦しいばっかりに(自分でいうのはなんだが苦しいのは苦しいのだ…)、逆にいまのような静かなとき、言葉にできない幸福を感じる。ただ生きていて、明日があることだけが、なによりもありかたいことに気づく。これ以上なにもいらないと思う。ただ、少し考えなおして、「このまま平穏が続けばいいのに」と思う。


今週末から町外れのグループホームで働けることになった。どんな場所か、まだわからない。認知症をもつ福祉施設であるらしい。いまのところ役たたずの「小学校教員免許」はあるけれど「ヘルパー」の資格はない。うっかり募集要項を見落としたおばかさんは、そのままのこのこ面接にいった。


けれども面接でその日のうちに採用になってしまった。


出来る限り頑張る。施設の人の為に、そして自分の為に。

自殺を責めることより大切なこと

2009年6月6日

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問題が頭のなかでごちゃ混ぜに押し寄せてきて、それに対処できず、いま…昔もらった頓服薬を一気に三倍飲んでしまった。衝動がおさえられなかった…情けなくて悔しくて、なにより心臓がえぐられるように重くて…


「明日生きたくても生きれないひとがいる。だから自殺なんてもってのほか」という話がよくある。信じない。


誰だって本当は生きたい。けれどもなかにはいま、そしてこれからも続くであろう苦痛に耐えきれず、家族や多くの人に迷惑をかけ、悲しみを与えてしまうのを承知で自殺する人がいる……だれがその人を責めることができよう?


どんな形であっても自殺してしまった人を責めることは、僕にはできない。他者を責めるほど余裕のある人は、そのぶん、まわりの誰かの苦痛に気がつくべきだ。


以前は酷かったけれどたまに揺れもどる夜がある。けれども大丈夫だから…大丈夫だから…大丈夫だから!


亡くなった人の果たせなかったことを叶えるまでは月夜のみみずく、踏んでも蹴られてもしぶとく生きてやる! 何が何でも。

小さな森のコンサート

2009年5月31日

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「小さな森のコンサート」に参加。山梨県の授産園や作業所の人たちが集まり、お店を出したり、コンサートをしたりして一日を過ごします。

大学一年のときに先輩の紹介でいき、四年ぶりの参加となりました。

カンボジアの子どもたち

2009年5月27日

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図書館でほんとうに何気なく手にとった写真集。


遠藤俊介著 「カンボジアの子どもたち」


夜中にふと取り出し、気がつけば写真に写る子どもたちの輝く瞳に吸い込まれるように、無心で読んでいた。なんて生き生きとしているんだろう……


どんな人が撮ったのだろうと想像していたら、最後の写真に 「子どもたちと私」と題して、若い青年の姿があった。


下に小さな字で、2007年7月、この本を手に取った三日後に急逝されたとあった。白血病とのことだった・・・


こころが洗われる、宝石のような写真集だ。

著者のブログ http://enen.exblog.jp/

自分自身の変化

2009年5月25日

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僕は医師ではないので、自分に診断をくだせないのだが、ふと目に留まった新聞記事があった。

「否定型うつ病」
……なんでも「病気」にしたてて商売にしてしまう昨今だが、実はかなりの部分、みみずくに当てはまることがあったのであながち見過ごせなかった。


「否定型」は従来の生真面目な性格な人がかかりやすいタイプのうつ病とは、症状がだいぶ異なる。


いちばんの特徴は「普段は抑鬱だが、楽しいこと、興味があるときは、気分が明るくなること」
極端なことをいえば、病気を言い訳に会社を休んでゲームに熱中したり海外旅行にいったりすることが可能なのである。はたからみればとんでもない人間である。

みみずくが思うに、「甘え」と「病気」が混雑してわからなくなった状態であろうか。深刻な時は辛いが(病的に)、休もうといいきかせているうちに「怠け」「堕落」していってしまうのかもしれぬ。


特徴はこんな感じであった。()は従来のうつ病


●二十代から三十代の女性に多い(←キャリアを積んだ比較的年配の人が目立つ)

●性格的に、人目を気にする(←生真面目、努力家)

●夕方にかけて気分が重くなる(←朝がいちばん辛い)

●十時間をこす過眠(←不眠)

みみずくは、医師の診断で「従来型のうつ病」とされ、一年以上の投薬を続けている。発症当時の診断は正しかった。不眠・抑鬱・自殺願望・無気力・自傷すべてあった。


しかしいまは「不定型」に近いような気がするのだ。「甘え」だなと思うときがある。平常は抑鬱だが、時々(友人といるときは)あからさまにテンションの高いおばか人間になる。

これはもう、一人の人間の個性といえるほど、僕は回復しているのではないだろうかと思えるときもある。

百万円

2009年5月23日

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百万円たまるごとに、その街を出てゆく女の物語(映画)があったが、みみずく、いまのバイト(墓守)では当分のあいだ百万円たまりそうにないので、次なる仕事を探すことに。


近所でピンときたのは寿司の配達と、高齢者福祉施設……


来月あたまに面接を受けにいく。


はやく実家からでていかないと家族には申し訳ないが、いっそう不安定になる気がする。

夢の話・薬の話

2009年5月16日

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焼きそばを売るバイトがあると、先輩から誘われた。電車で現地に向かう。


公園につくと、そこにはヤクザの一団がいた。組長らしき男が、なにか訓話をしていた。


焼きそばを彼らに売る。1日の報酬として、ひとりずつ二万円もらった。先輩はヤクザから六十万円もらったが、これは危険な仕事で、責任があるから、自分のものだといった。


ちなみに「焼きそば」とは麻薬とか覚醒剤とかの隠語ではなく、文字通り、焼きそばであった。


よのなか、焼きそばをこんなに高く買うバカがいるんだと思いつつ、みみずくは電車にのった。


一人ぐらしの祖母の家にいくと、なぜか小学校四年生くらいの女の子がいた。実に悲しい顔をしている。


聞けば仲良しだった姉が亡くなったのだという。

みみずくはいう。
「大丈夫だよ、お姉さんはこうして生きてるよ、ほら連れてきた」


ふところにしまっていたハムスターを手のひらの上に出す。


その子に安堵の表情……しかし、たちどころにハムスターはちりちりバラバラになり死んでしまった。


女の子は力つきたような顔をして寝てしまった。

以上、脈絡の不明な夢の話。今日はほかにも何種類もの夢をみた。


* * * * *


夕方病院にいった。半年ぶりに薬を増やしてもらった。レキソタンの二ミリ、1日二錠。レキソタンは、抗不安薬で、抗鬱薬と違い、即効性がある。入院していたときに、発狂したら、オレンジ色の五ミリ錠を飲まされ、眠らされていた。


現在1日に、パキシル3錠、テシプール4錠、レキソタン2を二錠。眠いはずだ。


医師に「誰しもがもつ現実な不安もあるが、それだけでは説明のつかない、理由のわからない心の苦しさや重さが周期的に訪れて辛い」「もう一年以上たったが、これが鬱病なのかただの怠けなのかわからなくなった」といったら、増薬となった。


以前、テレビで「リタリン」という向精神薬の中毒になって、支離滅裂なコトバを話す精神科医をみた。即効性のある精神の薬は一種の麻薬である。


使い方を誤まれば実に怖いが、レキソタンを飲むと、一時的に苦痛が和らぐ。


薬局で薬をもらうとき、薬剤師の人が、実は自分も六年苦しんで、いまは立ち直ったが薬を飲み続けている、といっていた。根治ではなく、この頭の病気とうまく付き合えるようになったといっていた。


みみずくは鬱病に限っていえば薬が問題を解決するとは思っていない。むしろ依存させることで、製薬会社が巨大な利益を得ている面もあると疑う。しかし、現実に薬が多くの人を助けるのもわかる。

けれども 逃れてばかりはいられない

2009年5月14日

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けれども。


嫌なこと困難なことから逃れたいという気持ちが、絶対にある。この3日間、事実として、逃れている。睡眠に逃避している。


莫大な、暗記すべき資料を前に、恐れおののいている。


「寝るより楽はなかりけり」の呪文は、頓服薬、という結論に達した。


また、今日から少しずつ頑張ろう。

あなたにこのコトバをおくろう

2009年5月13日

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薬より効くおまじない。


いま 寝ていられるのは 神の恩寵。


本当に必要な時は、僕だって必死に働ける。いまはその時期じゃないんだ。

最低人間の生態

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朝7時起床。
父と兄の出社を見送るともなしに見送る。


10分後。
「だるい、体が鉛のように重い……」
再び就寝。


10時。
母はパートへ、祖母はデイサービスへ。


家はみみずく一人。


昼。
おもむろに起き出し、庭のみみずコンポストの様子を見に行く。タバコをふかしながら、みみずをじっと見つめ、土に潜っていったのを認めると、自分も布団に潜こむ。


2時、母帰宅。
みみずく、「いかん、図書館に行って勉強してくる!」


図書館でもやる気をおこさず。無脊椎動物みみずの生態を調べ、ダーウィンが晩年に研究していたことを知る。納豆菌についても少し研究する。

4時。
結局、参考書はひらかずに、あきらめて帰宅。


5時。
「今日はだめだ、気分が重い」帰宅した祖母に宣言し、玉ねぎとジャガイモをきざみ、就寝。皮はみみずに与えた。


我が家の寄生虫……


自己嫌悪。


明日は病院にいく。自分が病気なのか、怠け者なのかわからない。


ただひとつ言えること、気持ちがしんどい。

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なんと少女趣味的な絵……。1日たって描いたイラストをみて愕然とする。

僕は前世は女だったんじゃなかろうか……


南米かどこかの国の女の子(描いているうちに)が、動物たちに囲まれて天使のごとき微笑みを浮かべている。


こりゃいくらなんでも、僕の絵とはいえない。


封印。

弱音を吐いて強くなれ

2009年5月12日

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人間ってすごく勝手だよね。さっきまでネスカフェがまずいだの下らないこといっていたくせに、絵を描いていたら、しまいには昔のことを思い出して、写真などを取り出して取り返しのつかないことの多さに、泣き出してしまった。


ハタチこしたヤロウが一人部屋でしくしく泣いておる。おまえは没落しかけた平安末期の貴族か。

つっこめ


つっこめ


ささいな感情でも吐き出せ。弱音や泣きごともぜんぶぜんぶ。他人や世界の不幸と大小を比較してもしょうがない。これは自分が乗りこえるべき問題だから。


取り残されるような孤独。生存ということの虚しさ。それは誰しも、生きている以上耐えなければならない。


みみずくも同じ。己の弱さを知れ、そして強くなれ。

天の声が聞こえる瞬間

2009年5月11日

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インスタントコーヒーをかき混ぜる……


とびっきりまずいネスカフェのインスタントコーヒーをかき混ぜる……


ネスレのために弁解するとね……僕が入れるとまずくなるんだよ、不思議だね。


ぐるぐると泡がまわっている……


ぐるぐるぐる…

そうだ……大切な人に
絵を描いておくろう

激動の乱世を泳ぎきるために

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市営プールにいった。
「リネツ金沢」金沢区の海に面した室内温水プールで、親が公務員なので割引が適用される。


このプールは焼却炉の熱を利用しているので温水だ。休日ということでちっちゃい子どもや、メタボぎみの中年さんのあいだをかき分け、泳ぐ泳ぐ。


泳ぐ泳ぐ。


泳げないが、なんとか泳ぐ。泳げないと小学校教師にはなれない。いや、みみずくはそんな試験のために泳ぐのではない。そんなこさかしい人間ではない。


いずれ地球温暖化で、我が町は水没する可能性があるから、そのための準備をしているのである。


自分はイルカになったつもりだが、はたから見れば溺れている人だったかもしれぬ。

海面上昇までには時間がある。努力だ。

侮蔑と抑圧の社会3

2009年5月6日

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そうして頭を抱え、いま冷静になって考える。


みみずくの心には次のようなことがあった。


「障害者だからしかたがない」


正直を申せば重度の精神障害は、もはや自分で自分の行動を社会的規範のうちに留めておくのは非常に困難なことだと思う。精神は人間を支配する。僕自身、薬を止めれば何をしでかすかわからない。乗客を省みず走る電車のなかで逆立ちをしたことなんかもあった。


おばさんは、「あなたも大人でしょ?高校生が勉強をしてるのだから、しつこく話しかけるのはよしなさい」と叱っていた。


それですむ、実に日常的な話なのだ。


高校生は許せないが、みみずくこそ大いなる偏見をもっていたことに気づいた。

侮蔑と抑圧の社会2

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アルバイト店員は、本当に警察をよびにいくそぶりをして、ひとまず警備員を呼びにいったようだ……


で、驚くべきことに、みみずくはどのような行動をとったか!


天よ神よ笑うがいい、みみずくは固まってしまったのである。つまり関わらないように他人様のふりをした!


とうに母校の名は汚れた、いやそんな下らないことはこの際どうでもよろしかろう。人間として、恥ずかしい……


仲裁に入って、話かけるだけでもいい。それだけで事態は穏やかなものになろう。万一事態が悪化しそうなら、その男性かあるいは高校生を別の場所に連れていけばいい。

男性から障害者手帳を見せてもらえば、身元保証人の連絡先も書いてあるかもしれない。とるべき行動はあったはずなのに。


そもそも障害云々ではないだろうよ。人が人から手ひどい攻撃的言動を浴びているのだ。


その事態を見て見ぬふりをした。勇気がないばかりに。


あああああ。


結局、別のおばさんがやってきて、男性はたしなめられたあと、去っていった。


傍観者が、侮蔑の社会を許している。

侮蔑と抑圧の社会1

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すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において差別されない。(日本国憲法十四条)


法のもとならば、少なくとも、である。実社会では、人間は醜いほどまで他者を侮蔑し、罵り笑う。


今日は、採用試験の情報を落とすために、無線LANがつながる、とあるショッピングセンターのファストフード店にいた。

近くに 集団で席をとっていた高校生が、中年の男を罵っていた。


高校生「うぜえんだよ、きもいよ」
「消えろっていってんだよ、しね、きちがい」


罵詈雑言とはこのことだ。

みみずく「あ?」


最初自分に向かって話してるのかと思い、いちおうてめえの高校生よりはオツムのいい元男子高生の意地を見せつけるべく、格好だけでもぶん殴ってやろうかといきり立ったみみずく。そうでなきゃ母校の名がすたるというもの……がしかし、


みみずく「……いやちがう……このおっさんにいってるんだ」


中年の男性がニコニコしながら、高校生たちに話かけている。話の脈絡がない。精神に何かしらの障害をもった人だと、わかった。


精神病院に隔離されていた経験がない人でもわかる。


アルバイト店員が異常をさっしてあいだにはいる。しかし、中立ではなく罵詈雑言をはいている高校生をかばい、男性にむかって「警察を呼びますよ」

カナダ

2009年5月1日

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カナダは南半球であるから、ウィルスの活性化する(日本の季節でいえば)秋から冬にあたるし、また検疫体制が甘かった4月25日に高校生が帰国した点を鑑みれば、季節性のインフルエンザA香港型である可能性がまだ高いとみみずくは思う。

これがもし、はるかに死亡率の高い、予期された懸念されていた鳥インフルエンザでなかったのが幸いだ。その準備をしておけという、天の掲示かもしれない。


おごれるものは久しからず。

深夜ラジオの速報ニュース その2

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舛添大臣「明け方国民のみなさまがお目覚めになったとき…」


ああ、そうか……こんな時間、一般の国民は寝てるんだ。


ラジオから聞こえるのは記者から飛び出かう質問。大臣が「時間が時間なので…」と切り上げようとしているのを記者が質問で制している。こんな時間、働いている人たちがいる。明日の朝のニュースのため、夕刊に載せるため……


簡易検査の次になるPCRでは検査が不能とのこと。

深夜ラジオの速報ニュース

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ラジオをふとつけると新型インフルエンザの速報ニュースで、横浜市の17歳の高校生が感染の疑いあり、とのこと。深夜に厚生労働大臣が記者会見という珍しい事態になっている。


高校生はカナダブリティッシュコロンビアへ修学旅行にいっていたとのこと。


新型が季節性かの判断はしばらく時間がかかるという。


世の中が騒がしくなってきた。

試験なんてまったく世の中から消えてしまえばいいのに! その2

2009年4月29日

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……かのルソーもこういっているではないか。


〈自然が子どもの脳を柔軟に作ったのは、王様の名前だとか、年代日付などのおよそ将来に役に立たない言葉を刻みつけるためではない〉


〈その子どもの性質と能力とにあった方法で、一生のあいだ自らを導いてゆかせるためなのだ〉、と。


ルソーの言葉も、毎年多くの都道府県が出題されている。


次のは、かの月夜のみみずくのパロディ。


〈神あるいは自然があたえたもうた、みみずくの柔軟な頭は、 あなたの、およそ将来に役に立たない言葉を一字一句丸暗記するためではない〉


付言すると、〈少なくとも、昔の格言を生かせるほどまでに、私の生活は、充実していないのだ〉

いずれこの言葉は、どこかの国の採用試験に出るかもしれぬ。

試験なんてまったく世の中から消えてしまえばいいのに!

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大学受験で「さんどのめしをわすれて覚えた」ことの大半を忘れたいま、また、大学の全ての試験を一夜漬けで突破した(できなかったのもちょっぴりあるが)、みみずくは試験をばかにしていた。


試験など、その実に半数は目的のはっきりしない実にくだらないものだ。権力者・為政者がそうでないものをいじめるためにあるといえる。みみずくも権力を握ったら、試験を使って、子どもたちをいじめるだろう。実に陰湿に。


「ふはは。そんな態度だと、次の試験で落としてやる。キミの将来はわしの一存にかかっとおるのだからな」


権力を握りしめた人間は例外なくだめ人間になる。


……だから、この1ヶ月、教員採用試験のための勉強を、正直いうと仕方なくやっていた。だいいち、知識偏重から脱しようとしている教育界の流れに、この試験はまっこうから反している。(もちろん、問題がするする解けてしまえばこんなことは言わない)

かといっていわゆるいま流行りの「人物重視」も困る。小生、これといって自慢できるほど人物性はもちあわせない。(……みみずくは謙虚だから?……それはない)


だったらあきらめめて、ガチ勉すればよいものの、そうはいかぬが人間である。日々寝てばかり。

はっきり言ってしまおう。「月夜のみみずくは、神○川県、○浜市教育委員会が望んでいる人間とは、まったく相反するので、採用はしないほうがよいと、じつは本人が思っています」

あー 神様は なんでこんなくだらない人間を生かしてるんだろう。

神々と哲学者の対話

2009年4月25日

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神様:「はい、じゃあ、あなたはそうやって言い訳ばかりしてこれからも生きるのね」


哲学者「言い訳をしない人間はいません。健全な精神を保つために人間は自己弁護をするとフロイトもいっています。言い訳はあなたがた神々が人間にあたえられた能力ではないですか。もちろん神が人間を作ったという前提においてね」


神様「ではいつも困難にたちむかわないの?それは逃げの人生ではないの?」


哲学者「困難は立ち向かうものと誰が決めたのですか?


それは社会的にかたちづくられた美徳、近代資本主義が生み出した幻想、まやかしです。信じる信じないはその人の勝手ですがね。


人生はまさに逃避です。サバンナのシマウマをご覧なさい。ライオンに最初から立ち向かうシマウマはいますか?負けがわかっていて敵陣に突っ込むのは賢明とはいえません。」


神様「では人間はなんのために生きるの?


哲学者「できるだけ楽をして、できれば満腹の状態でぐっすり寝るためです。」


神々「なんていう怠け者!」


哲学者「だってそうでしょう?」


神様「あなたは守るべきひとはいないの?子どものために自らおとりになって犠牲になる親シマウマの気持ちはあなたにはわからない、臆病者!」


哲学者「おっしゃるとおりです。確かに僕にはシマウマの気持ちはわからない。しかしシマウマもできれば、満腹で陽向ぼっこしてせいぜい昼寝をするために生きてるんじゃないですか?」


神様「そんな!」


哲学者「まさか子孫を残すために生きてるなんていいませんよね?」

なんで子孫をのこす必要があるんですか?」


みみずく「老後に自分が世話してもらうため? なんちって、あの、すみません、続けて下さい……」

腐敗と熟成

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祖母の家にいる。この一週間、ぼけー〜っとして過ごした。多分次の一週間もぼけー〜っとして過ごすのだろう。試験勉強は集中できない。募集要項すら、開いて見る気がしない。


なんのために生きてるの?と問われれば、疲れて眠くなるのを待つため、とこたえる。


家族の冷たい目線を感じる。自分は居候以外の何者でもない。


内心かなり焦っている。いまの生活が恥ずかしい。抜けだしたい。


焦れば焦るほど なにごとも空回りする。


開き直れ、この世でなによりも大切なことは「効率」ではなく「無駄」なのだといってきかせろ。

腐敗と熟成は原理的におんなじようなもんだ!!


浮世のばかは起きてはたらく。寝るより楽はなかりけり。


……だいぶ言い訳がうまくなった。

生まれでた直後のこやぎ

2009年4月19日

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命の始まり

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いまさっき、今日の夕方、予想をしていなかった…やぎが産気づいたのだ。


じつに生まれるまで二時間。かたずをのむ命のドラマだった。最終的に逆子の疑いがあり、引っ張りだすことに…


さいごは母やぎの体をしっかりおさえて、目の前で子どもが生まれた。


じつは数時間まえ農作業をしながら死ぬことについて、話をしていた。


出産をみて思ったのは、死はともかく、生まれたということ自体がとてつもない奇跡、幸運、チャンスなのだということ。

たちあがるまで苦労しているこやぎの姿をみて、みみずくは心うごかされた。


無事 育ちますよう。

2009年4月18日

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……やぎも眠れないのか、小屋の方からこつこつと足を鳴らす音がする。

あたりはカエルたちの合唱。ときおり森のなかからフクロウの鳴き声。


落ち着いて考えてみるとは今日はどうでもいいことばかり書いている。まるで無理に気持ちを上向きにしようとしているかのように。じっさい気をまぎらわせているし、それが悪いこととは思わない。そうするしかすべがない。ただなんとなく、こうやってひとり山中の暗闇のなかにいると、ため息がでる。本当にこれでいいのかって。


こんなあてつけなブログでもたまに読んでくれる友だちがいる。先日の夢の記事を読んで、同じことを感じ、そのことをメールで寄せてくれる友人がいた。すごく励みになって、そうして僕はまた明日から元気に生きていける気がする。


一日一日、ひとは誰しも終わりの日まで、足あとをのこしていく。軌跡ともいえる。僕は少なくとも自分が助けられた分、誰かの支えになれるように頑張りたい。そういう軌跡を残していきたい。

夜を徹底して話を聞いてくれたとか、一緒に散歩に出かけてくれたとか、そんなささいなことで
も。頑張らなきゃ。

山中にてひとりテント泊

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いやあ、前に通販で買った念願の石油ランプ(千円)を実戦で使う夜がきた!


ほやがないので針がねで代用。安定したオレンジの光がテントを照らす。

やっぱり安全性を優先させてキャンドルスタンドの方がよかったかなあ…

逗子開成を退職した先生いわく、「テントマニアなの?」


みみずく「?、いえ、信大生は、いつも山ではテント泊ですが何か」


誤解を招く回答であったが。たしかに在学中キャンプでコテージはつかわなかったけれど。


テントは野外泊の目的ではなく手段である。

格闘ののち

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結局、ロープで牽引して引きずりだす。文明の力、一発。

このくそねっこが!!

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一時間ほって、つるはしでばきばきたたいて、しまいにゃてこでもうごかない…

夢の中でも逢えない

2009年4月16日

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僕は雑貨が陳列されたお店の中にいた。展示品に気がとられているあいだ、どうも誰かとはぐれてしまったようだ。


そのときいまは長野県で先生をやっている寮の先輩からメールがあった。「いまKさんが久しぶりにいるから、次のお店を回って来て!ノブキ、会えるよ!」


あれ……Kさんはたしか、去年のいまごろ亡くなったはずじゃ……いぶかりながら僕は鼓動を高めた。


指定された場所をみつけ入る。最初は焼き鳥、四本で八百円とばかに高い。次は製菓店、玉虫色の光輝いたチョコレートを売っている……なんてきれいなんだろう…… 先輩のメールには回るべき場所がいくつも書いてある。なぜかみんな食べものに関するお店。


先輩たちもリストの後ろの店からまわって、そのリストの中の中間で落ち合う手はずだった。


僕が行き着いた先は、しかしどこか学校のグラウンドだった。子どもたちが散らばって遊んでいる。メールをくれた先輩を見つけた。


先輩「おかしいなあ…さっきまで一緒にいたんだけど…」


僕は必死にKさんの姿をさがす……


先輩「いた!」
みみずく「どこ!」


見ると、違うひとだった。僕はひどく落胆して……目が覚める。


……僕は ひどく落胆して目が覚める。一年前、彼女は死んだ。この絵のような幸せな場所にいるはず。


布団をかぶったまま、あたまの中で夢の出来事を反芻する。


なにもかも…


もうなにもかも…

2009年4月12日

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はやいもので横浜ではもうほとんどの桜が散ってしまった。

去年、格子窓からみた横線のはいった桜は、いまごろちょうど満開だっただろうか。あの桜は特別にきれいで、何枚も絵にかいた……。あんな神々しい桜はもう二度みられないかもしれない。


散ってゆくこと、それは自然の摂理ではあるけれど、理屈ではなくやはり耐えがたく淋しいこと。だからこそ愛おしいのかもしれない。


昨晩、去年の桜のことを考えていて、はっとして気づいて自分の周りのことに思いいたって、珍しく自分から友だちを食事に誘った。こちらで就職した 長野の友人。


横浜の街を歩いて。山下公園で海をみて。新しい会社のことなどを聞いていると、やっぱり大変なことも抱えている様子。お互い頑張ろうといって別れた。


みみずくの知らない場所で、新しい生活をはじめた友人たちも、いまの時期を乗り越えられますように。自分もそうなんだけれど。


桜が咲くも散るのも、冬を乗り越えたあと。ひとの生涯にとって本当に冬の時期は もっと年をとってからのことのような気がする。

閲覧してくださっているかたへお知らせ

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みみずくにコメントを下さっている数少ないかたへ、いつもありがとうございます。

4月からインターネット環境にないため、皆さんのコメントを見たりお返事を書くことができなくなりました。

あしからずご了承下さい。みみずくにいってやりたいことがあれば

oyakofukurouーnyoro@ezweb.ne.jp(全て半角です)

までお願いできれば幸いです。


今後とも月夜のみみずくをよろしくお願いします。

欲求階層説にもとずく言い訳説

2009年4月6日

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人間はピラミッド型に低次元の欲求から高次元の欲求があり、したの階層の欲求が満たされることにより次の次元の欲求に移行するという学説(マスロー)がある。

下から

1、生理的欲求

2、安全欲求

3、所属愛情欲求(集団への所属を求めたり、友情や愛情を求めること)

4、自尊欲求(他者から認められたり、責任のある地位を求めること)

5、自己実現欲求(自分の成長や発展の機会を求めることなど)

なんでこんなことを書いたかというと先日、教職に対する情熱が失われているような気がして、目標を見失う不安を感じると書いた。


仕事にまずついて、そこから明らかになる目標もあるということを覚えておきたい。こういった教師になりたい! という明確な象は 採用試験では必要かもしれないが、あまり事前に固定観念化しすぎると、その後、現実とのギャップに柔軟に対応できないと思う。


……などと自分を慰めてみたはよいものの!

様子がおかしい

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ふと気がつけば深夜二時。一問一問時間をかけて満足するまでだらだらやるのが、みみずくの勉強法なので ちっともすすみやせぬ。


寝静まったはずの一軒家。なのに一階からごそごそ音がする。泥棒?


降りてみるとあろうことかみみずくの母が 部屋の中をぐるぐる回っていた。白紙を片手に 「今後の計画!!」などいっている。日本経済がどうで、マネーがどうこういっている。


素人からみてもこれは躁病だ。あるいは耄碌したか。夜寝る暇おしんで異常に活動するのは、「躁」の疑いがある。れっきとした精神の病である。常識の範囲を超え、生活に支障をきたす場合などは特に。


ほっておくと、自信過剰なため株やギャンブルに手を出し破産するという例もあるという。しかし本人は病気であるという自覚がまるでないから、次から次へと新しい事業をはじめ、ますます手におえなくなる。


親を精神病院の閉鎖病棟に閉じこめるのは、忍びない。あんなキッカイな場所はもうこりごりだ。

親子につきまとう呪い。我が家にはキツネがとりついている。

適当、いい加減、甘え、たるみ、油断、堕落、まあいいや

2009年4月5日

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家事、炊事、洗濯、掃除、買い物なにもかも 実質上 その職務の履行もせず、責任も負わず、恣意的に放棄しても、特別罰せられることも、また不自由することもない場所。


かりにそうであっても長居はしたくない、できればしたくない場所。


それが「実家」と思う。ふとどきもの。


必然 やることもない。まだ仕事は見つからぬ。十二分に寝た。さらにまた寝た。


そのあとはどうするか。

試験にむけてほどよく勉強する。


なんと平和な!…


こんな生ぬるい環境にあって、半年後の試験に落ちたら、まるで自分は無能であることがたちどころに立証されてしまう!


仕事をしながら同じ試験に臨む者もいるというに!!!!!!


……ここだけの話、立証してしまうかもしれないな……と思って一人笑った。


あたままで生ぬるい。春の陽気はそれに拍車をかける。次第に腐ってきた。


笑っている場合じゃないが、少なくとも楽な生きかた、サボリかたは前より上手くなった。

神奈川での暮らし

2009年4月2日

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みみずくは実家にもどりました。4月から自立のメドがたつまでここで暮らさせてもらえることになったので……。


大学は半年休学したものの、いろんなひとの力を借りてなんとか卒業することが出来ましたが、残念ながらまだ臨時採用の連絡はきていません。

少なくとも半年はアルバイトと採用試験の勉強をしながら実家に居座るつもりです。5月からは兄もようやく出ていきそうなので、静かになると思います。


うつ病に関してですが、気分の異常な落ち込みとパニック状態は冬くらいからほとんどなくなりました。現在もほぼ半年前と同量の抗うつ薬を飲んでいます。


薬を無断で中断するとおかしくなるので当分は飲みつづけます。徐々にストレスや逆境に強い、柔軟で前向き思考にかえていければと思っていますが、主治医に「あきらめて一生のみつづけなさい」と非常に悲観的かつ楽観的な助言をもらったので、この厄介な病とうまく付き合いながらうまく生きていけたらとも思います。そう思えるくらい余裕が出てきたということです。


うつ病はこころの風邪ではなく、こころの癌……だとしても。


アルコールに関して、去年の今頃は、まさに中毒者、当時は金銭管理までされて一日中家のなかの酒を探していた感じです。病院の消毒液まで飲みました。とにかく、息をしていることさえ苦痛で、薬よりもアルコールの方が楽になれたからです。

苦しさが軽減されるにつれ、まったくではないのですが、さほど飲みたいとも思わなくなりました。秋から春まで一人暮らしにもどっても依存することはありませんでした。いまでもごくたまに友達と付き合いで飲むことはありますが、別に飲まなくても、平気です。あのときは本当に苦しかった。もう二度味わいたくない。


無職というのはいままでの階段つづきできた境遇からすれば、ずいぶん片身が狭い思いですが、自立心は失っていないつもりなので、ときがたてばなんとかなると思います。

いま一番気がかりなのは、自分の教職に対する熱意が以前に比べ冷めつつあることです。目標を見失いつつある自分がこの先、どうなるのかが一番不安です。毎晩悪夢をみます。


いま、この与えられた猶予の期間は、神様がいまいちど考えろといっているのかもしれない。自分はなんのために生まれ、何をすべきなのか。何ができるのか。


この浪人の一年は、自分の人生にとって実はかなり重要な年になる気がします。いや重要な時間にすべきだと思っています。

以上近況報告でした。

こんな風の強い晩

2009年4月1日

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みんなは何をしているのだろう?

長野を離れてゆく……

2009年3月28日

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最後の夜になると思う

2009年3月27日

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夜があけたら、僕はこの住み慣れた あけぼの寮から出なければならない。信州大学教育学部妻科寮……


もうここにはいられない。そんな日がとうとう来てしまった。想像だにしなかった。それがこんなにも嫌なことだなんて。すごく嫌だ。とても笑って別れることはできない。辛くしんどい時間もたくさんあったけれど、いま僕は寮を出たくない。もっともっといろんな人と関わるべきだったのに。それが今年一年できなかった。なぜかできなかった。


明後日から先の見えない夜の大海原に放りだされる。実家にもどるけれどそこはもうすでに自分の居場所ではない。飛びたつとは決して言えない。巣立つ。それがみみずくにとって似合うことば。みみずくはまだろくに飛べない駄鳥の部類だから。


そういえば……いま手元に玉ねぎと、小麦粉と、青のり、何ヶ月も冷凍備蓄していた豚肉の100%脂身が余っている。あとお酢とソースと醤油。これだけで、何が何でも食いつなぐ。お好み焼きというかお残り焼きを作ってひとり暮らし四年間の集大成である、ささやかな夕食を作る。ひとりで黙々と食べる。


自炊するときはいつもひとりだった。ひとりよがりの独善的料理。僕はそれでよいと思っている。僕は人がなにを言おうと料理はうまいと確信している。なぜなら自分が満足するものしか作らないから。


明日は、あとくされなくかつ潔く、ささっと出ていこう。人によそよそしく見送られるのは嫌だから。もっともわざわざ玄関まで見送ってくれる人がいればの話だが。

夢のなかのうた

2009年3月25日

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「こだま」

詩 月夜のみみずく


こだま

こだま

こ だ ま

つき みず かぜ

あおい

こだま

ひとつ

こだま

こだま

こ だ ま

のびる

おと

あける

気配

あおい

こだま

ひとつ

そろそろみみずくも出て行く準備をはじめます。

2009年3月24日

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ひとり、またひとり、寮を去っていく。


みんな僕の知らない土地へ、知らない生活を始めに、ひとりまたひとり去っていく。


このまま僕が、なにも動かなければおそらくもう二度とあうことがないひとたち。去年のいまごろ、部屋で伏せていて、本当に二度と会えくなってしまった人も多いから、なるべく見送りたいとは思うけれどなかなか外にでる勇気がない。


って……自分はいつここから撤収するんだ?まだ部屋は荷物でごちゃごちゃしている。


想像していたよりも耐え難い時間なので 部屋からすたこら逃げだすことにした。


市役所にいって除籍をして、病院にいって 当分の薬をもらって……


気は紛れない。やっぱり帰る。

何が必要なものかって?

2009年3月23日

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このがらくたの山。


四年前、僕の荷物はトランク一杯だった。


それがこんなにも増えてしまって…


みんな役にたった。みみずくの心の支えになった。安定をもたらした。


だけどいま、僕に必要なものはほとんどなにもない気がする。


あの世にはなにももっていけない。

必要なものを選ぶって実はとても簡単なことなんだと思うよ。

卒業式

2009年3月22日

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うちに帰ってきて、爆睡、気がついたら卒業式一時間前。


よれよれのスーツをきて、寝ぼけ眼で県民文化会館へ。


あっというまに卒業してしまった。なんの感慨もない。帰りに友達とラーメンを食べて、学生生活のすべてはあっけなく終わった。


希望もなく、下を向きながら晴れ姿の人ごみをかきわけて歩いている自分を、寂しいと思った。


もうなにも引き取めるものはない。行き先のわからないまま、とにかく部屋の片付けにとりかかる。目の前のやらなくちゃいけないことしか、先が見えない。


縁起でもないが、遺品整理をしているような気持ちである。空虚……心のなかに、ぽっかりと穴があいたまま、黙々と荷物を片付けてる。


そうしているうちに、いつしか目標を見失っている自分に気づく。


そんな卒業の日だった。
このままじゃいけないと思っている。

北の自動車学校12 盛岡でひとり反省の巻

2009年3月20日

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昨晩はさんざん文句をいったけれど、みみずくのあてつけだった。

教えてもらっている立場で文句をいうなんて!

そんな僕にも手をふって送ってくれる人がいる……教習は終わってしまった。試験はなんとはなしに受かった。


いま盛岡駅で東京行きの深夜バスをまっている。あと五時間まち。久しぶりにひとり、反省会。(激励会も兼ねている)


最近の自分を振り返ってみると、みみずくの言動はなんだかトゲトゲしい。イライラしていた。


長野にはイライラという名前の山菜があって触るとトゲが刺さり、蟻酸で手が荒れるが、最近の僕はそんなイライラに似ている。イライラのほうはは調理すれば食べられるのだけど。


どうしてそんなにイライラしなくてはいけない?

それは、来月から無期限のあいだ、神奈川に帰らなければいけないからだ。3月あたまにくるはずの教育委員会から電話がこない。人手不足だといっていたのに……

通院歴が関係しているのだろうか。たんに空きがないのか。後にも先にも進めないとは、まさにいまのこと。


進めないときは、焦ってもしかたない。立ち止まってこそ、できることを探してみよう。なにがあるかな……?


長い目でみれば、いまの停滞は退職後の余暇が前倒しになったようなもの!

なんと、あたまもからだも若いままで!!


えらいことじゃ、盛岡から走って長野まで帰れそうな気がしてきた。

北の自動車学校11

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どんよりとして空から暗い1日。鹿角は曇天ということである。

こんな日は車の運転も、教官や周りの人と話をするのも気めいる。

とくに退職を目前にしているであろう教官、失礼な言い方であるが、人生の大部分を車の中で、雑談をして過ごしていた教官と同乗するのは気がひける。話題は年金のことだ、政治がどうだ、WBCがどうだ、こちらが機嫌を損ねないように適当に相づちをうっていると、途方もないことをそれこそ壊れたラジオのようにしゃべりつづける。ラジオならましだ。それは生中継ではなく、何千回もくりかえされる再放送だ。


職業に貴賎はない。教習所の仕事は、交通社会の秩序を守るためにある。誰かがやらなくては、世の中は回らない。


わかっていても、こんな仕事はしたくないと思ってしまう。こんな仕事、とはいいかえれば学校的な仕事である。たんに知識や技術を継承することを目的とした、自己犠牲にもとづく仕事。そう思っていたこともあった。いや、いまでも思っているかもしれぬ。


世の中全体においてもそのことの意味はさておき、継承ということ自体に目的が置かれることがある。


なんのために働いてるの?

明日の飯を確保するため。明日の災いを予防するため。いまより先を豊かにするため。


経済的に物質的に豊かな場合、仕事の意味は、二次的なものになる。そういう状態が進むとそれは一緒の死、生きながら死んでいるようなものだと思う。


別に教官が皆そうだといっているわけではない。でも否定もしない。


本当にみなよい人そうでなのだが。

いらだち

2009年3月18日

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今日はいやな事があった。

僕は自分でも馬鹿らしいくらい落ち込んでいる。

本来ならば今日は卒検をうけて、教習所からおさらばする日であった。

しかし僕は途中の検定で脱輪したため、卒業はあさってになる。

海辺のカフカを読んでいた昼休み、試験に受かった高校生(いつも二人で連れ立ってみみずくjと同じホテルに泊まっている)のひとりが、おもむろに僕の前にきて話しかけてきた。いままで、ホテルで一回話しかけたことがあるが、そのとき、僕に向かって冷笑した感じのわるい(僕にとって苦手な)人だった。

高校生「自分は今日受かったんですよ」

みみずく「ああ、そう、おめでとう」

たったそれだけのことである。図ったように周りの人が観察していて、忍び笑いをしている。僕は、大人気なく、そいつを外に出してぶん殴ってやろうかと思ってしまった。実際それをしかけた。

たったそれだけのことで、僕は今日一日中落ち込んでいる。たかがそれだけのことなのに! なぜ? どうしてそんな些細なことに苛立つ理由がある!? 

でもいらいらしている。

ひょっとしたら、来月からの生活が見通せないことも原因かもしれない。
確かに、その高校生の言動は、僕が他人で、冷静にみてもどうかと思うが、そんなつまらないこといら苛立つ自分に悲しくなる。

本当に悲しくなる。

本当に悲しい。






きがつけば、もう春がきている。あれから一年がたとうとしている。こんな僕をみて、あの人もどこかで笑っているのだろうか? あきれているだろうか? 僕はかわりに生きると誓ったくせに。

なぐさめてくれているような気もする。生前、僕をけなしたことはなかった人のことだから、歯がゆい思いをしながらも励ましてくれているような気がする。

僕は、いまでも、例えばそんな感じで、毎日、思い出している。いつも誰かが見ていて、ぼくに励ましの足蹴りをしようとしている気がする。

the PURSUIT of HAPPYNESS

2009年3月16日

『幸せのちから』(The Pursuit of Happyness)は2006年アメリカ映画。事業の失敗によりホームレスになるまで落ちぶれたが、最終的には成功を掴んだ実在の男性、クリス・ガードナーの半生を描いた作品である。主演はウィル・スミス、息子役には彼の実の息子であるジェイデン・スミスが配役され、親子共演となった。
間違えられやすいが、原題の「ハピネス」は正式な綴りのHappinessではなく、Happynessである。これは息子の託児所の落書きにあったスペルミスが元となっている[1]。同時にアメリカ独立宣言における「幸福の追求(The
pursuit of happiness)」のもじりとなっている。
第79回アカデミー賞で主人公を演じたウィル・スミス主演男優賞の候補になっている。

以上Wikipedaより引用。

「幸せの力」をみた。

人生のどん底から成功へと這い上がる話。

そのために、とにかくこのお父さんはミシンのような機械をもって全力疾走で街を走りまくっている。

走るたびに 不幸をつかんだり 幸運をつかんでいる。


子どもがモーテルに入れず泣いているシーンなどいろいろ窮地がちりばめられているが、この映画の最たる不幸は、人形を落とした子どもを無視して父親がバスにかけこんだところだと、僕は思った。

多分、見るひとによって違うかもしれない。そこがこの映画のみどころのひとつだと思う。

歩いていたらビジネスマンは生きていけない。家族を養えない。

「幸せの力」より「必死」という題のほうが似合いそうな映画だった。


生意気な感想でした。

北の自動車学校10 応急救護

2009年3月15日

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今日は三時間、応急救護教習があった。

よく使われる人形、Annとう名前があり、十四歳の女の子である。じつはこの子は実在した人物らしい。川で溺れてなくなったのだが、親が玩具屋で、救護を広げようと当この人形の原型をつくったのだという。


ぼんやり救護の成功した実例ビデオをみていたら、ふと祖父が 意識を失ったときの光景が蘇ってきた。


僕は小学生だったが、あのとき……

……ソファーにすわっていた祖父はけいれんして、呼吸ができないでいるようだった。

救急車を呼ぶことを母と祖母はためらっていたように思う。

その直後から記憶がない。救急車がきたのか、車で運ばれなのかも覚えていない。

僕のなかの意識があった祖父は、それが最後であり、その後一年間、意識はもどらず、病院で亡くなった。

ある春の日、僕は母と見舞いにいった。その日、苦しそうに呼吸する祖父の手を、母が僕にしばらくのあいだ握らせた。その夜、祖父は亡くなった。
思いだす。

僕は「じいじ」が好きだった反面で、嫌悪していた。体が思うように動かず、いつもけいれんしていて、涎をたらすのがたまらなく嫌だった。涎は拭いてあげたりもしたけれど、汚くて嫌だなと思っていた。

兄と体の動かない祖父を運ぶとき、僕は力がなくて運べず、嫌な顔をしたりした。

祖父は僕を可愛がってくれた。なのに、なんと非情な孫だったろう。

そんな非情な小学生はやがて高校生になった。ある夏のこと。

僕は当時、学校についていけずノイローゼになっていて、それを解決するためには「生きる意味」のようなもの(そんな客観的な唯一のものがあると信じていた)を見いだすべきだという結論に達したことがあった。

そこで自発的に老人ホームにいって介護を手伝ったりした。が、トイレに一緒に入って、排便の介助をしていたとき、笑顔とは裏腹に、今の僕の行為は偽善なのだと思い、ますます病んでいった。
もしも自分が、そんな心をもった子どもをみたとする。それを直そうとするのだろうか?

教師は矛盾に満ちた職業なのか?

北の自動車学校9 吹雪

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午前中降っていた春の雨は夕方近くになると吹雪に変わった。視界は夜なのに真っ白になった。


道路交通法上、僕はふさわしくない薬を大量に飲んでいるので眠く、教習所にいる待ち時間は畳の部屋にいて、いびきをかいて寝ている。寝ているのに自分のいびきが聞こえるのだから少し異常かもしれない。


そんな吹雪と眠気のなか、路上教習が行われた。

かつて、今日のような天気のなかスクーターで能登半島をまわったことがある。一キロすすむごとに停車して顔と手の感覚を温めないと麻痺して動けなかった。無謀の極みである。(それでも郵便配達のカブは走っていた)


それに比べいまは、車の中である。屋根がついている。滑りやすいというが、4輪は2輪に比べようもない安定性がある。だいたい滑るだけでは、4輪はひっくり返らないし、自分も吹っ飛ばない。


もちろん重大な事故をおこせば原付は多くの場合自分が死ぬだけだが、車は相手も死なせることになるので、油断はできないのだが。


ともあれ、この日中のひどい眠気、なんとかしないと。

きのうの続き

2009年3月13日

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きのうがあったのは紛れもない事実。

今日があるのも間違いのないこと。

では、あしたは?


歴史には「もし」はない。それは過去のことだから。

未来には「もし」がある。もし、いま、ホテルが火災になったら。もし、いま、僕が心臓発作を起こしたら。


可能性は限りなく0にちかいが、0ではない。


そんな日々を繰り返しているうち、いつか可能性は100に限りなく近づく日がくる。誰にも。


ふと思った。免許合宿中は、人生のうちでもっとも平穏な時なんじゃないかと。うまく説明できない。なんていうか、安全に車を使えるように免許を取ることは、もちろん人命に関わる大切なことだが、なんていえばいいんだろう?


どうでもよいのだ。


僕は今後、多少の不自由を我慢すれば車を運転しないで生きていくことも考えられる。いいか悪いか別として誰かに運転さればいいのである。


目的があるようでないこんな毎日は、なんだか、生きた心地がしない。
だから日記まがいのことをこうして書いて残そうとしている?生きている証を?足跡を?


もし残ったとしても、それは僕としてはつまらない痕跡だ。


これをみてくださって人もいるというのに!なんていうこと!をいいます。


いまこのブログをみている人がいたらすぐパソコンの電源を切って、そうしてもし自分の命が、あともって3日だと仮定して、いま何をすべきか考えて下さい。そして行動にうつしてください。


月夜のみみずくだったらどうするかって?


僕はとりあえず、部屋を少しかたずけて、そうだな、歯をみがいて…あとは……

「……とくにやることもないよ!戒名でも考える?」

いつでもそういえるくらい普通の生活を悔いなく送れるようにしたいと思う。生んでくれた両親に対しての感謝や、これまで僕を支えてくれた兄弟や人たちへの礼も尽くして。


なにをいってるんだか。僕は多分、来年も、いまとたいして変わらずに、ずぶとく生きているだろう。

それは別にそこまで嫌なことでもないのだけれど……

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なんとも薄気味悪いはなしである。

最近、ホテルに帰って、風呂にはいっていたところ、左の乳首がおかしいことに気がついた……


か、かたい……


性別は男である。


おりしもいま「僕の生きる道」というドラマをみて、ガンで余命宣告をされた話をみたばかりであった。


乳がん……


明らかにかたく、それもかなり固い腫瘍がある。

……僕は、癌かもしれぬ。


思えば長いようで短い人生だった。それなりに 、生きてはきた。しかし癌だとは。思いもしなかった。


教習のあいまをみて、すぐさま病院へいかねばならぬ。


かおの知らぬ皆さんにお別れを告げる日は近いかもしれない。

北の自動車学校8

2009年3月11日

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東北日本海側は大荒れ。コースは雪まみれ。

明日は二回目の試験。あとがない。

眠い。暇だ。

涙の補講……

2009年3月10日

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◆一人補講を受けることに。先ほど僕に不合格を下した教官が当たる。

教官「いやあ、(きみの運転のまずさは)教官の教え方が悪いんだよ」

み「そうですねー」

教官「そこは否定しなよ」

み「……」

◆五分後……

教官「ほらいまの左カーブもさ…教官の教えかたがまずい」

み「いえいえ!とんでもない!そんなことはないっす!」

教官「……」

◆発着点に戻り……

教官「あ、いまのキーの切り方、上達していない」

み「いやいや、まえは頭でクラクション鳴らして停止した人間ですから。上達はしていると思います」

◆終了時……

み「いやあ、先生の補講をうけて実に良かった。試験に落ちて、むしろ僕はラッキーでした」

教官「教習所としては損失なんだがね」


◆別の意味で、上達。

北の自動車学校6

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試験会場にて

教官「はい、じゃあ、みみずく君以外の人は残ってね」

みみずく「は?僕だけ合格ですか? いやーまいったな!……ははは……」

……卓越した運転技術のため、修検、一人だけ落ちました。一人だけ……。他のみんなは、パスした。


僕のつぎにのった女の子は、僕と対象的だと誉められ、後部座席でどんよりしている僕をしりめに、めちゃくちゃ喜んでいた。

(そうさ、いまのうちに喜んでいればいいさ)

腹黒いみみずく。


2日のび、卒寮式にいけない。そしてもう一回だめになると、卒業式にもいけない。あとがない。やっちまったなー

北の自動車学校5

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教習にだいぶ疲れ、ホテルに早く帰り、夜まで寝た。明日は合宿の折り返し、修検と仮免試験がある。学科はすでに2日から毎日合格点をキープしているので、いまさらやる気は起きない。油断しているというより、別に一回くらい落ちてもいいやという気持ち。技能のほうは、一人で練習できないので、あとは試験の際の運だと思っている。なんとも考えの甘い教習生ではあるが、なにごとも心に余裕をもたせることのほうがいまの僕にとって一番大切なことなのである。


神奈川県から臨時任用の電話(4月からの仕事)が上旬にくるということだったので、教習ちゅういつも気にしていたが、いっこうにくる気配がない。最短で18日に合宿が終わり、秋田から長野へ帰る途中、神奈川で住居を決めないと、引っ越しがきつくなる。いまの時点で来月からの生活が定まらないのは、やや不安でもあるが、わからないのは仕方ない。だからこの期間、教習をいれたのはあながち間違っていないのではと思った。気を紛らわせるにはちょうどいい。

北の自動車学校4

2009年3月7日

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なにごとも半ばというものは疲れがでるもの……
早くも教習に飽きはじめたみみずく。ホテルで勉強する気もなく、ウクレレをひいている。

だいたい都会に戻るのに、マイカーの必要性などないんだ。個人的に、必要だと思ったことはない。単純に考えて、みんなが公共交通機関を使えばたいていのところは行けるし、利用者が増えればその分安くなり、路線も増えるはずなのである。

携帯電話もしかり、周りが持つから持たなければいけないようになる。もちろん持たないという選択肢を選ぶ信念をもつ人もいる。


じゃ、なんでいまここにいるの?

あーあしたは無線走行だ。寝よう。

北の自動車学校③

2009年3月6日

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明け方、ひどく怖くて悲しい夢をみてうなされた。祖母が亡くなる夢だった。そのおかげで、午前中はぐったり・・・
じつはここ秋田が祖母の出身地。けれどもなぜ? 電話をかけようと思っていたら、驚いたことに祖母のほうから電話があった。
大丈夫そうだ。
さて、教習のほうだが、本日は坂道発進、そして後退の練習。S字カーブをバックで進めるというやや高度な内容を求められた。僕は、なぜか前進しているときに脱輪した。通常のコース走行は比較的スムーズにできるようになってきている。

北の自動車学校②

2009年3月5日

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教習所2日目。

東北なまりのある1コマ50分の授業は、教官のなまりにばかり注意がいってしまう。イントネーションが独特で、ずっと聞いていると、それはもうどこか別の国の言葉のように思えてくる。

方言を隠す人がいるが、僕はむしろ自分の国の言葉をもたないことが、なんだかマイナスのことのように思う。長野は北は北海道、南は沖縄から学生が集まっているので、そういう仲間と話すとき、特にそう思う。いつしか僕の話す言葉に、どこの国の方言がまざるようになってしまった。


でも、なんだかあったかいんだよね。方言って……


さて、教習について。
2日目にいきなり学科のテストがあった。しかも一問不足で不合格だった。先が思いやられるといえばそうかもしれないが、まだ2日目。


車に乗れることも楽しいけれど、新しい人たちの話を聞くこともすごく新鮮で、すでに残りの教習の日数を数えて淋しくなっている。まだ2日目だというのに……

人間はたまたま出会い、そしてほんの少しの時間を一緒にすごし、そして時に自分が気がつかぬまま別れを告げる。今日あったら、明日は会えないかもしれない。大げさかもしれないけれど、僕はそう思って人と接したい。

北の自動車学校①

2009年3月4日

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昼過ぎ、盛岡駅に教習生と思しき若者が十数人集まってきた。

バスに乗り高速で、現地へ。


後ろのほうに座った男子高校生1人と、女子大生3人と少しだけ仲良くなった。人見知りのみみずく・・・しばらく話しかけるのをためらっていたが、恐る恐る話しかけてみたら、ごく普通に話せた。みな関東の人である。
勇気の一歩は出会いの一歩。


何人か教官、とくに年配の教官には、ことばに東北なまりがあり、ここが関東でも信州でもない、遠いところのように思われた。


驚いたことに、なんと初日から、しかも午後遅く着いたのにもかかわらず、技能教習が二コマもあった。三月に導入したばかりの真っ赤なマツダ車、車種は不明。ウィンカーがカブのそれと上下が真逆で、なんども間違えた。


教官は、毎回かわる。というより、記録簿のようなものを出して、それを教官が適当に拾っていくらしい。だから、だれにあたるかわからなかった。


一人目は遠藤周作に似た、東北なまりのあるおじさんだった。はじめずっと黒部渓谷の話(それも、新幹線の高さについてのしょうもない話)をしていたが、後から考えてみれば、それが、緊張を和らげるための策であったようだ。


案外うまくカーブを描けて、油断していて、次の若い教官にあたった。ブレーキを早めにいれることと、遠くを見ることを、何十回も繰り返し、やさしいようで、言葉のうらに、みみずくは多少の苛立ちを感じていて、実に恐縮であった。恐縮すればするほど、からだは縮こまり、うまくいかないものである。結局脱輪して、当初の自信は、根拠のないものであることが判明してしまった。しかしまだ初日である。


・・・原付は無事故無違反だけど、車の運転はどうなることやら。


合宿は結構、きつきつのスケジュールである。一つでも授業を飛ばせば、数日卒業が遅れることになる。明日は七時にバスが迎えに来る。


帰りのバスで話した地元の高校生や、一緒に来た4人とは、もう少しすれば仲良くなれるだろう。


一番驚いたのははホテルのボーイさんだった。夕食は、どこでもあるうどんだったが、これはただのうどんではなく名のある料理人がスープを監修しているのだという。しかも食事中に何度もきて、周辺の歴史や、心霊スポットの話をしてしてくれた。とにかくこんな面白いボーイさんは始めてでった。


なんでも、この近くに、日本版のなぞめいたピラミッドもあるという。


みみずくは、もし宇宙人にあえるなら、別に免許はいらないと思った。

盛岡よいとこ?

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五時半に岩手駅に到着。駅前はどことなく松本に似ている気がした。

松屋にて。東北訛りのおじさんが店員にからんでいた。

爺:「お嬢さん、ここは賞味期限とか大丈夫ぅ?」

店員:「大丈夫ですよ。問題なっちゃいますからね」

爺:備えつけの紅しょうがの蓋をとり、「これでたべでいぃの?」

みみずく:「それは盛って食べるものじゃないですか?」

爺:「いゃーまいっだまいっだ、これ、ぜんぶだべでいぃの?」

みみずく:「それはいいと思います」

……「まいっだまいっだ」といいながら、おじさんは焼き魚定食を注文していた。

岩手は二回目。むかし中学生のとき、ひとりで来たことがあったっけ。

小雪舞う東京より

2009年3月3日

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青森行きの夜行高速バスへ乗り込む。新宿は小雪が舞う夜。

じつは新宿にはいま着いたばかり。長野から青森まで夜の大移動。太陽が沈んでいるあいだでついてしまう。

片道料金は八千円。

目的は自動車学校……

最後のゼミ活動

2009年3月1日

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28日、29日、1日と三日連続でゼミに参加。毎日長野と松本の往復した。僕にとって4年間の最後の日となった今日は、乗鞍高原でスノーシューの企画があったが、ここ数日の暖かさで雪が溶けてしまい、中止になってしまった。 代案がなかったので、諏訪のガラス美術館とイチゴ農園を訪れ、のんびりとした一日を過ごすことになった。


このゼミで言う「企画」とは自然活動全般を指し、一年生がおよそ1ヶ月の時間をかけ、下見やミーティングをかさね作りあげていくもので、週一回の授業とあわせこのゼミの柱となる活動だ。一つの企画を立てるのは、ここでは語りつくせないほどの労力がかかる。簡単に言えば、主体的な活動を通じて、一年生は自然活動の知識を会得し、段取り力やコミュニケーション力を身につけていく。自然活動はじつはそのための手段であり、大きな目的はそこにおかれている。

さっき、そんなゼミの同期の一人が、アメリカに旅立つのを長野駅まで送ってきた。

3月は別れの季節。一人また一人と、この長野から、新しい世界へ飛び立っていく。

僕はというと転居先と仕事が決まらないため、ぎりぎりまで長野に残り、最後にいなくなると思う。このブログも、それでひとまず終わりにしたい。一つの大きな節目であることは、間違いないのだから。

最後の事務当番

2009年2月25日

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今日は最後の事務当番だった。3年間この部屋ではいろんなことがあった。そんなことを思い出してしまうくらい、暇な時間なのである。十二時間! 時計の針が一回転する間、ここで、ひたすら辛抱強く、寮を守り抜かねばならない。
休み中なので、訪れる人もほとんどなく。
聞こえてくるのは、食堂を通り過ぎる冷たい風のごうという音。
「10時になりましたので本日の事務当番を終わります。
正門を施錠しますので、以後は男子棟玄関を利用してください・・・」
このことばを放送するのも、今宵で最後。引退するアナウンサーの気分ってこんな感じなのだろうか?
立つ鳥あとを濁す、放送で歌っちゃおうか? 
ともあれ、何事も最後というのは寂しいものである。
あと十時まであと三十分。

人付き合い

2009年2月24日

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このブログの一番最初の記事が、自ゼミの追いコンのときだったから、もう丸二年がたった。


なにごとにも三日坊主の僕だが、どういうわけか中学時代から日記だけは続けている。偽りや醜いところを含め、自分のありのままの感情を書き連ねることは、結果的に不安定な心を落ちつかせていたし、自分の生きかたを少しはかえりみることができたと思う。

ブログはノートに書く日記とは違い、不特定の誰かが閲覧できるという点では、ありのままの自分を書くことの妨げにはなるけれど、たまに励ましのコメントを寄せてもらえることが、僕をどれほど勇気づけてくれたことか。


今日は朝から寮職員のおばちゃん三人につかまり、卓球をしたり、深夜3時まで大人数の人と接して、だいぶ負担が大きかった。せっかく自分たちを送る会を開いてもらって、途中友の言葉に不覚にも涙してしまったりしたのだけど、それらを全部含め、ぐったりと疲れてしまった。


これは決してまわりのせいではなく、自分のこころの体力のなさにある。どんなに親しい仲間でも、僕はひとりの時間がないと、すりへってしまうみたいだ。よく、四六時中団体行動している大学生がいるけれど、僕にはそれはできない。いや、いつからかできなくなってしまった。


だから将来、自分が家庭を築くことができないような気がして不安になる。祖母が人間ぎらいでつきあいを全くせず、ずっと一人で暮らしているが、僕もその血をうけついでしまったのかもしれない。


誰かをこころから好きになることができない。でも孤独にも耐えられない。だから僕は動物や植物に話しかけ、自分と対話するための日記を書く。

こんな生き方をしているから、僕の頭は故障してしまったのかもしれない。でも仕方がなかった。そしてある程度、幸せである。

それは長いようで短い1日

2009年2月21日

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朝から夕方まで松本で、仲間とゼミの後輩へ贈る箸を一本一本削る。

長野へ帰ってきたのは日付が変わってから。寮の食堂で、電動のこをつかい、小枝をきり、箸袋の留め具をつくる。

食堂を通るひとたち。陽気な酔っ払いの女の子。別れた男がしつこいと、繰り返し、どことなく、引き留めることを待ちわびているかのような……

深夜二時、ぬるま湯の風呂で、一時間くらい寮の友達とはなす。性格は真逆、あいては寮一の楽天的、初対面でこいつとは付き合えないと思っていたけれど、時々だいぶ深い話をする。律法社会において女風呂をいかに安全にのぞくかについて等々下らない話始まり、親孝行と不幸について、教育について、生き方について死について……気づけばもう風呂は水になり、外は氷点下。


深夜三時、食堂のすみでウクレレをひとり、「3月9日」、をポロポロ。ウクレレは陽気な楽器なのに、時々、悲しみを乗り越えたあとの、心の穏やかさを奏でているような音色を奏でる。


「3月9日」この曲が似合う季節がまたやってくる。一昨年、寮祭で先輩たちが合唱していて、気づくとあの人を思いだしてしまう。


瞳をとじればあなたが

瞼の裏にいることで

どれほど強くなれたでしょう

あなたにとって私もそうでありたい


……風呂のなかで、亡くなる前日に偶然電車のなかで会い、悩みを聞いていた寮の先輩がいたということを、いまはじめてきいた。初任のクラスが学級崩壊だったらしいことも聞いた。話が、なぜかそういう方向にいってしまったのは、これから彼にとっても僕に取っても立ち向かうべき問題を、そこに認めたからなのかもしれない。大きな、社会をとりまく、歪みという……


彼女を思いだすとき、もしも、前日に会ったのが自分だったら、もしも、もっとまわりに気をつけていたら、もしも、気持ちを整理して事前に伝えていれば…不幸は訪れなかったんじゃないか……と思ってしまう。


こんなふうに「もしも」といままで何百回考えただろう。そのたびに、一瞬だけ、亡き人が笑顔で僕の瞼のうちに蘇える。

「あなたにとってもそうでありたい」……いまからでも遅くないだろうか。僕は、誰かにとって価値のある存在、命を支える人間になれるだろうか?


客観的に生きる意味なんか存在しないのは、自明のことだと僕は思っている。そんななか、ひとつ確実にいえるのは、自分が生きるためには、他の生を奪っているという紛れもない真実。それだけの価値がないのなら、人はみんな動物に食べられて死んでも仕方ない。
命を奪って生きるなら、命を奪われるリスクを背負ってこそ生命の平等は保たれる。人間は自然から逸脱しすぎた。けれども、いま地球では、人間がもとの地位にもどるよう、力が働いているかのようだ。それに立ち向かうべきなのか。

建設中の山小屋 at 上総亀山;地球学園

2009年2月16日

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君津:NPO地球学園

夜中寒くて何度も目覚めた。長野は長野で寒いが、千葉は千葉でそれなりに寒い。二人用の小さなテントの中でバーナーをつけるとすぐ暖かくなった。キャプテンスタッグの一番安いバーナーは、本来の使途以外に、こんなときに役に立つ。

ヤギ小屋の掃除をして、間伐材の樹皮をむいていたら、あっというまに帰る時間に。管理人さんが買出しのついでに、久留里駅まで乗せていって下さった。

ひとりキャンプ…

2009年2月15日

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卒論発表が終わってから学科で昼神温泉へいったり、ゼミの20周年の会にいったり、慌ただしい。いまはゼミ仲間の車に便乗して、いまは一人千葉の山中のなか。


山のなかで一人、焚き火をしている。テント泊のひとりキャンプ。

明日は雪の長野より

2009年2月9日

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今日は5人の友人が来た。本当に久しぶりの来客、自然活動論ゼミの同期。ユタから帰国した友も加わり、つわものばかり。


このメンバーが集まれば、無人島に放りだされても、絶対に仲違いせず、生きていける気がする、そんな仲間。


四六時中は困るけど、一生付き合いっていたいと思える友だち。


五時間、狭い部屋のなかで騒ぎまくる。


……卒論でだいぶ引きこもりをしていて、なんだか久しぶりに人と話をした気がして、ちょっと大げさに書いたけれど。


そんな友だちがいて、いまさらながら、みみずくは幸せなのだと思った。

ドッグ入り

2009年2月4日

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鍵をスペアともになくした。どじまぬけ。


鍵穴から復元するとなると工賃が一万……しかし、鍵番号さえわかれば。その限りにあらず。


カブには、メイン、タンク、ハンドル、そしてメットの計四カ所にキーシリンダーがある。


分解すること一時間、ようやくハンドルのキーシリンダーに、それらしき番号を見つけた。


果たしてこの番号でスペアは作れるのだろうか。

部屋中がオイルとガソリンの匂い。ガソリンスタのような。

タマちゃん

2009年1月25日

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箱をあけると中にはハムスターが一匹・・・


「たまちゃーーーーーーーん!! 

ここにいたのか?????」


よかった生きてて。

ごめんね、なぜか、忘れてたんだ。

目覚めた。むかしかってたハムスターの夢。
人間は死んだ後どうなるか、なんてことを一晩中考えていたら、こんな夢を見たんだろう。

面接についての覚え書き

2009年1月22日

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臨任、非常勤の面接については、希望の職種に関して用紙に記入し、簡単なお話をするにとどまった。なぜ、この地区を選んだのか、採用試験は受けたか、等。


需要は小学校の場合かなりあるそうだ。というのも精神的な面で休職する先生が増えているからだという。おそらく「先生」自体が大きく変化したのではない。子どもを取り巻く社会環境に歪みがあるのだろう。物質的豊さ、親の学歴や価値観の変化、教師の信頼の低下、受験戦争、不安定な雇用、日本も世界もいま一番先が見通しにくい時代である。それに敏感に反応するのが子どもなのだと思う。


さて、つまるところ、非常勤というのは場合によっては、その休職した先生のクラスを受け持つ可能性もある。ベテラン教諭でも授業が成立困難なクラスに、ただでさえ大学を出たばかりの、試験も受かっていない、ひよっこのみみずくが配置されたら、どうするか……。それはいま考えても仕方のないことかもしれない。


非常勤講師の形態はいくつかあって、しかし一人ぐらしをするにあたって給与の面である程度安定した雇用形態のものは、すべて○をつけた。一方、特別支援教育に関して、○をつけないでいたら(免許がいると思い込んでいた)、とくに強い希望はありますかと聞かれた。断る理由がみあたらなかったので○をした。実に、特別支援に関して、自分は一冊の新書しか読んでいない。ほとんど無知に等しい。これから知らなければならないことが山ほどあることを痛感する。


いよいよ現場にでるとなると、いままで大学で学んできたのに、それがほとんど自信にならない。……自分のことをさておいても日本の教育系の大学は、もっと長期の実習の機会をもつべきだと思う。信大は他の大学と比べ一年時から臨床経験を積む機会が多いが、それでも不足な気がする。個人的な活動を加えたとしても、実際クラスをもち、授業をするのは短い実習の時だけだからだ。

わりかし真剣に大学生をやっていたほうだと思う。けれども今更ながら、もっと主体的に学んでおけば良かった。

小田原にて

小田原攻め

2009年1月21日

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城門は固かった。石垣は高かった。それを乗り越えると、老いたる象が一匹。


こんな狭いところに閉じ込められて、一生を終わらせるのは忍びない。


そう同情していたら、おもむろに大量の水を吹きかけられ、スーツは水びたしになった。

「いますぐ入りたくなるデザイン」

2009年1月20日

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これは墓石の会社のキャッチフレーズらしい。

「このままじゃ、わたし、かわいいだけだ」こちらは朝日新聞。かわいくない女の子がつぶやいている図を思いうかべる。


キャッチコピーというのは面白い。ただそれだけ。明日は面接。自分のキャッチコピーでも考えとこうか。

夢の意味

2009年1月16日

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今はなき人が、夢枕に立つことがある。
みみずくがその人の家に行った。(今から思えばそこは、いろんな記憶が混ざったいったことのない家だった)するとそこには、はっきりしないが親しい人たちがたくさんいて、薄暗い部屋の中、白熱灯のあかりのなかで机を囲んでいる。みみずくは、だれかに手をとられ、かまどらしきもの中で燃えている炎のなかに手を入れて暖めている。熱くないんですね、という。う

楽しい夢というよりは、憂鬱でどことなく哀しい夢だった。通夜のようでもあった。

夢というものは、本人の無意識によるものだと、99パーセントは思うけれど、あの世からの何かしらのメッセージであるかもしれない、あるいはそうであったらいいのに、と思う。

「仲間に囲まれて、こっちはこっちで元気でやってるよ」、という意味であると、目覚めてから解釈することにした。そのほうがずっと、いい。

辛いこと

2009年1月15日

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この物質的に恵まれた豊かな世界で、一番つらいこととはなんだろう?


人から誤解をうけること?

人から蔑まれること?

愛する人を失うこと?

努力が報われないこと?

誰からも必要とされないと思ってしまうこと?


時々、それらに耐えるくらいの精神力が欲しいと思う。この宇宙の長い歴史から見れば、そんなことはささいなことと思えるような……そう思えれば、ずっと、楽になるだろうに。もっと浮遊して、生きられるだろうに。

しかしある程度の辛いことをがあるからこそ、人はその真逆のもの喜びたとか、幸せだとかを感受できるのかもしれぬ。辛さで押しつぶされてしまうことも、中にはあるだろうけれど、それは人生のうち数えるほどしかないまれなことである。

頭がピキピキする? パキシルの中断 

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寒くて病院にいくのが面倒くさくて、パキシルを切らししまっていた。5日くらい……油断していた。


歩くと、ふらつき、頭の真ん中からパキっという音が聞こえる。からだに軽い電気が走り、ふわふわした感じになる。頭が一瞬、ふらーっとぼけるような感じ。




このくだらない、プラスチックの味がする劇物が、自分の人格まで支配していることを思いしる。なんの役に立ってるのかわからない、それでいて値段は高く一粒134円、一日にしてその3倍、この数粒の薬を買う金があれば、どれだけの人が助かるのか。

【使用上の注意】
1.慎重投与(次の患者には慎重に投与すること)
􏍁 躁病の既往歴のある患者[躁転があらわれることがある。]
􏍂 自殺念慮又は自殺企図の既往のある患者、自殺念慮のある患者[自殺念慮、自殺企図があらわれることがある。]
􏍃 てんかんの既往歴のある患者[てんかん発作があらわれることがある。]
􏍄 緑内障のある患者[散瞳があらわれることがある。]
􏍅 抗精神病剤を投与中の患者[悪性症候群があらわれるおそれがある。](「相互作用」の項参照)
􏍆 高齢者(「高齢者への投与」の項参照)
􏍇 出血の危険性を高める薬剤を併用している患者、出血傾向又は出血性素因のある患者[皮膚及び粘膜出血(胃腸出血等)が報告されている。](「相互作用」の項参照)※
2.重要な基本的注意􏍁 眠気、めまい等があらわれることがあるので、自動車の運転等危険を伴う機械を操作する際には十分注意させること。これらの症状は治療開始早期に多くみられている。
􏍂 うつ症状を呈する患者は希死念慮があり、自殺企図のおそれがあるので、このような患者は投与開始早期ならびに投与量を変更する際には患者の状態及び病態の変化を注意深く観察すること。また、新たな自傷、気分変動、アカシジア/精神運動不穏等の情動不安定の発現、もしくはこれらの症状の増悪が観察された場合には、服薬量を増量せず、徐々に減量し、中止するなど適切な処置を行なうこと。なお、うつ病・うつ状態以外で本剤の適応となる精神疾患においても自殺企図のおそれがあり、さらにうつ病・うつ状態を伴う場合もあるので、このような患者にも注意深く観察しながら投与すること。
􏍃 若年成人(特に大うつ病性障害患者)において、本剤投与中に自殺行動(自殺既遂、自殺企図)のリスクが高くなる可能性が報告されているため、これらの患者に投与する場合には注意深く観察すること。(「その他の注意」の項参照)
􏍄 自殺目的での過量服用を防ぐため、自殺傾向が認められる患者に処方する場合には、1回分の処方日数を最小限にとどめること。
􏍅 家族等に自殺念慮や自殺企図のリスク等について十分説明を行い、医師と緊密に連絡を取り合うよう指導すること。
􏍆 大うつ病エピソードは、双極性障害の初発症状である可能性があり、抗うつ剤単独で治療した場合、躁転や病相の不安定化を招くことが一般的に知られている。従って、双極性障害を適切に鑑別す
ること。
􏍇 投与中止(特に突然の中止)又は減量により、めまい、知覚障害(錯感覚、電気ショック様感覚、耳鳴等)、睡眠障害(悪夢を含む)、不安、焦燥、興奮、嘔気、振戦、錯乱、発汗、頭痛、下痢等があらわれることがある。症状の多くは投与中止後数日以内にあらわれ、軽症から中等症であり、2週間程で軽快するが、患者によっては重症であったり、また、回復までに2、3ヶ月以上かかる場合もある。これまでに得られた情報からはこれらの症状は薬物依存によるものではないと考えられている。本剤の減量又は投与中止に際しては、以下の点に注意すること。
1)突然の投与中止を避けること。投与を中止する際は、患者の状態を見ながら数週間又は数ヶ月かけて徐々に減量すること。
2)減量又は投与中止後に耐えられない症状が発現した場合には、減量又は中止前の用量にて投与を再開し、より緩やかに減量することを検討すること。
3)患者の判断で本剤の服用を中止することのないよう十分な服薬指導をすること。また、飲み忘れにより上記のめまい、知覚障害等の症状が発現することがあるため、患者に必ず指示されたとおりに服用するよう指導すること。
􏍈 本剤を投与された婦人が出産した新生児では先天異常のリスクが増加するとの報告があるので、妊婦又は妊娠している可能性のある婦人では、治療上の有益性が危険性を上回ると判断される場合以外には投与しないこと。(「妊婦、産婦、授乳婦等への投与」の項参照)


・・・どんだけ注意書きが多いんだよ。思わずつっこみたくなるよ。悪夢なんてしょっちゅう。今朝は鶏の卵を孵化させさせようとして、中から腐ったひよこが出てきた夢だったよ。

本剤減量中又は中止後:神経過敏、めまい、嘔気、情動不安定(涙ぐむ、気分変動、自殺念慮、自殺企図等)、腹痛
うつを治すはずの薬が、自殺企図につながる。風邪薬が風邪を悪化させますよっていってるようなもの。わらっていられるんだから僕はだいぶよくなったのかもしれない。
外は雪。午後から講義。眠たい、いま寝たらまた夜になってしまうから、あと一時間したら、病院にいく。
「とりあえず生きていられるなら大丈夫です」ってまたいわれにいこう。
* * *
午前中、病院にいく・・・・・・
若い医師(主治医の息子)の診察を受けた。大体言われることはわかっている。むしろパキシルの中断については、調べたばっかりだから、こちらのほうが詳しい。
医師:「パキシルは切らすとまずいから、なくならないうちでもいいから、早めに取りに来ること」
みみずく:「・・・・はい、すみません」
そして脳のアドレナリンがどうだセロトニンがどうだこうだといっている。そんなこと、いわれなくてもわかっているし、第一それは仮説にすぎない。神経科の医師なら、まず患者の言葉に耳を傾けてほしい。
薬代がなかった。
薬局に行って、悲しい顔をして、1000円分だけもらえますか?といったら、お金は後日でいいといって、5000円分の薬をさきにくれた。
「調子はどうですか?」って・・・薬剤師の声になきそうになった。